1月1日:「ケータイなあ。ああどうしようかなあ。結構悩むねこれ。俺が優柔不断なだけか。ははは。そこまで笑うことはないだろ。まあ確かに優柔不断ではある。これは認めるとして、さあどうするか。変えるべきか変えざるべきか。あ。なんかこんなのあったよな。何だっけ? 小学生にわかるはずないか。まあいいや。ははは――」。
(・x・ノ)ノ⌒ポイッ……デキナイ
五感を意図的に動員して生きていると、エピファニーの沼に沈み込んでいく。感覚レベルにおける異種格闘技である。複数のものがぶつかり合い対立していても、そうしたこと自体で関係が生まれる。こうなると無関係と思われる物に思いをはせてみても徒労に終わる。アメーバのようにくっついて顕現顕現と物申す。プラスαの苦難そのもの。
(*´[]`)=3 はぁぁぁ
しかしなんで飲んじまうかなあ。酒は飲んでも飲まれるな、か。いいこと言うね、先人は。わしにとって先人とは、おやじしかいない。おやじも言われてたなあ。酒は飲んでも飲まれるな、とな。おやじにとって先人とは、わしのじいさんしかいない。じいさんも言われてたなあ。酒は飲んでも飲まれるな、とな。じいさんにとって先人……。
クゥーッ!!”(*>∀<)o(酒)”
鬱になると動けなくなる。心の深遠から不断の苦悶がせり上がってきて懊悩、呻吟する。目も開けていられない。まぶたを起こすのもひと仕事だからだ。見ていようがいまいが、皮膚の外はどんでもない世界に変貌する。丸まって動けず呼吸だけしている。そういう生き物になる。悩める人の友、死ですらこの時ばかりは死んでいる。
┌┤´д`├┐ダル〜
\(○^ω^○)/
1月1日:「あやっぱりどうしようかなあ。今のままでもいいっちゃいいんだけど、みんな持ってるしなあ。俺も持ってたほうがいいのかなあ。どうしたもんかなあ。スマホに変えたとしても、すぐに新しいのが出るしなあ。買ったはいいけど、使うの結局メールと電話だけだったりしそうだもんなあ。いやー難問難問。まいったねこれは――」。
(σ´.ω.`)…。oо○ウーン・・・
面白い人間には、ひと癖ある者が多い。その一人、Mはドイツ人の兄がおり、小さからぬ山を所有し株で儲けていた。もちろんすべて嘘である。こちらも嘘で応酬するものだから、そのうちお互いに話のつじつまが合わなくなり、苦笑する。数十年ぶりに偶然会ったのだが、Mは名前を変えMであることを必死に否定した。やはり面白い人間だ。
(;≧∇≦) =3 ホッ
こんなようなぶんしょなどよむよもっとおもしろことがよのなにあるはずだ。でもこまでよみすめたあなたはただそれけだのりゆうでたぶんえらい。うっとうしとおもったひとはただちほんをとじたらいい。あらたしいふりすびーになるかもしれなしちょっとしふみだいにもなるだろから。まあそういひとはほんなかんよまないものだろけれど。
y(^ヮ^)y
1月1日:「まあ今すぐ買い変えなきゃならないってわけじゃないんだけどさ、こういうのって結構長く使うものだから、ついつい慎重になっちゃうんだよな。みんなが変えたからって俺もまねしたら、前のほうがよかったなんてことにもなりかねないしな。後悔先に立たずっていうだろ。でもまあここまで悩む必要があるのかどうかだな――」。
ドウスルカ ( ̄へ ̄|||) ウーム
病気や避けられぬ事情で青春を奪われた人間は、根強い悔恨と屈折に起因する恨みのかたまりだ。いや、恨みどころではない。熱い熱い殺人的激情が人間化したものである。だが、この世界内存在は、外貌からは判断がつかない。激烈な感情の対局に温厚で誠実な側面を持ち合わせているからだ。振り子の理論。生真面目さを全否定されたら……。
ー ̄)ニヤッ
人が、いる 街が、ある――世界の終わりを感じた。
ゞ(´Д`q汗)+・.
誰もが人間喜劇における類人猿ならぬ演人類。各々の役割は確定している。毎時いくつかに分類されたシットコムに参加している。使用される言語内容に大差はなく、時には即興のセリフが飛び出す。言語内容だけではない。動きもまた台本通り。奇妙なコメディの参加者が社会人と呼ばれ、我流を通す者は芸術家もしくは人でなしと呼ばれる。
(・-・*)ヌフフ