先月7月のはじめに、インドネシアはスラカルタ(通称ソロ)市で開催されたアジア歴史家国際学会(IAHA)に参加した。ソロでの開催、主催はインドネシア教育文化省、協力がインドネシア観光創造経済省とスラカルタ(通称ソロ)市(+当然いくつかの歴史学会も協力)とくれば、私としてはなんとしても参加したい。インドネシア政府の観光政策をもてなされる側として体験する良い機会なのだ。というわけで、この「学会つき観光」の発表に応募。その学会内容はさておき、今回体験した観光内容について書いてみたい。
まず、スケジュールを記すと、
学会会場: ホテル・サヒッド・ジャヤ(旧名ホテル・サヒッド・ラヤ、ガジャマダ通り)
7月2日(月)受付。夕方からクラトン(=カスナナン宮廷)にてオープニング・パーティー。
7月3日(火)8:30〜5:30学会、夜はホテルで学会員だけのディナー。
7月4日(水)8:30〜3:30学会、夕方、ダナルハディ博物館見学。市長公邸にてディナー
7月5日(木)8:30〜夕方、プランバナン寺院にてクロージング・ディナーののちラーマーヤナ・バレエ鑑賞
7月6日(金)午前中、希望者のみサンギラン(ソロ原人の化石が出た所)へのエクスカーション。
●7月2日
ホテルからクラトンまで、私はてっきりバスを出すのだと思っていたのだが…、なんと、ホテルに大量の馬車が集められ、学会参加者全員が三々五々馬車に乗せられて行くという羽目になる。この展開は私の予想外。学会参加者は予定だと300人近く、結局来なかった人も多いが、少なく見積もっても200人くらいはいたはず。1台の馬車に4人ほど乗り合うので、50台くらいは馬車が集められた計算になる。これだけの馬車が、このパレードのために特に交通規制もしていないスラマット・リヤディ通りの端を通っていくのだから、えらい渋滞。バスで行けば10分以内で着く距離に、1時間かかった。このサービス、私たちの方こそ見世物にされているみたいで、私の周りの参加者にはえらい不評であった。ちなみにこの馬車、会議の偉いさんたちが乗った豪華なやつは市役所所有で、他は個人業の人たちに動員をかけて集めたらしい。時々、イベントで動員されるのだと、私たちの乗った御者のおじさんは語っていた。
クラトンに着くと、なんと正面の中央扉が開けられている。正面には3つの扉が並んでいて、普段は、中央の大扉は閉まっており、左右の扉から出入りする。中央扉が開けられるのは、位記念式典の日、ジャワ暦大晦日の夜、市内を巡航する宝物(槍など)を持った宮廷の人々が中から出てくるとき、など限られた時しかない。これは、この学会が宮廷の一級の賓客としてもてなされたということなのだ。それも、私たちが、教育文化省つまりは国のお客様だからだろう。
開会はホンドロウィノというガラス張りのレセプションルームにて。開会の挨拶が終わり、食事(ビュッフェ式)の間、女性舞踊「ブドヨ・ドゥラダセ」(約30分)、男性舞踊「ウィレン・ボンドユド」(約10分)が提供される。王の即位記念日に上演される「ブドヨ・クタワン」だけは未婚の踊り手たちによって舞われるが、客人を迎えての場合は、結婚して「ブドヨ・クタワン」は引退したベテランの踊り手が踊ることも多い。私が宮廷の練習に参加していたときに現役だった人たちだ。さらに、王女の娘(先代の王の孫)も含まれている。その子たちはまだ初々しいが、宮廷はこの上演に力を入れているということがよく分かる公演だった。
●7月4日
ホテルから博物館を備えたバティックのお店、ダナルハディへは、歩いていくには面倒だが(日本国内なら歩く距離なんだけど)…という微妙な距離。ベチャででも行くのかしらん、と思っていたら、なんと大型観光バスが来る。そして、思い切り遠回りして10分以上かかってダナルハディに横付けしてくれるので、これまたどっと疲れた。しかも、突然、出発がスケジュールより1時間も繰り上げられる。しかし、ディナーの開始時間は決まっているから、バティック店見学のあと無意味に市内をバスで廻り、その間何の市内ガイドもない。あまりにも無駄な時間…。だいたいバス手配係からして、今自分たちのロケーションを全然把握していない。彼らはソロ地元民でなかったのだ。参加者が減ったから発表時間を削るというなら、休憩時間にしてほしかった。まだ次の日も朝8時から学会はあるのだから。明日の発表者は準備もしたいだろうに。
