荘司和子 訳
幼い日 田や野原を
かけ回って遊んだ
流れに手をつっこみ
かにや魚をとった
自然のなかで生きていくすべを
おやじが教えた
けがしたときは肩ぐるま
流れ渡り切り株またいだ
忍耐の人だった おやじ
思い起こせばこころに涙
おやじがいてくれなかったら
おれはどうなっていたか
子らはどうなっていたか
この社会のなかで
まともなヤツになっていたか
それともぐうたらな
人生おくるだめなヤツ
おれにもわからない
今 子らは成長し
芽を出し 実を結んで
列をなす
この幼子のふたつの瞳に
かつての自分がある
わが子は日々育っていく。。。
スラチャイはタイの東北地方の貧しい農村の出身で、父親は村の小学校の校長を勤めながら農業をやっていました。川や田んぼでかにや魚をとるのは日本のように、ただのこどもの遊びではありません。夕飯のおかずとかプララーという塩辛のような常備菜を作るためです。父親は子どもが幼いときから川や森につれていって遊ばせながら、「生きていくすべ」を身につけさせるのです。自然のなかで育ったこのころがいちばんしあわせだった、とスラチャイはよく回想しています。
スラチャイは長男が生まれてまもなく、’76年のクーデターで8年間のジャングルでの生活を強いられたため、子どもの成長を見守るという生活を経験しませんでした。この詩は現在9歳の次男が幼い頃のもの。はじめて我が子の育っていくさまを身近にみつめて、父親の苦労に思いをはせています。身内のことをほとんど歌にしない彼にしてはめずらしい歌です。(荘司和子)