しもた屋之噺(107)

杉山洋一

不思議なものです。前にこのカヴァレリッツァ劇場でオペラをやってから、もう4年の月日が流れたとはにわかには信じられません。今は演出稽古と衣装、照明の確認のための通し稽古の間の2時間の休憩中。そろそろ日が暮れてくる目の前の赤壁の前をゆきかう家族連れや学生をながめながら、原稿を書いています。

今日は土曜日。唯一の休日だった昨日をミラノと家族で過ごし、朝一番の急行でレッジョ・エミリアに戻ってくると、遠足にでかけるらしい幼稚園児なのか、新小学生なのか、スモッグをきた子供たちが列を組んで観光バスに乗り込んで、沿道の通行人に笑顔で手を振っていました。
いつも思うのだけれど、この街は不思議な空気が流れています。大学生が溢れ、若者のエネルギーが見ているのだけれど、混沌としたところがなく、道路の枯葉もきれいに掃かれ、誰もがもくもくと自分に与えられた仕事をこなしているのです。
劇場で働く誰もが、ほとんど4年前と変わらず、ヴァッリ劇場の受付の色黒の明るい中年女性も、カヴァレリッツァ劇場の受付のひとたち、舞台の裏方まで、本当にまるで時間がもとに戻ったかのように、3年前のちょうど今頃、サー二のオペラをやったときのままです。ただ、練習しているオペラが違って、演出家が違い、歌手が違い、今回は劇場俳優も3人いて、休み時間には彼らが長い台詞をつぶやきながら、舞台を歩いて静かに稽古をしています。

チョムスキーの提唱する言語学の説明から経済学へと議題は発展し、ネオ・リベラリズム、グロバリゼーションのディベートにまでスタジオでのTVショー形式で発展し、最後は関係者全員が舞台に下りて、自分たちの自由を叫ぶのです。目に見えないマスメディアやコマーシャリズム、正義のための戦争によるわれわれの自由の破壊を超えて、最後は誰もが同じ平等な立場で、自由を叫ぶ。そういうプランを演出のフランチェスコ・ミケーリは情熱的に説明しました。

小さな細胞のようなフレーズを無限にフラクタルに拡大してゆくカザーレの音楽は、樹木をさかさまにしたようなチョムスキーの文章の分析作業をそのまま音に移し変えたようで面白く、売れっ子エンターテイナー,クリスティーナ・ザバッロー二の歌も、めまぐるしく変わる声色を自在に変えて、それは見事はものです。

毎日カザーレと昼食をともにしながら、本当にずいぶんたくさんの話をしました、そんな中で、ひょんなことから、彼と92年、シエナのキジアーナ夏期講習で一緒だったことを知りました。彼はその頃ちょうど作曲をやめていたころで、ペトラッキのコントラバスの講習を受けにシエナにきていたのです。
その少し前、彼はとあるシチリアの高名な作曲の教師のもとで作曲を学び始めたところでした。はじめ、レッスンに出かけると、その教師はまず彼の父親が職業を聞いたそうです。林業だというと、そりゃ駄目だな、と首を振ったということです。

初めに提示された10万リラのレッスン代は払えないというと、仕方がない半額の5万リラでいいと言われたそうですが、彼は同時に別の部屋で二人の生徒にレッスンをしていたそうです。こちらの生徒に課題を出して隣の部屋で同じことをいい、またこちらの部屋に戻ってきて5万リラ。その上、書いてよいものは制限された古典的なスタイルだけでした。
少しモダンな作風で書いてゆくと、こんなものは100年早いと怒鳴られるありさまで、ついに怒り心頭に達して、宿題の作曲に4小節ほど「死と乙女」の2楽章をそっくり引用してみたところ、案の定、なんだこれは、と怒鳴られて全て直されたことが切っ掛けで、作曲が馬鹿馬鹿しくなってやめてしまったというわけでした。

それから暫くして、先述のぺトラッキの夏期講習に参加し、ときどきドナトーニの作曲のクラスに遊びに来ていたのです。そのとき作品を見せたドナトーニが、エマヌエレの作曲の才能を見出して勇気付けたのが、彼の作曲家への道を開いたのです。
「悪い教師に習うくらいなら、独学のほうがよほど身になる。教わって作曲できなくなるよりは、教わらなくて作曲できるほうが余程ましじゃないか」。彼は繰り返して言いました。
「だから、パレルモの音楽院で作曲を教えるようになったとき、生徒が作曲できるようになる手助けをしたいと思ったのさ」。

ですから、話を聞く限り、彼の作曲の授業の様子はなかなか興味深いもので、まず手始めに、自分の弾ける楽器を持ち寄って、とにかく集団で即興演奏を繰り返します。
そうしながら、生徒はまずアフリカの民族音楽などを手本に、さまざまなリズムを勉強する。無限に変化し続けるリズム、フレーズで戻るリズム、2拍子系、3拍子系のポリリズムをかなり複雑なところまで学んで、リズムだけを作曲するのが1年目。つぎに、楽器や音色を電子音楽の基礎やスペクトルなどと共に学んで、1年目に作ったリズムに音高を当てはめてゆくのだそうです。同時にさまざまな作曲家のスタイルを分析しつ勉強していきます。

ドナトーニやブーレーズ、ベリオ、シャリーノ、クセナキスのような世代から、フェデーレなど中堅の世代まで、できるだけ多くのエクリチュールに馴れて、自分で真似して書けるようになってから、自分の作品の作曲に入るのだそうです。
これは恐らくエマヌエレが実践したプロセスだったに違いありませんが、まずリズムから入るというのが面白く、実用的な気がします。
彼がロベルト・ファッビと一緒に書いたトーク・オペラ「チョムスキーとの会話」の台本は次のとおりです。 →  台本を読む

3人の俳優、1人の歌手、小オーケストラとヴィデオのための「チョムスキーとの会話」は、最後に10秒ほど実際のチョムスキーの近影がヴィデオで投影され途切れるところで幕となります。
ノーグローバルの激しいデモの印象くらいしかなかった自分には、考えさせられることの多い経験でした。何が正しいかという判断は自分には出来ないとしても、事実の片鱗程度は頭に留めておきたいとも思うのです。

(10月6日レッジョ・エミリアにて、29日ミラノにて)
追伸: カザーレと長年一緒に勉強しているロクルトの2作品が11月3日東京の入野賞30周年記念演奏会で演奏されます。ロクルトはこの機会に東京を訪れるのを愉しみにしています。
http://www.youtube.com/watch?v=8jD9emxncRo