しもた屋之噺(90)

杉山洋一

1年前のある冬の朝、庭のタイルの上に凍えて息絶えていた黒い鳥を、庭の端に穴を掘って、そっと埋めたことがあります。先月、ミラノを訪れていた母から、蔦の絡むレンガの壁づたいの、ほら、あそこの繫みに可愛らしい黒い鳥の巣がある、と指差され、春の到来で忙しく行きかう番いの鳥をながめて過ごしていましたが、あるとき気がつくと、昨年、円らな目を見開いて、すっかり堅くなっていた小さな黒い鳥を埋めたのは、まぎれもなく、その巣の真下でした。

今や、その巣から、羽根も生えそろわない幼鳥たちが、連れ立って庭の芝へ降り立っては、頼りなく整列しながら何か啄ばんでいるのか、ただそぞろ歩きをしているのか。いずれにせよ、愛くるしい光景に思わず頬がゆるみます。単なる偶然かも知れないけれど、万が一にも偶然だけではなかったかも知れない。ドヴォルザークの「野鳩」をふと思い出しましたが、庭でチュルリン、チュルリンと呼び交わしあうオレンジ色の嘴の黒い小鳥は、ずっと無邪気なものです。

4歳になった息子が、この処、すっかり絵を描くことに夢中で、寝てもさめても絵を描いていることもあって、来週日本に戻る前にと、子供と家人と連れ立って、ドゥオーモ脇の王宮美術館でやっている「モネと日本」展と「イタリア未来派」展にでかけてきました。

自分が勉強しているドビュッシーのイメージを具体的につかみたくて、直にモネを見たかったのですが、まるで自分が読んでいるスコアのように感じられるのにはびっくりしました。叩きつけるような強い筆致から、小刻みに震えるオーケストラから立ち昇る和音、イメージ、色。近視眼的というより、むしろ、題材から視点を離し、俯瞰するように描く風景は、北斎や広重の影響を指摘されても、あらためて納得できる気もしましたし、香気とでも呼べばよいのか、湧き上がるような光の奥で、おそらく本人以外見えず、聴こえない領域で、実にしっかりと、そして生き生きと作品が息づいていることに圧倒されます。

二人を印象派で括る先入観は、殆ど意味を成さないでしょうし、本人たちも喜ばないとは思います。ただ、イタリアに住んで、イタリア的な触感で音や絵画と暮らしていると、音響や光によって、「超2次元的」に題材を扱う姿勢は、文字通りフランス文化以外の何ものでもないとおもいます。「超2次元」というのは、一見2次元の平面的、静的な捉え方をしているようで、その実、内部でとても激しいドラマが沸きあがっている、とでも説明すればいいのでしょうか。さもなくば、表面がその香気でコーティングされているとでも言えばよいのか。

イタリアは、絵画、音楽、料理、すべて、フランスの洗練された表面の香気からほど遠い文化であって、情念は情念のまま表現し、題材、素材をそのまま生かし、直情的なほどに表現します。そんな国に住んで、直情的に日々を過ごしていると、余計、モネやドビュッシーに圧倒されるのでしょう。同じオペラであっても、バレエもふんだんに取り入れた豪華絢爛なグランドオペラと、ヴェルディのオペラを比べてみれば、明らかです。

驚くほど美味で、はっとする彩りのソースを掛けられたフランス料理と、ただ肉を叩き、塩と胡椒をふって焼いただけのイタリア料理。どちらにもそれぞれロマンとドラマがあるのは言うまでもありません。ただ、驚くほど違うわけです。和音ひとつをとってみても、機能和声の輪郭を崩し、ぼかし、和音を積みかさねて旋法に溶かし込んでしまったフランス印象派の時代に(カセルラは例外としても)、レスピーギやブゾーニは、バッハやフレスコバルディの古典をどこからか発掘してきては、ダンヌンツィオのように士気昂揚すべく大仰な衣を着せ(一切和音には手を加えず!)、まるでミラノ中央駅のように無骨で巨大な、オクターブばかりのピアノ作品へ編曲していたのですから。

細密にわたりびっしり、しかし静的に書き込まれた無数の光、素っ気ないほど突き放した色気のない速度表示、偏執狂的に固執した対比率と、几帳面なほど正確な数字。ドビュッシーの楽譜は、そのまま、絵画のようにすら見えます。額縁にきちんと収められて書かれた絵画は、ひとたび音が鳴り出すと、めくるめく瞬間が、うず高くそそり立ったかとおもいきや、洪水のよろしく一気に外へ溢れ出てゆきます。

モネのあのなんとも言えない空の色。水の色。薄く澄んだ紫、くすんだ水色やくぐもった桃色。フランス料理のソースを思わせる美しく香る中間色は、フランス印象派の影響をつよく受けたはずの、イタリア未来派の画家たちでさえ、一切見られません。光線そのものがイタリアとフランスでは少し違うのかもしれない。そんなことすら頭を過ぎるほどです。

尤も、愚息が興奮していたのは、モネ展よりむしろその後に出かけたイタリア未来派展の方で、とりわけバッラが1916年に製作したディアギレフのバレー「花火」のための「発光する舞台装置」のところで、ストラヴィンスキの音とバッラの組合せにすっかり夢中になり、どれだけ長い時間釘付けになっていたことか。あそこで息子は踊りだしたかったに違いありませんが、流石に恥ずかしかったのか、座ってじっと舞台を眺めてくれて、こちらも安堵しました。

モネと未来派を立て続けに訪ね、フランスとイタリアの文化の相違を如実に実感したのも愉快な経験で、どんなキッチュを企んだとて、所詮イタリアはミケランジェリやダヴィンチを生んだとんでもない国であり、ルネッサンスが花咲いた国であり、それを否定すれば否定するほど、そこが浮上って見えてしまう、と妙な感心をしました。アナーキーだった筈の未来派が、結局ルーチョ・フォンターナを生み出すまでに至り、その後のイタリアを決定づけたのですから、振り返れば、実に偉大な20世紀の文化運動だったことに気がつきますし、あれだけ充実した未来派の展覧会を実現させた企画者の心意気に、揺ぎ無い誇りが感じられます。

さて、来週から久しぶりの東京です。桐朋のみなさんとどれだけ楽しく過ごせるか、今からとても愉しみにしています!もちろん、味とめの納豆ピザを忘れる筈はありませんから、どうぞご心配ありませんように。

(5月18日 ミラノにて)