しもた屋之噺(117)

杉山洋一

気がつくといつも月末になっていて、それまでに書くことは沢山あったはずなのに、いざ机に向かうとなぜか決まって頭の中に深い霧が立ちこめてきます。毎朝早く、朝食のパンを買いついでに息子と散歩していると、日の出がみるみる遅くなって、朝日も秋らしい乾いた黄金色に変わってきた気がします。

拙宅はミラノのナヴィリオ運河近くにあって、時折ネズミの親子が連れ立ってベランダで遊びにくるのも仕方ないかと、さほど気にせず暮らしておりましたら、壁伝いにネズミがやってきて困ると苦情を言われてしまいました。家の半分ほど覆っていたつる草を一気に剥ぐと、見通しこそ良くなり広く感じられますが、いきなり髭を剃ったときの気恥ずかしさがあり、土壁のつる草には可愛らしいクロウタドリも巣を作っていて心配していたのですが、こちらはどうやら難を逃れたらしく安心しました。

ブーレーズの「エクラ・ミュルティプル」を勉強していて、今月は作曲者の素晴らしい自作自演を聴きに出かけてきました。「エクラ」だけでなく「プリ・スロン・プリ」の名演にも立ち会えて、両作品の美しさはもちろん音楽的な作曲者の指揮に深く感銘を受け、特にフレーズやアウフタクトも思いがけずクラシカルに感じられたりもして、本当に目から鱗が落ちる思いでした。自分がどこまで出来るかわかりませんが、何れにせよ現在も健在な”名演奏家で大作曲家”と向き合うのは簡単ではありません。

ブーレーズの真似をするわけにもいかないし、真似をしないわけにもいかない。真似をしたところで彼ほどの演奏ができるわけがありませんし、真似をしなければ、彼の演奏に触れた意味もなくなるどころか、作曲者の意図に近い演奏に接したいはずの聴衆を欺くことにもなりかねません。ただ、作曲者の演奏ばかりを追い求めても、演奏を重ねるなかで変化してきたものもあるだろうし、作曲者のみに許される解釈もあるはずです。

作曲時と現在とで演奏の理想が違うこともままあるかもしれませんし、何が正しいか一概に言えないにせよ、少しずつ自分のスタンスを見つけていかなければなりません。それには譜面を地道に読みこむことだろうし、たぶん普段より読みこまなければいけないのだろうと思います。あと半世紀もすれば、ブーレーズもマーラーのように扱われる日が来るかもしれませんが、マーラーの当時と今とでは環境もずいぶん違いますから、たかが半世紀後であれ、やはりまた違う環境で演奏されているのではないでしょうか。その頃どんな風にわれわれの現代作品が扱われているのか、ちょっと見てみたい気もします。

先日、補完したドナトーニの出版譜2冊を初めてリコルディから受取り、13年ぶりに楽譜を広げてみました。今ならこんな風には直さない、こう書いただろうと嫌なところばかりが目に付き、自分がこれほどロマンティックだったかと呆れもしましたが、自分の主観に基づいて、生きている作者の作品に公けに解釈を施したというところが今回のブーレーズに少し似ています。

ドナトーニが糖尿病の発作で倒れ、朦朧とする意識の中で書きなぐった音符をどう解釈し繋ぎ合わせるか、出版社から頼まれていた締切りぎりぎりまで、全く手がつけられなかったのを覚えています。初めて作曲者に書き直した楽譜を見せたとき、彼が目の前でぼろぼろと子供のように大粒の涙をこぼしているのを、やり切れない気持ちで見つめました。自らの身の上に起こったとは思えない目を背けたくなるような現実を目にして、無言で立ち尽くして自身をきりきりと苛む姿にかける言葉もなく、大きな老人が、まるで子供のように小さく見えました。

あれから出版まで作品と付き合ったけれど、なんとなくそのままになってしまい、出版社に楽譜をほしいと言ったことはなかったのです。今になってコンピュータで清書された楽譜を手に取っても、自分が携わった実感が沸きませんでしたが、ページを捲っていって無残に残された無音の小節を見たとき、途端に気持ちが塞ぐのがわかりました。どうにもこじつけようがなくて、結局手稿通り残した休符が暴力的に並ぶさまは、自分にとって荒涼とした光景以外の何でもありません。あちこち紫色に変色し、腐り始めた糖尿病末期の身体や、喉から飛び出していた数本の透明なチューブ、むっと鼻をつく病人の臭いと掠れた呼吸音。びっしりと記憶がはびこった小節たちは、息をひそめて、じっとこちらを見つめていました。

(9月29日ミラノにて)