オトメンと指を差されて (38)

大久保ゆう

 わたしは忘れ物がひどいのですが、別に物忘れがひどいというわけではなく、なぜかよくわからないのですが、家を出るときなどにうっかりしてしまうらしく、とはいえむろんのこと普段から支度がずさんなどということはなく、むしろ念入りといっていいほどで、ちゃんとメモなりを用意して不備がないかどうか確かめるほどであるのに、それでも忘れ物をしてしまうという残念な結果に至るにあたって、ほとほと自分のアレさ加減にあきれてしまうのですが、そのあたりのエピソードを思い出してみるに、以前わたしの鞄は重いというお話をしましたが、それは幼い頃から変わっておらず、たとえば小学生のときもランドセルはぱんぱんで、つまり必要なものをひとつひとつ精査して入れていったあげくそうなるものなのだけれども、ある日その入念に準備したランドセルそのものを忘れるという事件が起こった際には、あまりの忘れ物にさすがにわたし自身も頭のなかが?でいっぱいになったのでありますが、一緒に登校していた友人になぜそのような大事なことを学校に着くまで言ってくれなかったのだと問いますと、「そんな忘れ物をするなど思いもしないからわからない、というかおまえがそんなことをするとも思えないし、そもそもあまりに自然に歩いているからランドセルを背負ってないなんてことがわかるわけがない」といった趣旨の返事がかえってきまして、まあ本人はランドセルを背負ってると思いこんで歩いてそのまま目的地に辿り着いているのですからその通りだとも感じながら(そもそも自分で気付けという話でもありますが)、しかしこういうことは程度の差はあれよくあることで、宿題にしてもそもそもやることを忘れるということはなく、しっかりやったにもかかわわらず家に置いてきてしまうという類のことが多く、おそらくそれは宿題をやった満足感から自分のなかでその問題は終わったことになってしまい、それで翌日すっかり頭からそのことがなくなってしまうのだろうと考えたところで、それ以後ずっと変わらず続くことであるのでどうしようもないわけなのですが、それにしてもまた小学生のとき、わたしは休みの日に登校してしまったことがあるのですが、しかしそこに至るまでに朝起きてごはんを食べて着替えて支度をしてランドセルを背負って出かけるという手順があるわけですから、家の者のだれかがわたしを止めてもよかったのではないかと思いつつ、あとから聞いてみるとやはり誰も違和感を抱かなかったらしく、やはり普段の行いから「いやいやそんなまさかそんな間違いなんてしまいだろう」と思われているところがあり、確かに休みの日に登校するなどというのはランドセルを忘れるのと同様、マンガか何かのなかのギャグにしか思われないわけですから、祝日で休みであるはずの家族にもむしろ「まじめなあいつがわざわざ準備をして出かけるからには今日は授業以外の何かがあるに違いない」と思わせるものがあったようで、そのあたりはわたしの人となりのなせるわざともいえるわけですが、ある種のまじめさがあだとなるという事態はそれこそ日常から無数にあり、一例を挙げると、外でご飯を食べる際、割り箸がでてきて、箸置きがないということもよくあるわけですが、そういうときにはできれば自分で箸置きを作りたくなるのがわたしであり、袋付きの割り箸であればその袋をはずしてそこから紙を折り折りするわけなのですが、そちらに夢中になっていると、わきに立てかけておいた割り箸にひじなど腕の一部分などを当ててしまい、そもそもの箸を床に落としてしまうという、もはや元も子もないというか、何のために箸置きを作っていたのかという無情感にとらわれずにはいられないわけですが、このような頑張ったあげくにどうこうということは仕事でもよくあり、たとえば人の名前の取り違えとか単語のスペルミスは誰しもやることではありますが、わたしはとりわけひどいので、できるだけしっかり調べてからチェックしてから書こうとするのだけれども、そして調べてメモをして、それを見てああこうなのだ間違わないようにしようと意識して入力したりなどしているにもかかわらず、最終的にやっぱり間違っているという、こうなっては自分にはいかんともしがたいのではないかと思ったりもするのですが、言い訳にはならないものであり、それはまたわたしの迷子っぷりにも同様に当てはまることではあるのですが、それについても、みなさんもうご想像がおつきのことと思われますが、どこか初めての場所に行くときは、しっかりと地図を用意し、なおかつ早めにつくように余裕を見て自宅を出る訳なのに、どういうわけか地図を見ながらにして道に迷い、そのたっぷりある時間をそれ以上に使ってしまい、結局は遅刻するという、この点については青空文庫のみなさまもよくご存じであると申しますかこちらからは平謝りをするしかないのでありますが、再び今となってはもうこれは一生変わらないものなのであろうとあきらめつつも、それでも何とか未然に防ぎたいという、複雑な感情を持ち合わせているわたしに対して、あるときある人が言うには、「おまえは丁寧なおっちょこちょいである」とのことで、けだし至言であると思うのです。まる。