オトメンと指を差されて(57)

大久保ゆう

   キスをちょうだい 1どでいいから
   それから20 さらにもっと100
   その100に1000をかさねて
   ついには100まんかいのくちづけを

というのは、17世紀英国のロバート・へリックという人の書いた詩を部分的に自由訳してみたものです。わたくしが学生のときに、オックスフォード大学出版局でこの人の全詩集テクストの校訂新版が準備されていると聞いてから、出るのはいつだいつだと待ち望んでから早幾年、わたくしはもう大学生ではなくなり、先日ようやく今年秋予定との告知が出たのですが、それは大学出版局・学術出版の常としてアナウンス通りに刊行されるとは思わないながらも、目処がついたらしいだけでもほっと致します。

わたくしの場合、詩についてはもはや下手の横好きに過ぎず、おのれの魂のなかにどうやら詩想も霊感もないらしく詩神にも好かれていないと気づいてからは、ただ憧れから何とか詩情を捉えて訳すだけなのですが、どうにもわたくしがやると、リズムと語呂と長さばかり重視してしまって、色々と台無しにしてしまっている感が否めません。

ケイト・グリーナウェイの『マリゴールド・ガーデン』は、スタイルとしてうまくはまったからいいものの、同じ作者の前作『まどのました』でもちゃんとできるかは自信ないですし。

   まどのましたは わたしのおにわ
   いいにおいの おはなが そだつ
   なしのきには コマドリのおうち
   わたしのいちばんすきなとりさん

うーん、たぶん既訳の方がいいですね。いかんせんどれも似たようなものになりがちですので、そろそろ違う訳し方を習得したいものです。

他にも苦手と言えば、言葉遊びの詩もいまいちうまく行かなくて。たとえばキャロリン・ウェルズという人が詩を書いて、オリヴァ・ヘレフォードという方が絵を描いた『みちものずかん』という本があるのですが――

    サケブトリ

   サケブトリは とりのおじさま
   よあけに こえを ひびかせながら
   さっそうと いえぢを たどるのさ
   らりららっと くりかえし さえずって
   はかせのじいさまの はなしでは
   ひるもよるも さけんで サケブトリ

こういうダジャレみたいな詩(正しくは動物の出てくる慣用句をあえて誤解した詩)が、架空の生き物(未知物)を題材にいくつもありまして、さらに絵が添えてあるものですから、ダジャレと絵と日本語訳を同時に成立させるのがどうにもこうにも難しいのです。たいへん苦しい。

そしてこういうことをしているとすぐに甘い物が欲しくなるので、わたくしの場合、詩はダイエットとの対義語なのかもしれません。詩神がいない代わりにドーピングでもしなければならないということなのでしょうか。スウィーツを食べなければスイートな詩に訳せない、お菓子の甘さを言葉の甘美さに身体のなかで変換せねばならぬとわけなんですかね。いかがしたものか、いやはや。