夏休み

三橋圭介

アメリカで書かれた現代音楽の本の翻訳を約7ヶ月間やっておりました。アメリカの1950年代から1980年代の実験的な音楽を中心に、引用の織物のようにまとめられています。日本ではまったく知られていない名前・作品も多数登場して、なかなか難儀な代物でした。前衛と実験というデンジャラスなフルコースを好き嫌いもいわずに食い散らかし、腹痛と脳内爆発するスリリングな毎日は、今日で終わりました。本日、12時半に校了を迎え、原稿は出版者の方へとグッバイしたのであります。気が抜けて呆けて目はうつろというのはいい過ぎです。まだ意欲はあるようです。帰りに本を3冊買いました。一冊アヴァンギャルドと名前の付いた本もあります。日々の習性からか、思わず手が出てしまいました。一瞬ためらいましたが、この習性を生きるのもの人生かと思い、「エイ、ヤー」と買いました。もう一冊は森見登美彦の新釈「走れメロス 他四篇」です。「山月記」も入っているので買いました。中学生の頃、わたしはこれをすべて諳んじることができたのです(なぜか友人のなかで流行っていました)。「ろうせいのりちょうははくがくさいえいてんぽのまつねんわかくしてなをこぼうにつらねせいけんかいたのむるとこすこぶるあつし…」、そして虎の「あぶないところだった」というスリリング(?)なところが好きだったのです。新釈ではどんな風に表現されているか楽しみに読みましたが、採り上げられていませんでした。残念です。もう一冊は秘密です。なぜって…。これから夏休み、精進しに京都にでもいきましょうか。