最近、身近で不幸があり、共同体(コミュニティ)とお葬式についてちょっと考えるところがあった。
故人に枕経を上げてくれたおっさん(お坊さんのこと)と、親戚の人たちとでしばし語らっていた時、おっさんが「葬儀ホールでお葬式をするようになったここ10年ほど前から、地域共同体は崩壊した」と言う。それは、私にとっては意外な視点だった。
地縁や血縁でつながった共同体が崩壊したのはいつだろう。いくつか説もあるけれど、たとえば、小中学校の現場の先生たちは、高度成長期以降にお祭りが衰退して地域共同体の絆も薄れた、と理解しているように見える。かと思えば、宮本常一は『民俗のふるさと』で、すでに明治になって村落共同体がくずれてきたと言っている。それまでムラというのは同業者集団で、だから一斉に共同作業し、休み、年中行事を行ってきたのが、明治になって教員や役場の役人になる人たちが現れ、彼らが村を出たり、新たに入ってくるようになって、古来からの秩序が破られていったというものだ。その他にもいろんな説があるみたいだが、どんな説であれ、コミュニティは生きている者たちが生きていくために結束するという視点から語られる。けれど、最初に挙げたおっさんの話は、生きている者たちが死者のために結束するという視点でコミュニティをとらえていたので、それが私には新鮮だったのだ。
昔は、地域の助けがなければお葬式は挙げられなかったと、おっさんは言う。車もなかった時代に遺体を墓に運び、埋葬するだけでも大変だ。だからこそ、村八分(十分のうち二分の付き合い―火事と葬式―を残して付き合いを絶つ)にしていても、葬式では付き合わざるを得なかった。昔は通夜と葬儀の会場も、参列者への振る舞う料理も自分たちで準備したから、喪主が普段から付き合いの悪い人だと、近所の人が勝手に必要以上の食事を準備したりして散在し、報復したものらしい。
それが今では、葬儀社が全部手配して、ホールでやってくれる。うちは15年前にお葬式を出したのだが、そのときにはまだ葬儀用のホールというのがなかったので、お寺を借りた。もちろん今回でも帳場では町内会の協力が不可欠だが、寺を借りるより準備は楽だし、冷暖房完備だし、費用も立て替えてくれるシステムでお金をあらかじめ準備しなくてよかったし(15年前の葬式ではそのお金の準備だけでも大変だった)、満中陰と兼ねた粗供養方式になっていたし(市の習慣がそういう風になったらしい)…、というわけで、家族と町内会の負担はぐっと減った。これで家族葬にしてしまえば、本当に隣近所や親戚の誰の手も煩わすことなく、葬儀が執り行えてしまう。もっとも、家族葬はうちのような田舎ではまだまだ抵抗が強いみたいで、そんなにすぐには広まらないかもしれない。おっさんも、家族葬はまだあまり経験がないと言っていたから。
今回の一連の葬儀で、本当に数十年ぶりに出会った親戚の人もいる。家が近くて行き来をよくしている人もいるけれど、親の代は行き来があっても私はあまり行き来がなかった人もいる。それが、亡くなった日から通夜、告別式の長い時間を一緒に過ごして、昔の話なんかを親戚中でしていると、死の悲しみを共有する人がいることのありがたさをつくづく、しみじみ感じる。地縁・血縁でがんじがらみになっているけれど、亡くなるときだけはその帰属する縁があるのは安心だ。
最近は「まちづくり」、「コミュニティ再生」があちこちで叫ばれているし、老人や知的障碍者、その他の弱者を包摂しよう(ソーシャル・インクルージョン)という動きは盛んだが、それらはやっぱり生きている人どうしのつながりというのを前提にしている。もちろん、お葬式を出すのも生きている人同士のつながりがあってこそなのだが、そのつながりを支えてくれるのは死にゆく者であるという視点は、現在の社会ではほとんど意識されない気がする。東北大震災以降、絆ということが叫ばれるようになったのは、やはり死というものに向き合うことで生者がつながることができる、ということを私たちが感じ始めたからかもしれない。