9月3日から7日まで、「島根・インドネシア 現代に生きる伝統芸能の交流」という企画を実施していた。主催は三保三隅百姓会・パサール満月海岸で、私自身はコーディネート、通訳、それに舞踊家という役どころ。9月7日(日)湊八幡宮(浜田市三隅町)の神楽殿で石見神楽の岡崎社中とジャワ舞踊との共同制作「オロチ・ナーガ」を奉納するのがハイライトで、それ以外にジャワ舞踊とワヤン・べベル(影絵ワヤンのもとになった芸能、絵巻物を解き語りする)のワークショップと公演をし、また一行が関西空港に到着した9月2日には、大阪の高津宮でも奉納舞踊とワークショップを実施した。
私自身が6月にパサール満月海岸でワークショップをして、岡崎神楽社中の人々と手合せしたことは水牛7月号で書いたので、今月は、その「オロチ・ナーガ」が結局どんな作品になったのかを紹介したい。
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「オロチ・ナーガ」は主催者の命名で、要は「ヤマタノオロチ」のお話である。ナーガはインドネシア語で龍の意味。スサノオノミコトをジャワ人舞踊家2名が、オロチにとられる姫と稲田姫の二役が私で、神楽囃子、オロチ、じいさん・ばあさんの役は岡崎社中の人たちによる。神楽の演出通りに舞台は進行するが、私たち3人のベースは全くのジャワ舞踊で、神楽の動きそのものを真似したわけではない。だが、今回幸運だったのは、石見神楽で一番古いと言われる岡崎社中の団長の三賀森さんが柔軟な考えの持ち主で、神楽の古い演出を踏まえながらも、ジャワ舞踊をうまく神楽に取り込んでくださったことだった。
だいたい、スサノオが2人いるという設定だけでも、尋常ではない。ヤマタノオロチの舞台は、現在では数頭のオロチ(最大8頭)が舞台に登場する。だから頭数の多い場合は、オロチ退治の場面だけ2人目を登場させて、退治の時間を短縮する演出をとることもあるという。しかし、物語の場面では当然スサノオは1人しかいない。今回スサノオが2人になったのは、同格のジャワ舞踊家が2人いたからで、片方だけをスサノオに抜擢するということはしなかった。
スサノオが2人いるのは変に思われるかもしれないと考えて、上演前のナレーションの中で説明をつけてみた。英雄というのは、その超人性を強調するため、複数が合体して1人になったり、あるいは分身が複数いて神出鬼没したりする。ジャワの影絵では、森に棲む魔物チャキルは倒されたあと3体の怪物となって現れるし、私が小さい頃のTVヒーローである超人バロム・ワンは「2人で1人、バロ〜ム〜♪」の主題歌通り、2人が合体して1人のバロム・ワンになる。このように、2人で1人、1人が2人というのは、神話の世界では現実なのだ。
この2人で1人のスサノオが、島根ではオロチが若い人を取って食ってしまい、町には年寄りしか残っていない*1という噂を聞きつけて、ジャワからはるばる退治にやってくる、それならばとインドネシア政府はスサノオの出国税*2を免除してくれたので、スサノオは帰国するとインドネシア政府に結果報告しないといけないから、皆さんスサノオを応援してくださいね、という風に話を組み立ててみた。そうしたら、出国税免除〜のくだりで意外にも拍手が沸き起こる。こういうノリの良さはまるでジャワみたいだと嬉しくなってくる。
最初の場面は姫取りといって、野に花摘みに出た姫がオロチにさらわれるシーンだが、私の場合は芝居をせず、ジャワ舞踊をしばらく見せることにした。衣装もジャワ舞踊のものである。ただし、神楽では仮面を被るが、私は被っていない。バンバンとファジャールが、舞台裏でクマナという楽器を演奏しながら詩を朗誦し、私はそれに合わせて舞う。ひとしきり舞い終わって座り、サンプール(腰に巻いている布)を手にかざしたのを合図に、太鼓の音、つまり雷鳴が轟く。天候が急変するので、姫が驚いて辺りを見回したところに、オロチが登場するというタイミングである。
このシーン、オロチは私の背後から滑るように出てくるのだが、オロチの顔が自分の視線の先にくる上に、低い位置から見ているせいか、オロチの動きがとても速く感じられた。舞台の両端からオロチが2頭出現し、私が逃げ惑いながら次第にオロチに巻き込まれていくシーンで、なんと拍手が起こる。どうやら迫真の演技だと思われたみたいだが、正直なところ「拍手してないで、助けてくれ〜」という心境であった。
