しもた屋之噺(163)

杉山洋一

7月も半ばになり街を出る人が多いのでしょう。往来も減り空気も澄んで来たようです。今月はただ朝から晩まで机に向っただけで、瞬く間に終りました。階下の仕事机が壁に向っておいてあったのを、光をとれるように庭の窓に向けておきなおし、木々を眺めながら原稿を書いています。

今月、親しい方のご主人が亡くなり、恩人が心臓の緊急手術を受け、長年ジストニアを患ってきたピアノの友人からパーキンソンかも知れないと連絡を受けました。時間が一方方向にしか進まないという事実を、漸く受容れやり過ごせるようになった気がしますが、既に人生の半分は生きたとして、残された時間に何をしたいか考えさせられます。

この歳にして両親に感謝の念を新たにするのは、子供の頃から今までの出会いに、感謝することばかりだからで、自分が息子にそれを与えているか解りませんけれども、そうあるべく努めなければならないと戒めています。

人生半ばにして学んだのは、出会いは長い時間をかけてどこかで戻ってきて、まるで地球を一回りして目の前に現れるような出来事が、実際にあるということです。後で戻ってきたときに、自らを辱めることのないように、一期一会は大切にしなければ、時間は一方向にしか進まないけれど、メビウスの輪のような形をしているかもしれないと思うのです。

戦後70年が過ぎ、広島と長崎の日、終戦記念日が巡りくるのを考えながら、我々が生きるこの地球が、シナプスのような無数の出会いに覆われている姿をおもいます。

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7月某日 自宅にて
朝から9月に録音するガスリーニの「Murales Promunades」を読む。「Murales」は、ガスリーニ・カルテットが1976年に発表した名盤で、ライブセッションをそのまま収録してある。Murales Promunadesは、その主題を取り出してピアノとオーケストラの作品に作り直したもの。和音を一つ一つ丁寧に拾ってゆくと、美しさに驚く。

意味もなく音が多くなるということは、意味のない音が多くなるのだから、一つ一つの音を拾う必要はなくなる。一つ一つ意味のある音だけしか残っていなければ、少ないながら一つ一つ音を拾わなければならない。結局、音の少ない楽譜を読むほうが時間がかかる。楽譜が雄弁になると、音のもつ魅力は減り、文字通り雄弁な譜面という音響になる。集合体としての音の魅力と魅力的な音の集合とでは、数量に明確な違いがあらわれる。

昼休みにユネスコ採決の中継をみる。日本のスピーチを随分太っ腹だと感心して聞いていたら、案の定後で問題になってしまった。

7月某日 自宅にて
熱帯夜。内容は詳しく思い出せないが、この処しばしば夢に巨大な円形建造物と、7という数字が現れる。ローマのアウグストゥス廟のような形をしていた気がするので、この処話題にのぼる新国立競技場かも知れない。7はよく解らない。

エミリオがイタリアに住んでいた頃、この時期は、いつも家族を実家に送り、一人家に残って仕事をしていた。当時は何故だか良く判らなかったが、気が付けば自分も同じことをしている。生徒というのは面白いもので、時に教えもされないことまでも教師に似るのは、親子の関係を思い出す。譜割りは途轍もなく気の遠くなる作業だけれども、これをする度に、自分がどれほど音を見落としているかが判って愕然とする。結局読んだ積もりにはなっているが、何も読んでいないのだ。音を出来るだけ跳ばさずに読むことで、拍を振ることから音を耳で追うべく頭の回路がリセットされる。才能がないのも一つの才能と自らを慰めることにも馴れた。人の十倍時間がかかっても疑念を抱いてはいけない。

7月某日 自宅にて
夜仕事をしながらラジオをかけていると、カナダのポップミュージシャンが一番影響を受けた曲だといって、ピチカートファイブの「Twiggy Twiggy」をかけた。20年前にイタリアに来て暫くは、日本のサブカルチャーの代名詞と言えば、「ハイジ」のようなアニメを除けば「ピチカートファイブ」だった。当時「It’s a Beautiful Day」はDelta Vがカヴァーしたモリコーネの「Se telefonando」と一緒に毎日テレビで流れていた。

「かわいい」が現代日本のサブカルチャーの一つの指針と読んで思い出したこと。前に同性愛者の友人が話してくれたのは、性癖の少なくとも半分は後天性で、大きく環境に左右されるという話だ。同性愛者として生きるのは大変だから、子育てには気をつけるようにという忠告だった。幼児性愛や同性愛も時代と場所によって今とは全く違う常識で扱われてきたのだから、彼の云う通りなのだろう。

まさか「かわいい」を連呼したからといって幼児性愛者が増えるとも思わないが、暫く前、家人が10歳の息子に使わなくなった古いアイフォンを渡したとき。息子は劇場の合唱練習のために、オペラのヴィデオなどを眺める程度で気にも留めていなかったが、或る時にふと履歴を見ると、水着姿の妙齢などが映っている。その時は年頃だし当然だとやり過ごし、改めて確認すると今度は履歴が夥しい数に跳ね上がっている。妙齢に雑じって同性愛者や両性愛者のページが出てきたものだから、流石に慌て息子に問い正すと、知らないという。

元来家人のアイフォンだったから、彼女のグーグル履歴を見て仰天した。繰返し検索にかけられていた言葉は「小学生」「陰茎」「切断」「裸」「性転換手術」で、接続場所は日本の自宅辺りを指していた。我々の目の前でみるみる履歴は増えてゆく。明らかに家人のグーグルアカウントを使って、変質者か幼児性愛者か、子供に性同一障害を抱える親が誰かが、そうとは知らずに東京の近所からアクセスしているのだった。

