犬狼詩集

管啓次郎

  51

パスクア(復活の島)とスペイン語は呼んだ
ラパ・ヌイ(大きなラパ)とぼくらは呼ぶ(ラパは別の島の名)
だがいつからここにいるのか、私たちの社会は
伝説が語るのはこの土地のひどい惨劇
すべての樹木を失った後、闘争と食人をくりかえし
島民は焦燥し脅えた目付きで互いの顔色をうかがった
けれどもそれから幾度か太陽が替わり
人々の体格も顔つきもずいぶん変わったように思える
遺伝的にいって自分が何者なのか、ぼくは知らない
言語学的にいって自分の言葉がどの語群に属するのか知らない
ただこの光が明るくみたす土地に生き
ここで公明正大に死んでゆくことを願うのみ
馬が殖えている、かれらも外来種だ
この島に暮らすわれわれのすべては外来種だ
跳躍と静止、夜と昼の連続的交替に
太陽が青く染まる瞬間と未知の故郷を思うだけ

  52

展望はダイアモンドヘッドの頂上にはじまる
まだあまり人が来ない三十年前のこと
シャンタルとそこに上がって太平洋を見わたした
ザトウクジラが噴く潮を目撃したかったからだ
そのころ彼女の名の由来をそれ以上気にすることはなかったが
やがてShandelというのがイディッシュ語で「美しい」
だということを何かの本で知って
シャンタルとシャンデルの関係を考えるようになった
展望は名前を介して遠い平野にひろがる
(ポーランドの緑の草原にバイソンが群れている
動物たちが野生であるとは人が手をふれえないということ
その移動、食事、生殖、生死に、人は関与してはいけない)
いまふたたびぼくはダイアモンドヘッドの頂上に立って
自分が生涯の食事と生殖のほとんどを終えたことを感じる
シャンタル、シャンデル、名前だけを残して野生に帰った彼女
きみの生涯をここで遠く展望しよう、別れを告げるため