まだ、ガ〜〜〜〜、ダッダッダッやらの音が響いている。いつ終わる補修工事。いつ布団がまともに干せる、と思いつつものんべんだらりとテレビを見ていたら、化粧品のCMで聞き覚えのあるメロディの歌が流れた。ネットで調べるとすぐに曲名がわかった。「What A Friend We Have In Jesus (邦題:賛美歌312番「いつくしみ深き」)」、歌っているのはUA。旋律はライ・クーダーがアルバムでやっているバハマのジョセフ・スペンスの曲と同じ。ジョセフ・スペンスは1920年代にメディスン・ショーの一行とアメリカ南部を旅していた、と昔のライ・クーダーのインタビューにあるからそのころに覚えてバハマでもずっと歌い続けたんだろうか。それが1965年にフィールドワークで採録され、ギター・スタイルはライ・クーダーに影響をあたえ、日本では高田渡の音楽にも影響が見られる。ジョセフ・スペンスのギターのチューニングはドロップDでキーはDなので似たようなフレーズがどの曲でも聴こえてくる。
先月の笹久保さんのギターのチューニングの文章がとてもおもしろかった。ほんと、なんでEADGBEといういわゆるレギュラー・チューニングというものがこんなに勢力を増したのだろう。次の弦との音程は四弦まで完全四度なのに五弦で長三度、それからまた完全四度となっている。ためしに全部完全四度、EADGCFにしてみて、六弦からドレミファと一弦まで弾いてみる。弾きづらっ。そりゃ慣れていないから。それ以外にも指の動きが二弦から一弦はポジションが下がる。音は上がるのに指は後ろにあと戻り、というのが気持ち悪い。それを無くすために、六弦と一弦を2オクターブ違いのEにして、同じフレットに収まりよくしたいがため、途中で長三度にしたのだろうか。四弦に二弦をたしてそうなったのだろうか。遊びついでに、次は六弦を一音下げてDADGBE、ドロップDにしてみる。そうすると、五弦、六弦の単音弾きでそれらしい、ブルースのなんちゃってリフができる。一音下がった六弦は張力が弱くなっているのでチョーキングをグイっと入れるとなお効果的。六弦から四弦までのDADはお三味線だと二上がり。次は五弦を一音下げて本調子にするとDGDGBE。今度は五弦から三弦で二上がりができここでおいしいフレーズを作る。ついでに一弦を四弦のオクターブ上のDに合わせるとオープンGでストーンズの「ホンキー・トンク・ウィメン」のチューニング、ふるくはデトロイトのジョン・リー・フッカーがよく使ったチューニングになる。これでワン・コードでブギ、なんちゃってジョン・リー・フッカー、もっと古いと、デルタ・ブルースの父チャーリー・パットン、もしくはサン・ハウスごっこができる。ここまで古くなると親指で六弦をバッツンバッツン弾くので、まわりの方々の迷惑になる。家族に邪険に扱われるので家に誰もいなときにやってみる。
サン・ハウスは再発見され映像も残されている。初めて見たとき、その手のでかさとバッツンバッツン連発にびっくりした。今じゃネットで「Son House」で検索するとすぐ見ることができる。見るべし。ここらへんまでは主にアメリカのものでイギリス、ブリティッシュ・フォークになるとデイヴィー・グレアムのDADGADというチューニングがある。このチューニングはバート・ヤンシュ、ジョン・レンボーンを経てジミー・ペイジもよく使うチューニング。アフリカを調べると、マリのアリ・ファルカ・トゥーレがまたちょっと違うチューニングをしてるし、ハワイのスラック・キー・ギターになると弾く人でそれぞれ異なるチューニングがあるので手に負えない。これはスティール弦だからできたのであって、ナイロン弦のギターであればゆるくて弦がベロンベロンで音にならないと思う。六弦がふつうにBまで下がったりする。
こうぐだぐだと遊んだ原因はエリック・クラプトンがクリームの時代にカヴァーしたスキップ・ジェイムスの「I’M SO GLAD」を通常の調弦でやっているのをスキップ・ジェイムスと同じようにオープンDmにしたらその時代に連れっていってくれる感覚、錯覚がしたから。今のロックは、異なる響きとニュアンスを得たいときその調弦で演奏するようになったのか。
で、いろいろ遊んでみて結局自分は一番はったりがきく、DADF#ADのオープンDに落ち着き、堅気の仕事にもどる。