3月11日に地震があって、被災地の状況をテレビで見続けているうちに、何もやる気がおきなくなって、被災しているわけでもないのにだめじゃないかと思い直して仕事に行く日はなんとか起きて、落ち着かない街でうだつのあがらない仕事をして過ごしてきた。
スーパーの棚がガラガラになり、店が早く閉店し、エスカレーターが止まり、駅の電気が消え、行くはずだったライブがいくつも中止になってしまった。おまけのようなことばかりなのだけれど、こういうひとつひとつが何か意気消沈させ、元気を無くさせる要因となった。
繰り返されるACのCMにうんざりしていた頃、いとうせいこうが、ツイッターで文字によるラジオ放送をやっているということを知った。DJせいこうが、リクエストを受け付けてくれる。音はリスナーの想像のなかで鳴る。どこで放送しているのですかとまじめに聞いてきた人に、「心に直接届くラジオ」だぜと彼は言う。かっこ良いではないか!
「被災地のみんな、心の被災をしているみんな、こんにちはDJせいこうです。」と言って放送は始まった。卒業式ができなかったリスナーのリクエストに応えて讃美歌が掛かり(クリスチャンの学校だったんですね)遠藤みちろうのパンクバージョンの「仰げば尊し」が掛かり、「深い黙祷をお届けしたぜ」という時もある。いとうせいこう自身の曲をリクエストした被災地のリスナーに「ずっと歌っているから、つらい時は聞いてくれ」と答える。
「春が来てる。でも歩みが遅い。音楽で呼び込もうぜ。昔から人類はそうしてきたんだ。春がフラフラ寄ってくる曲、音、映画を今日はかけまくるぜ!」という日に、「俺たちが呼ぶ春は気象庁が観測する春じゃねえぞ。一瞬のうちに圧倒的な温かさで雪を溶かし、花を咲かせる想像力の春だ。目をつぶらないと現実に負けて消えてしまう春だ。だが、俺たちはそれを今、呼び込む。つまり祈りなんだよ。かの地への!」という言葉が続き、「リスナーのみんな、「想像力」ってのは、美しくて優しいばかりじゃないぜ。こんな時に春を呼ぶ、音が聴こえると言ってるのは不謹慎だし、非常識だし、ある意味逃避だよ。お前らをだましてるんだ。でも俺はこの虚構を続けるぜ。うしろめたさで毎日ふとんかぶりながら。」というつぶやきに続いていく。
彼が、本気でみんなを思いやっているのはわかってるよ。と思っていると、「さて、ここで俺自身がリクエスト。聞いてくれ。RCサクセション「いいことばかりはありゃしない」。爆音でいくぜ」というコメント。”そうこなくっちゃ、大好きな曲だよ”とうれしくなる。
想像ラジオに、彼の気概を感じる。2011年3月の覚書として「DJせいこうの想像ラジオ」のことを記しておきたいと思う。