ダナルハディだが、ソロを代表するバティック企業で、この博物館は必見。ちなみにこの建物は、元はウルヨニングラットの屋敷。ウルヨニングラットというのは、カスナナン王家の王族で、インドネシアの民族独立運動ブディ・ウトモに参加した人として有名。博物館だが、ソロ今回は学会参加費に含まれていたけれど、普通は高い入場料を払う(今でもそのはず)。しかし、その入場料に見合う充実したコレクションで、スタッフもよく教育されていて、質問にも納得のいく説明をしてくれる。さすが私企業、公立ではこうはいかない。今回も私たちは特別扱いで、普段は禁止のカメラ撮影がOK。私が最後に来たのは2007年頃だが、その頃にはなかった「中国コーナー」の展示場が新しくできていた。3年ほど前にできたという。インドネシアで華人文化が復権したので、中国の影響があるバティックを展示してあるのだ。やっぱり、こういう博物館には時々は足を運んだ方がいいと実感。
そして、ディナーはロジ・ガンドロン(市長公邸)にて。これは市長主催なのだが、あいにく市長のジョコウィ(通称)は、現在ジャカルタの知事選に立候補して選挙活動中…。市長公邸はオランダ時代の建物で、ロジは「オランダの官邸」、ガンドロンは「恋する」という意味。その昔、このロジでは夜になるとオランダ人たちがダンス・パーティーに興じていたのを、地元のジャワ人が見て、オランダ人たちが恋し合っていると思った、というのが語源らしい。真偽のほどは知らないけれど。
ロジの車寄せに敷物を敷いて、ジャワの正装した男子が2人座り、1人はグンデル(ビブラフォン)を弾き、1人はチブロン太鼓を叩いている…のだが、唐突に入口の前に座っている感じといい、編成の不思議さといい別になくても良かった気がする。そして、中庭に出れば、クロンチョン楽団が待機していて、パーティー中音楽が流れていた。演奏はうまいと思ったが、BGMとしては音響の音量が大きすぎ、ひっきりなしに演奏されるので隣の人と会話するのが一苦労。
ここでも舞踊があったのだが、なぜか、今入ってきた中門の方が正面になっていて、中庭の奥にあるプンドポは使われなかった。ここでのパーティーには2回出席したことがあるが、2回とも、そのプンドポに偉いさん席が設けられて、そこで舞踊が提供されたのだが…。プンドポを使うまでもないという判断だったのかどうか、気になるところだ。
舞踊は2つで、マンクヌガラン宮廷提供の女性4人による「ルトノ・クスモ」と、市提供の舞踊。予算の都合だろう、カセットで上演というのがいかにも残念。ところで、スラカルタに政府関係の客人が来ると、最初にクラトン、次にマンクヌガランを訪れるのが普通なので(ちなみにダナルハディにもよく寄る)、今回マンクヌガランの正式訪問がないのはなぜだろうと、私は不思議に思っていた。ここでマンクヌガランの舞踊の上演があり、その前に、司会者が「スラカルタには文化の中心が2つあって、それはクラトンとマンクヌガランです」みたいな説明をきちんと入れていたので、これで一応フォローしたということなのだろうか。今回のディナーでは、いつもマンクヌガランでチャーター公演で仕事をしている人たちと再会したのだが(彼らは市の観光局勤務)、クラトンでは何を上演したのかと、こっそり私に聞いてきた。マンクヌガランの芸術を担当している王弟から、そのことを聞き出すように頼まれていたらしい。ということは、やっぱりマンクヌガランには気になるのかも。
もう1つの市の提供による舞踊「バンバンガン・チャキル(見目麗しい武将と羅刹=チャキルの戦い)」は、あまり上手くなかったのだが、踊り手はまだ若そうだし、まあこんなものかなとも思う。ちなみにこの舞踊は商業ワヤン・オラン系統の舞踊で、インドネシア独立前後頃にはすでにソロを代表する舞踊として著名。宮廷舞踊とは雰囲気がダブらないから、市が提供する舞踊としては良い選択。ただ全体として、この市長公邸での一連の演出はパッとしなかった。いったい誰がこの全体構成を考えたんだろう?というか、全体構成を考えた人はいたんだろうか?
