しもた屋之噺(112)

杉山洋一

昨晩二週間ぶりに家人が東京から戻ってきました。本来なら6歳になった子供をつれて東京へゆくはずでしたが、出発直前に震災に見舞われて、子供を日本につれてゆくのは止めました。明日には家人と入替わりに単身日本へ発ちますが、数日でも家族が揃って過ごすのは何より嬉しいものです。

今年は息子と二人きりで過ごす機会が多く、家事や育児に追われ仕事の工面が辛い以外、思いがけない発見もあり、親子の会話が増えたのは貴重な収穫でした。息子の誕生日には、小さな袋にさまざまな駄菓子を息子と詰めて、幼稚園のクラスメート全員に持ってゆき、誕生日会も友人宅で開いて頂いたし、授業やレッスンの時には友人宅で預かってもらったりと、それなりに慌しく時間が過ぎました。6歳の息子なりに、日本の地震は治まったか気にかけてみたり、母親はしっかりやっているかと案じてみたり、毎朝一人で起きてはそのまま机に向かって宿題をしたりと気丈に頑張る姿は、親ながらいじらしいと感心しました。

或る朝、子供を幼稚園に送って部屋に戻ると、食卓に鉛筆で書きなぐった息子の鳥の絵が無造作に放ってあって、思わず見入っていました。空を羽ばたく鳥の姿に心を打たれ、帰宅した息子に思わず本当にお前が書いたのかと尋ねると、怪訝そうな顔で頷きました。明日日本に発つ前、ファルスタッフの中表紙にでも貼りつけてゆこうと思っています。

美しい夜明けの小鳥の囀りに和み、朝食を交えて庭の樹の芽の成長を愛で、指差されるまま真っ青な空に走る一直線の飛行機雲に歓声を上げ、道すがら燃える夕焼けの色を熱心に説明する話に耳を傾け、引き算ドリルが難しいとマイナスに縦線を加えて全部足し算にした息子に雷を落とし、彼の希望に従って夕食を支度し、大騒ぎして風呂に入れ、時には喧嘩しながらごく普通の日々をやり過ごしていました。そんな当たり前の時間がどれだけ掛け替えのない日常なのか、身につまされました。

何時までも記憶に留められる気の遠くなるほど長い瞬間が、びっしり隙間なく積み上げられてゆく姿をただ呆然と見つめながら、先月までの日常が音を立て脳裏に食い込むのを薄く感じ、眼前に立ち籠める深鼠色の雲に目を凝らし必死に薄陽を探しています。

努めて今まで通り暮らそうとする自分と、それに疑問を投げかける自分がいて、無気力に襲われる自分と、それを諌める自分がいます。音楽の拠り所を信じる自分もいて、後ろめたい気分になぎ倒される自分もいる。思い切ってラジオの電源を切って外から耳を閉ざし楽譜に没頭していて、ふと音楽に救われている自分を見出し、目の前の風景がくぐもって見えました。

学生だったころ初演を聴いた「進むべき道はない、だが進まなければならない」が頭を過ぎりながら、ノーノの圧倒的な表現力の強さを思いだしていました。パリで「プロメテオ」を演奏したとき、最初の一音から会場が震えたのをよく覚えています。演奏の善し悪しなどでは全くなくて、演奏者と聴衆と作曲者が何かを一つのものを共有と切望し、互いが周波数が寸分なく合致したときに生まれた、圧倒的なエネルギーでした。信じることで初めて力が生まれます。信じなければたとえ正しくとも力を発さないのは、指揮と同じでしょう。誰もが自らの選択を信じる勇気と、その力を併せる勇気を信じて、とにかく足を踏み出さなければいけない。そう耳元でささやく自分を、とにかく信じてみたいとも思うのです。

(3月29日ミラノにて)