今月は特に日本のニュースで、内政、外政ともに思うことが多かった気がします。でも、結局はもっと多くの国民が投票する必要があると思います。誰にも投票したくないから投票しない、という理由も分からないではないけれど、それでも敢えて誰かを自らが選ぶのも少なからず意味がある、と自らを省みて思っています。
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12月某日 市立音楽院にて
授業が終わると、学生たちが今歌ったばかりの旋律を嬉しそうに口ずさみながら教室をでてゆく。いつもこの授業の終わりに、シャランの和声課題のシャラン自身の模範解答を生徒たちに歌わせているが、学生のうちの何人かは、曲が気に入ったのでコピーをくださいと頼みにくる。
「シャランが、フォーレやデュパルクの歌曲をピアノで弾き、和声の『サワリ』の部分に来ると彼は指を上げて生徒たちを振り返る、そうすると生徒たちはみな恍惚の表情を浮かべてうなずく」
三善先生が書かれていた言葉を、毎週授業のたびに思い出す。先生はあまりシャランをお好きではなかったはずだけれど、シャランの課題を宿題に出された。余りにも和声ができなくて、「良質の解答をたくさん聴くのが一番よい」と、模範解答を自分でピアノでひくのを奨めてくださったが当時全くピアノは弾けなかったので、当然弾けたためしはなかった。そんなことを思い出しながら、ミラノの学生たちが、名前すらきいたことのない、シャランの和声課題を嬉々として歌う姿を、じっと眺めている。
12月某日
随分前に松本で撮った一枚の写真。オルガンの保田さんの演奏会の後で、イサジ君や新実先生と一緒に打上げ会をやった折の一枚で、すぐ傍らに微笑をたたえた上野晃さんも写っている。その上野さんが亡くなられたことを家人から知る。学生の頃から自分たちの演奏会にどれだけ通って下さったかわからない。どんな小さな演奏会でも足を運んでくださり、何某か好い所を見出しては誌上に発表していただいた。演奏会から数ヶ月遅れで上野先生が何を書いてくださったか知りたくて、音楽雑誌の発売日に本屋にかけつけた。このところ、訃報に接するたび「地獄八景亡者戯」が見たくなる。昔からの日本人の死生観が、笑いの裏側のどこかにそっと息づいているからか。
12月某日 自宅にて
結果ありきの昨今、効率よく無駄のない勉強法が重宝される。必要最小限の知識を、最初からずばり核心をついて教わる。周辺から自分の興味にまかせて、のらりくらりと遠回りに学んでゆくのは、恐らく時代の潮流に乗っていないし、出世の妨げにもなるかもしれない。ただ、自分の興味の対象すら知らないまま勉強を終えたとすれば、自分自身とあらためて対峙させられるかもしれない。
それぞれの関連性には拘泥せず、好きなものを好きなようにメモしておき、後で読み返すと、互いに無関係だった事象間に、有機的な関わりが浮き上がる不思議を思う。一期一会というけれど、同じように人生を俯瞰してみれば、無数の点どうし何某かの有機的な関わりが生まれるのではないか。
12月某日 サンマルコ教会にて
アルフォンソがジョルジョ・ガスリーニのピアノ曲のCDを出したので、プレゼンテーションに出かける。ガスリーニはジャズの大家で、映画音楽でもしられるが、ミラノ音楽院でカスティリオーニやベリオと同期だったとは知らなかった。カスティリオーニはピアノが上手だった話や、ベリオと交響曲の連弾をいつまでもやっていた話など、快活な老人の話は尽きない。
「自分にとってジャズは手段でしかなく」フォーレが好きだという。「イタリアはオペラばかりで、フォーレのような素晴らしい歌曲の伝統がなかった。だから自分は歌曲を書きたい」という。何の先入観も持たずにでかけた積もりだったが、彼に言われると虚を突かれた思いで会場を後にした。
12月某日 自宅にて
この人を疎く思う人が世の中に存在するのかと思える人に今まで何人か出会ったが、ブルーノ・カニーノもその一人だ。先日久しぶりにお会いして本当に穏やかで心地よい時間を過ごしたが、あれは天性の才分としかよべない。つい最近彼の家に泥棒が入り、地下の金庫に少し残してあった日本円と宝飾品が盗まれた話を聞いたときですら、不謹慎にも微笑んでしまった。
カニーノがヴェニスのビエンナーレの音楽監督だったころ、忘れられたイタリアの近代作品の蘇演したが、特にそのなかでもエミリオが演奏したマリオ・ピラーティの「オーケストラのための協奏曲」が印象に残った。
来年家人がプロメテオSQとピラーティの五重奏を演奏しようかという話になり、行きがかり上、ピラーティの遺族とここ数日頻繁にメールのやり取りをしている。プロメテオのチェロのディロンも気立てのよさはカニーノに似ている。誰でも彼と仕事がしたくなるような絶妙な人格で素晴らしい音楽家だが、実際一緒に演奏してみると、人格と音楽は直結しているのを実感する。
12月某日 自宅にて
大井くんのためのウェーベルン編作了。先日家人のためにアダージェットを編作したときと反対に、今回のパッサカリアは原曲の音符を忠実になぞるだけで充分。実演を聴くのと楽譜を読むのとで同じ作品から違う印象をうけることがある。作曲家が期待して書いた声部が、実演では殆ど聴き取れなかったり、その反対も当然あるが、それらの素材を全てひっくるめて、編曲とは自分で気がつかなかった曲に対する解釈を客体化させる面白みがある。ウェーベルンの点描的な音の原風景が、あれほど密度が濃く、激した音の羅列だったことに、改めて感慨を覚える。
12月某日 自宅にて
昨日は息子の小学校でクリスマス会。体育館でひとしきり子供たちの歌をきいてから、各々教室に帰って親と子供どちらもクリスマスケーキとアルコール、ジュースなどで乾杯。小一時間でお開きになり、先生とお別れの挨拶をしたあと、ペルー人のクラスメート、フェルナンドがペルーに戻るので明日から学校には来ないと言っている、と息子が唐突にいう。驚いて本当かと先生に訪ねると、子供が3人もいてここでは到底養えないから、と寂しそうに頷いた。なぜお別れ会が出来なかったのか、事情は分からないが、フェルナンドと一緒に写真を撮り肩をおとして両親についてゆく彼の後姿をしばらく目で追った。
今日、学校の帰り道、息子と仲良しのグリエルモは、信号のところで空を仰ぐと、手を大きく振りかざしながら「フェルナンド、さようなら」といつまでも叫んでいた。