●7月5日
4時にロビーに集合し、バスでプランバナンへ。現地6時頃着として、閉会式、ディナー、ラーマーヤナ舞踊劇鑑賞があって、9時半にはホテル帰着という予定だから、30分くらいにまとめた学会用別注・ラーマ―ヤナ舞踊でもやるんだろうか…と思っていたのだが、これも予想が外れた。劇場には私たち招待客以外に普通の観光客もいて、フル・ストーリーのラーマーヤナ・バレエを、普通に3時間やってくれる。終わったら既に10時半。一般公演を見せてくれるなら、終演時間はあらかじめ分かるはずなのに、なんで事務局はその辺をちゃんと押えないんだろう?というわけで、またしてもぐったり。公演を見に来るのが目的でここに来た人なら、公演が3時間でもいい。私個人としては満足。けれど、学会のついでに何も事情が分からないまま連れてこられた一行にとっては、苦行以外の何物でもない。夕方に、閉会のティーパーティをホテルで軽くやって、公演鑑賞はオプションツアーにしたほうが良かったのではないかと思う。バスで1時間半の距離、公演は3時間ということを明示した上で。もっとも、この夜のディナーと舞踊鑑賞を主催した観光創造経済省としては、ぜったいにこの場所に一行を連れてきたかったんだろうけど。
ディナーに関しては、昨日とは違ってBGMは音量が控えめで、落ち着いて話ができる。プランバナン寺院も真ん前に見えるし、いい雰囲気だ。ビュッフェの食事もおいしい。さすが、市より国の方が予算は潤沢なよう。工芸品のお土産つきである。しかし、劇場のトイレがだめだった。女子トイレはたった3つしかないのに、3つとも壊れている。しかも前半と後半の間の休憩時間はたった10分。これに私はぶち切れたので、教育文化省の芸術局長(ここには来ていない)に苦情のSMSをする。今回だけに限らないが、インドネシアの人たちは、トイレやインフラ整備でサービス・レベルに差がつくという自覚がないので、壊れているトイレや水の出ない水道を平気で放置する。予算がないとか、トイレタリ用品の質が悪く壊れやすいというのもあるだろう。けれど、無駄に観光に連れまわしたりお土産をつけたりするお金があるなら、劇場のトイレの修理&増設に予算をつけてほしい。
ラーマーヤナ・バレエの方だが…思った通りロロジョングラン財団の団体が上演。ラーマーヤナ・バレエは、現在ではジョグジャカルタ近郊のいろんな舞踊団が順番で上演するが、ここが一番古い。ラーマ役はパ・テジョでロロ・ジョングランのラーマといえば彼。そして、彼の息子がラーマの弟役をやっていた。ちなみにこのラーマーヤナ・バレエもソロで作られた。ラーマーヤナ・バレエは1961年にインドネシア初の本格的な観光舞踊として始まったものだが、この国にしては、すでに伝統舞踊の域に達している。しかし、ラーマーヤナ・バレエ初演当時にはフル・ストーリー編はなくて、全体を6エピソードに分けて上演した。今ではフル・ストーリー上演の日と6改め4エピソード(よって、4日シリーズで完結)上演の日がある。
今回のフル・ストーリーの公演を初めて見て気づいたのだが、これはラーマの弓取り?姫取り?の場面から始まる(もうちょっと前の場面だったか?)。シータの父王が、強弓を弾くことができる者にシータを与えるというお触れを出して、ラーマがそれを弾いてシータを妃にもらうというシーンだ。このシーンは、ラーマーヤナ物語を舞台化する上では普通入れられるものだが、実はオリジナルのラーマーヤナ・バレエにはこのシーンはない。オリジナルの第1エピソードでは、放逐されたラーマ、シンタ、ラクスマナの3人が森に登場するというメルヘンチックな場面から始まる。
