犬狼詩集

管啓次郎

  79

草原を更新するため毎年の火入れにより攪乱した
鹿の意見によると森と草地はいずれも好ましい
栗は樹木の中では明るい森を好んでいた
六色しかない色鉛筆で今日の天気を表現してみよう
境界性の人格であり、樹格であり、獣格だった
眼鏡のふちに「すべてはうまくいく」と小さく書きこんでいる
墓から目覚めて最初の食事は巣蜜と焼き魚だった
カジキをごく軽くいぶしてレモンをしぼって食べる
与那国語には母音が三つしかないと聞いて死ぬほど驚いた
No way! という表現を直訳すれば「道がない」
まだ緑色の栗の毬を蹴りながら歩いた
たどりつく場所がないすべての行程を全面的に肯定する
渦を巻いて水が流れ落ちる巨大な貯水池だった
突き出した突堤に立ちフェリーボートの知らない乗客に手を振る
動物園でもないのにcoatiの群れが森から出てきた
これから夕立が来ることを予感しわざと傘を忘れて出る

  80

隔たったものがむすびつき見えるべきものが見えなくなった
亀に名前をつけても翌日にはもう見分けがつかなくなる
建築学校のキャンパスの木から蘭の花が咲いていた
線路の終わりは民家の裏庭でそこには物干竿もある
ある文体が定着するには大体千年がかかるといっていた
ひとつのレモンを電池として千時間の照明を確保する
島から島への横断を一都市内で経験した
写真によるアフリカとキューバの連結をすぐには信じない
その人の顔があまりに左右非対称なのでかえって魅力を感じた
その二人の少女は絵画のように愛らしくしずかにしている
別の少女たちは滝から群れをなして飛び込むらしかった
巨大な老いたゲリラ兵士が壁の穴をのぞきこんでいる
死はまったくの自然現象なので風が吹くようなものだった
人工物を生命のメタファーにするのは無理だ
川の水面を川が流れていくとき感情は止まらなかった
農業と狩猟採集のはざまで壊れてゆくプロトコルに別れよう

  81

夏至近くの木漏れ陽が煉瓦色の壁にゆれていた
この町には中国人が少ないのでアフリカ人が驚いている
ビール会社の名前に打たれた星を改めて探してみた
千年紀を記念する橋をかもめが歩いている
そういえば犬をめっきり見かけなくなって心配だった
さまざまな色のドットが等間隔に並べられ迷路の気分だ
灰色一色で描かれた絵画にのみ心を奪われた
煙草の吸い殻を集めるとそこから蝶が飛ぶという手品だ
花を模倣する紋様を模倣する平面を作りたかった
川を見ると何度でも身投げしたくなるが一回だけはいやだ
仏陀の教えを懸命に写真に撮りそれで浄土と極楽を表現した
音楽的には無音よりはつねに鳥の歌を選びたい
黄昏が午後十時までつづくとき熱帯を遠く感じた
芝生にきれいな直線で既視的な歩行の線がついている
低い雲が海の風に飛ぶとき生き方をしきりに反省した
四つの橋が連続する筋の美しさをときどき思い出す

  82

トンネルがゆっくりとカーヴして光が曲がって見えた
緑の葉を石で潰しその汁で指を黒く染める
故障の原因は操作のまちがいが大半で後は兎のせいだった
山火事から走って逃げるロバの群れがカタルーニャを再生する
年輪形成がある以上は成長の完全な停止もあるはずだった
生きているのだから心の平静など絶対に訪れるはずがない
斬新さと呼ばれるすべては主として無知の効果だった
趣味の良さとうなだれるオランウータンの幼児を比較する
ベレニスが長い髪を切ったので海上の空に星が流れた
身をやわらかくして波に浮かんで太陽に目を細めている
ナキウサギが岩場に立ちGreat Snow Mountainにむかって吠えていた
経営的手腕を問う以前に誤字脱字がじつに独創的だ
その野良猫がどんなにみすぼらしくても心をよぎらない日はなかった
友人は身体をしだいに透明化させこれから霞ばかり食うと宣言する
歩く習慣を失うと山の輪郭の見えが変わってしまった
これから国立図書館にゆき古い科学映画を見てくるつもりだ

  83

湯が存在のある位相ならそれを喩とすることが求められていた
つぶつぶと白い歯を撒いてヒトの発芽および収穫を待っている
終点があるかぎり必ずそこにゆき番地のない家をたずねた
川が川だけが土地の全面的な主人だということを疑えない
理性は発話の手前で立ち止まり声は朗唱をあきらめた
サゴヤシのサゴ澱粉で麺を加工してもいいですか
「南海の消滅」というフレーズを完全に勘違いしていた
リズムに乗って話してはいけないしビートに心を委ねてはいけない
地名の喚起力といえば聞こえはいいがそもそも音的に聴き取れなかった
きみの耳は舗装され線路が敷かれ蜜鑞でふさがれている
緑色の目をして彼女が肌に梨の実を塗っていた
これから木を伐って谷川に橋をかけようと思う
その二千字が歴史を語るといってもビーズ細工のような伝説だった
石をもって夢を掘り出し当面の生存に役立てる
思い出は痛みであれ愛であれモノローグにすぎないと分析家にいわれた
その黄色は硫黄ですかひまわりの影なのでしょうか

  84

カワセミの青が水面を低く掠めてきらめいた
「自分もいつか死ぬ」というのはどうやら信仰にすぎないようだ
焼けたグラウンドでボールの反撥係数が試された
夏草とつるぶどうの生長に合わせて息と嘘をつく
久しく手紙を書いていないので切手を貼る位置がわからなくなった
新しいという麦藁帽だがどこか漁村の色をしている
距離を歩測する道具として自転車の前輪に印をつけた
夕焼けの雲が血に染まったスナメリの群れに見えてくる
動物としての交感の基本は体温の交換だった
殺すことで一度死に投獄されて二度死にそれから処刑される
どんぐりというのは一種類ではないんだよという若い父の声が聞こえた
水よ、陽炎よ、揺れよ、燃えよ、雲よ
午前七時に集合して鉄道をいくつも乗り継ぐのだった
蛙たちにコーンフレークスは完全食品だと教える
見る見る暗くなる空で教会の廃墟が急成長した
時間とは感情の偏光が生む色の影にすぎない