メキシコ便り(21)新型インフルエンザ、その後

金野広美

4月の末、メキシコから始まった新型インフルエンザの世界大流行でしたが、ここメキシコではあのことはまるでうそだったかのように、すっかり沈静化して、日常生活がもどっています。いまではマスク姿もほとんどなく、食べ物を売る店の人も申し訳程度のあごマスクです。私も5月の中旬くらいまでは、日本から友人が心配して送ってくれたマスクをしていましたが、今ではなんだか「私はインフルエンザにかかっています」と宣伝しているみたいで肩身がせまく、そのうちバッグに入れて外出することも忘れるようになってしまいました。

メキシコで4月23日、最初に発表された死者数68人も時間がたつにつれて減り、また増えと情報は錯綜しましたが、この数字はメキシコの検体能力が当初はなく、はっきりと新型インフルエンザとわからなかった人もすべて含まれてしまっていたためでした。持病をかかえていた人も多く、その中の半数近くは超肥満の人だった、とかいわれています。メキシコにはとても太っている人がたくさんいます。100キロ越しているのはざらで、日本の肥満とはスケールが違います。食事は脂っこいものを大量に食べ、大好きなおやつはコーラとポテトチップスです。これで太らないはずはなく、ゆさゆさと巨体を揺らしながら歩いています。それでいてテレビは、やせ薬やダイエットマシンのCM花盛りなんですよ。なんともせつないことです。

衝撃が世界中をかけめぐってから、私の学校では5月はじめには日本人が大半いなくなりました。私はもちろん帰国しなかったのですが、メキシコから世界へと感染が広がるなか、今では帰国しなかった私の判断は正しかった、と友人や家族からお褒め?の言葉をもらいました。
私は帰国をみんなから勧められたとき、3つの理由をあげ、帰国しない旨を伝えました。この事件がはじめてメキシコで起こり、日本人の友人たちが、次々帰国するといってきたとき、「帰るところがある人はええわなー。どこにも逃げるところがないメキシコ人はどないしたらええんやー」と密かに心の中で思ったのが1番の理由でした。そして2番目はこの事件はメキシコから始まったのだから、そのあと世界に広がっていくでしょうが、1番初めに収束するのもメキシコからだと思いました。そして今、まさにその通りになりました。3番目は日本に帰ったら機内検査で4、5時間拘束されるということでしたし、おまけに最初の感染を疑われた女性に対する人権蹂躙とも思われる対応ぶりを知って、帰りたくないと強く感じたことなどでした。

足早に帰国した友人たちは、帰ったことを後悔している人も多くいます。ある女子学生は帰国に関して学校側は彼女の判断に任すといってくれたにもかかわらず、彼女のお母さんが1日に5回も泣きながら、少しでも早く帰るようにと電話をしてきました。彼女はこのまま勉強を続けたかったにもかかわらず、お母さんを説得しきれず、泣く泣く帰国していきました。そして日本に帰ったら今度は復帰した日本の大学が休校になり、ふんだりけったりの目にあったのでした。

そして別の友人ですが、彼女とは帰国の前日会いました。やはり彼女も帰国したくなかったにもかかわらず、お母さんに懇願され帰ることになりました。帰国してから10日間はホテルに泊まるよういわれたのですが、日本円がないので、お母さんが空港までもってきてくれることになりました。そのときお母さんは「マスクをして封筒に入れたお金を、おはしで渡すから」といわれたそうです。彼女はすごいショックをうけ、すっかり落ち込んで泣きそうになっていました。それはそうですよね。まだ感染しているとわかったわけではないのに、実の娘をバイキン扱いするのですから、彼女が落ち込むのは当たり前です。私は彼女に「お母さんをここまでおかしくさせているのは日本の報道やろうから、決してお母さんを恨んだらあかんで、ほとぼりがさめたら、きっと元のお母さんに戻らはると思うで」と声をかけることしかできませんでした。

私は日本の新型インフルエンザに関する報道はネットでしか見ることができませんでしたが、彼女たちの家族の反応ぶりをみると、その過剰ぶりが十分想像できました。日本にいる家族がここまでヒステリックになり、冷静さを失くしてしまうような報道内容だったのではないかと思います。この間のメキシコの実態とはかけ離れた報道といい、こんなときだからこそ、最も必要であるべきはずの冷静さを失わせてしまうような報道といい、私は今、ノーテンキすぎるメキシコにいながら日本を思い危機感をつのらせています。それは、もし、これから対応の仕方いかんによっては戦争につながってしまいそうなことが起こった時、相当ヤバイことになるのではないかという気がしてしまうからです。