7月某日 自宅にて
学校の同僚で、しばしばレッスンの伴奏なども頼んでいるMは、昔からジストニアを患っていて、手を保護する手袋を嵌めている。彼から連絡があって8月は長期入院するという。ジストニアだけでなく、パーキンソンの疑いだという。

朝行き着けのパン屋で新聞に目を落とすと、安倍昭恵さんミラノ万博訪問の写真つき記事。「日本では首相の妻が政治に口を挟むのは好まれないが、積極的に発言してゆきたい」という趣旨の談話があって、センセーショナルだと云う。「我々の常識で判断できないが、日本の女性の地位はどうなっているのか。彼女は離婚こそしないだろうが、今回の発言はとても革新的ではないのか。突然の発言に通訳も当惑を隠せなかった」。万国博日本デーに関しては、殆ど触れられない。

内閣支持率が下がったというニュース。安全保障関連法案が国民を裏切ったから、こんな筈ではなかったという。どうして今になって騒がれているのかよく解らない。我々自身で現在の内閣を選んだのだし、こういう流れになるのは最初から解っていなかったか。

素朴に疑問に思うのは、何故わざわざ戦後70年の終戦記念日が近づくこの時期に、こんな厄介を抱え込もうとするのかと云うこと。70年のこの節目に、大変革を為し遂げたいということか。

7月某日 自宅にて
橋本くんから「かなしみにくれる女のように」は、歌と管楽器で演奏は可能かと質問が届く。素材はバンショワの歌曲とイスラエルとパレスチナの国歌だから、一部を除けば可能だろうが、古仏語はまだしも、ヘブライ語とアラビア語は全くわからない。そこまでコンセプトをはっきりさせる積りはなかったが、面白いかも知れない。

Cさんの楽譜を譜読みしていて何かに似ていると思い、暫く考えて漸く思い出す。子供の頃、銀座のヤマハで買ったシュトックハウゼンの「賛歌」、あの国歌が連綿と続く楽譜だ。カラフルな国旗の表紙が好きでよく眺めた。「賛歌」の録音を聴いたのは、確かずっと後だったが、衝撃を受けたし今も全く古めかしさは感じない。国歌を集めて作られた「賛歌」は66、67年作曲だから、当時はベトナム戦争、東西冷戦の真最中だった。第二次世界大戦が終って20年足らずだから、自分がミラノで暮らし始めて現在までの時間しか経っていない。

シュトックハウゼンが「賛歌」を初演した45年前、自分が生まれた1969年前後、ドナトーニが一番悩んでいた時期に、改めて立ち戻ってみる。

当時一番問題とされた事象の再考を通じて、自分が求める道筋が見えてきた気がする。あの時から現在までの現代音楽の歴史を、我々は既に知っているから、同じ道筋を辿る必要はない。トータルセリエルと偶然性からニューコンプリシティ出現までの、ほんの短い時間に特に興味を持つのは、作曲の作業も作曲家の手から離れず、演奏者は書かれた音符通りに演奏できる人間的限界へそろそろ到達しようとしていた重要な時期だからだ。

その先セリエルは思索作曲の高みへと到達し、楽譜通りに人間が演奏する事は不可能になった。結果、演奏家は複雑な楽譜を、演奏可能に四捨五入しながら把握するようになり、作曲者もそれを許容するようになった。四捨五入のアウトラインの演奏で満足するようになって、各音符の重要度は低くなったが、そこへ向いたくないのだ。演奏可能なものを書き、各音に演奏者が何らかの意志を反映させられるなら、自分を納得させられるだろう。

Rが指揮のレッスンにやって来て、自作ピアノ協奏曲の楽譜も見せてくれる。特に悪いとは思わなかったが、試験では頗る評判が悪くてと悲しそうな顔をする。試験官が、この作品は切り貼り、コピー&ペーストが多用されていると決め付けたらしい。R曰くコピペは一切ないと云うが、コピペは手抜きと認識されるのだという。解らなくもないが、古典派の時代から、西洋音楽にコピペは常套手段であり、形式を築き上げるために必須の技術だった。コンピュータの使用で、実際に使われているかすら判断できない中で、否定される矛盾。明らかに現代作曲の情報量は、我々の判断の限界を超えているのだ。ドナトーニの「Esa」など、コンピュータこそ使っていないアッサンブラージュだけれど、素晴らしい作品だと思う。我々がコンピュータに使われているのが悪であって、コピペが悪いわけではない。

7月某日 自宅にて
意味のない文章列や音列に一本の縦線を引く。そこに何らかの意味がうまれる。同時にそこに重力とも潮力ともつかない方向性が生まれる。その線と線の間にまた一本、線を引く。すると、その中の音や文字に何らかの意味が生まれるが、常に自分と音との間には少し距離がある。自分の中から音を生み出すのではなく、音符をただの音符として扱う、その作業はドナトーニから学んだ。

大井くんがドナトーニのピアノ曲をまとめて演奏会をするというので、文章を送る。彼の生前の生立ちは様々に読む手段があるから、ヴェローナで文化功労者として扱われるに至る没後15年の大まかな流れについて書き、音符と自分との間の距離感について書く。目の前で厚く垂れた巨大な雲が、途轍もなく多くの事象を巻込みながら静かに進んでゆく。

(7月25日ミラノにて)