私がオロチに食われたのち、しばらくオロチだけの舞いがあり、そのあとでスサノオが登場する。私の登場シーンと同じイメージにならないよう、今度は2人の歌に笛の音をかぶせる。ジャワの歌と神楽の笛と、それぞれにやっているだけなのにうまく調和して、神々しい雰囲気がかもし出される。
スサノオの衣装は、ジャワの宮廷舞踊あるいは結婚衣裳で使うドドットという種類の布(約2m×4.5m)を2枚使って、体に巻きつけ、ジャワの白い仮面をつけている。これはバンバンが考案したのだが、スサノオは神だから白い衣装が似つかわしく、むしろ神代の時代の衣装のイメージに近くてよいのではないかと三賀森氏に言ってもらえて、ほっとする。
またスサノオは神ということで手に御幣を持つのだが、このジャワの衣装に合わせて、通常より小さいサイズの御幣を三賀森氏が作ってくださった。この御幣の扱いが上手いねと言われたのだが、バンバンとファジャールは、ジャワ舞踊で使うダダップのようにこの御幣を扱ったのだという。ダダップは武器なのだが、その原型は葉のついた木の幹で、呪術師が祈祷するために使っていたものらしい。とすると、ダダップと御幣はもともと似たような道具であったことになる。
このあとにじいさん・ばあさんが登場して、スサノオにオロチ退治を懇願し、稲田姫*3を託す。前のスサノオの登場のシーンからこの場面にかけては、スサノオの名乗りやじいさんによる物語の背景の説明など、セリフが重要なのだが、異国からやってきたスサノオとじいさん・ばあさんとでは言葉が通じないので、セリフは全編カットということになる。
三賀森氏によると、昔はこの姫とじいさん・ばあさんとの別れの芝居が大きな見せどころで、年寄りなどセリフを聞いただけで泣けてくるぐらいのものだったらしい。けれど昨今では、数頭のオロチが絡み合う場面が見せどころになって、このシーンはほとんど上演されないか、あっても登場人物がちらっと舞台に登場しただけで終わってしまうという。この場面では、私たちは別れがたく何度も振り返っては追いかけて…としたので、またまた拍手が起こる。このシーンが泣けたと言う人もいて、面映い。
このじいさんを三賀森氏が、ばあさんを神楽の若い人が演じてくれた。二人は翁面、媼面をつけ、白着物に袴の格好なのだが、その上からジャワで染めた布をインドのサリーのように巻きつけてみた。公演前日に、三賀森氏から、スサノオと姫の衣装がジャワ風なので、自分たちの衣装もそれに調子を合わせたいと相談があったのだ。この格好についても、全然違和感がなかった、ジャワの布の染めの色が良かったなどと言ってもらえて嬉しい。
私の方は、先ほどの衣装から花嫁衣裳のドドット(青地に金泥模様)に着替える。神楽では、オロチに食われる姫はシンプルな衣装だが、稲田姫は金冠に赤いゴージャスな着物を着て、手に舞扇を持つ。稲田姫は、オロチが飲みに来る毒酒に姿を映すように高い所に立つという設定だ。扇子を手に持つのは、オロチが怖くて震えている動きを表現するためだという。
さて、この別れの場面のあとにスサノオと姫との(結婚の)舞いのシーンがある。これは現在50、60代くらいの人でも知らない昔の演出だという。ジャワの舞踊家に神楽を知ってもらうだけでなく、神楽社中の若い人たちにも古い演出を知ってもらいたいと、三賀森氏が教えてくれた部分だ。もっともスサノオは本来1人なので、ここは男女のカップルの舞になるのが本当だが、今回は男女2対1の舞いとなる。
そしてオロチが再登場。今度は4頭のオロチが登場する。私は舞台の後ろ中央に置かれた台の上に立っている。オロチがひとしきり舞ったあと酒(毒酒)を見つけて争って飲み、寝入ってしまったところにスサノオが登場する。退治の順序と殺し方については神楽側からの指南を受けながら、段取りを決めてゆく。スサノオがオロチの角に手をかけて首に切りつけている間に、オロチ役の人がオロチの頭を外したり、また最後にスサノオがオロチの口に剣をつっこむときに、オロチの中の人がうまくその剣先をつかんだりという段取りをお互いに踏まえないと、オロチもうまく死ねないし、何より双方ともに危険である。こんな風に、ある程度の定型に沿いながら、戦いの当事者同士で流れを組み立てるのはジャワ舞踊でも同じで、その自由さ加減が神楽とジャワ舞踊では似ていたような気がする。