ラーマーヤナ・バレエは元は満月の日をはさんで上演されたので、プランバナン寺院の上空には満月(に近い月)がかかっている。そこに、「パダ〜ン・ブラ〜ン…」と女性の独唱。満月の月が煌々と照り映え…という歌詞で(曲はキナンティ・ジュルデムン)、その声に誘われるようにラーマたちが登場するという具合で、ジャワ語の歌詞が分かる者には感動的な登場の仕方なのだ。往年の出演者にインタビューしても、その登場シーンが、インドとは違う、ジャワ・オリジナルの、斬新なラーマーヤナなのだという声が多い。(カスナナン宮廷詩人が書いたラーマーヤナを基にしている)今回も「パダ〜ン・ブラ〜ン…」の歌で始まったので、私も期待を込めて舞台を見つめていたら、割れ門の奥から登場したのは司会だった…。いきなりがっくりくる。この演出はないだろう。オリジナルを知らない人には分からないかもしれないけれど、これではせっかく作られた舞台の世界が台なしだ。
さらにこの後に続いたのが弓取りのシーンも、長すぎた…。そのくせ、それ以降にあるいくつかの見せ場の戦いのシーンが、どれもあっけなく終わってしまって不満が残る。練習時間不足か?(戦いのシーンというのは、普通、戦う2人の舞踊家どうしで打ち合わせて決める)。時代劇みたいに、息つく間もないほどの緊張した戦いのシーンを、これでもかと見せてほしい。最後に、ラーマーヤナ・バレエ一般の課題なのだが、群舞のシーン(とくに女の子)には、あまりうまい踊り手がいない。プランバナン寺院を借景にした大きい舞台だから、未熟な踊り手では間がもたないのだ。
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7月6日は参加せず。というわけで、言いたいことも山のようにあったが、有意義な学会観光だった。インドネシア側の段取りやらに不満はあるとはいえ、日本でこういう観光とタイアップした学会開催は難しいかもしれない。今回参加した日本人参加者から、その人が参加するある学会が国際大会を日本でしたとき、観光とタイアップしようとしてうまくいかなかったという話を聞いた。その点、インドネシアでは、観光は重要な産業だと認識されているから、観光に関してはとにかく官民一体で頑張っているという感がひしひし伝わってくる。こういうところはやっぱりインドネシアに脱帽だ。
ただ、インドネシアの弱点は、上で述べたようなインフラ以外に、全体像を示すことができない点にある。会議参加者がソロに来て一番知りたいのは、ソロがどんな街かということと、連れて行ってくれる場所の説明なのである。ソロ市の地図とか、カスナナン宮廷、マンクヌガラン宮廷の観光用チラシ、ロジ・ガンドロンのいわれについてのメモ、ラーマーヤナ・バレエのあらすじ(劇場には備え付けでおいてあるけれど)などを学会キットに入れておけば、参加者の記憶にも残り、今後の観光促進にもなるのに。インドネシアでは、今回に限らず、そういう点の努力が足りない。それに、せっかく研究者が大量に来ているのだから、ダナルハディの近くにある本屋や、ホテルの向かいにあるモニュメン・ペルス(プレス関係の博物館)も案内すれば、ソロについて関心を持つ研究者も出てくるかもしれないのに…。観光が芸術とだけしか結びつかないというのも、だめだなあという気がする。