この退治の場面、神楽のスサノオの動きとは型が違うとはいえ、やはりジャワ舞踊ではプロ、型が決まっていて見事だったという評判で、オロチを討ち取るたびに拍手喝采が沸き起こる。
そしてめでたくオロチを4頭退治してから、スサノオと稲田姫は喜びの舞を舞う。神様がめでたく悪を退治したというような話の最後には、この喜びの舞いがつきものなのだそうだ。舞いながら舞台前方に進み出て物語は終わりとなり、お辞儀をする。神楽の人と練習を始めたときには、まだこの喜びの舞いがあるとは聞いていなかった。というより、聞いたのは公演直前である。おそらく私たちの出来具合なども見計らっておられたのだろう。やはりこのシーンがないと神楽として物足りないということだった。
公演終了後、神楽の出演者も全員舞台に出て座り、お礼の口上と共同制作するに至ったいきさつなどを話する。実はこの公演は神楽の上演としては時間が短い。通常は夜中まで、時には朝までかけて8〜10演目を上演するというのだが、今回は(1)「塩祓い」(神楽の一番最初に上演され、場を清める)約15分、(2)「頼政」約1時間ときたあと(3)オロチ・ナーガが1時間あまりだけ、なのである。ジャワのワヤンも一晩かけて上演するから、本当は一晩いろいろと上演している雰囲気をジャワの人たちにも味わってもらえたらよかったなと思う。これは今後の課題だ。
ところで、上演前のナレーションというのは(3)の前だけでなく、(2)が始まる前にも入れた。最近の「ヤマタノオロチ」はオロチの場面がショー化してつまらないと感じるお年寄りも少なくなく、オロチと聞いただけで帰ってしまう人もいるので、今回は普通のオロチ公演ではないことをあらかじめ知らせておきたいとのことだった。オロチは頭が8つあるとはいえ胴体は1つだから、昔の神楽ではオロチは1頭しか登場しない。だから必然的にオロチとスサノオの戦いのシーンはシンプルだったのだが、そのぶん芝居表現に比重があったのだという。
このナレーションは地元の国際交流部門で働いているキムさんがチマチョゴリを着てやってくれる。彼女は6月の私のワークショップにも、また今回のワークショップにも参加してくれている。前に書いたようなナレーションを、島根弁をまじえてやってほしいとお願いしたら、なかなかうまく盛り上げてくれた。
今回は場面ごとに拍手喝采が起きたけれど、いつもそうだとは限らないらしい。神楽を見慣れている地元の人は、つまらない出来であれば拍手もせず、さっさと帰ってしまうのだそうだ。それならば、よけいにジャワのワヤン(影絵や舞踊劇)を見る観客の反応に似ている。そういうシビアさが逆に芸能のあり方を面白くしているのだろう。ワークショップなどに来てくれた人と話をしていると、若い人でも神楽の展開をよく知っていて、それも、ワヤンの展開を分かりきって見て楽しんでいるジャワの観客の姿にダブる。
こんな風にして終わった今回の共同公演、ジャワの舞踊家たちにとっては今までの来日経験の中でも一番充実して面白かった、特に神楽の人たちが柔軟にジャワ舞踊を受け止めてくれたことが一番嬉しかったと言ってくれた。こういう共同制作は、結局は当事者どうしの組み合わせがうまくいくかどうかにかかっている。今回は主催者の側に私やジャワ人舞踊家とも10年来のつきあいの友人がいて、岡崎社中とつなげてくれた。私の企画力不足で巡回公演するまでに至らなかったけれど、それも今後の課題として、今回の縁を発展させていけたらと思っている。
なお余談だが、今回インドネシアから来日したメンバーは「マタヤ アート&ヘリテージ」(NPO団体)所属なのだが、その代表―彼も今回来日している―が帰国後に、地元紙「ソロポス」が主催する「ソロポス・アワード2008」を受賞した。地方からの芸術発信の功績が認められたのである。その受賞掲載記事の末尾にも、今回島根県に来たことが言及されていて、そのことも受賞理由の1つなのだろう。インドネシア側にも今回の活動が認められて嬉しい。
*1 島根は全国で最も高齢化・過疎化が進む地域の1つ
*2 インドネシア人は出国するのに高額の出国税がかかる。今回は芸術交流の意義や過去の実績などから出国税免除が認められた。
*3 古事記ではこの姫の名はクシナダ姫だが、石見神楽では稲田姫と呼んでいる。