イラク的な生活

さとうまき

最近、日本の中にいて、イラク的な生活をどうやって造っていくかを考えている。

この間札幌に仕事に行ったときに農的な暮らしという言葉を聞いた。建築家の永田さんが、山の中で暮らしていて、レストランのようなゲストハウスのような「やぎや」をやっている。やぎを飼っていて、乳を絞り、チーズも自家製。裏庭には、畑がある。農的な暮らしをして、戦争しなくてもいい社会を作りたいという。自給自足に近い生活だ。

でも、北海道の気候はアジアの農村とは違う。ニューヨークのようだ。2005年にNPT(核非拡散条約)の延長会議で、国連本部のあるマンハッタンに行ったのだが、そこで知り合った平和運動家のおばさんたちが、ヒッピーをやっていた人たち。「ヒッピーの村があって、ヒッピーの子どもたちの通っている学校がある」というので、マンハッタンからバスに乗って、NY州の州都、オーバリーというところに行った。そして、彼らは、もともとマンハッタンに住んでいたのだが、当時を懐かしみ、ウッドストックあたりに住んでいた。

マンハッタンで暮らす人たちは、なんだか、いつもおびえているようだ。バリバリと音を立てて働き続け、高層ビルにしがみついてないと落ち着かない。いつも、アメリカに忠誠を誓っていないといけない。市民権がいつ剥奪されるかにおびえているような気がした。でも、ここのウッドストックに住んでいる連中は、白人のアメリカ人そのもの。アンティークな屋敷をリノベーションして、楽しく暮らしている。平和について言いたいことが言える。北海道もなんだか、同じようなゆとりを感じたのである。気候も近いのだろう。

驚いたことに、札幌には、JIM-NET農園というのがあって、イラクの医療支援をやろうと、有志で畑を借りて、農作物を作っている。収穫した野菜を、バザーで売って換金して、イラクのがんの子どもたちの薬代を捻出してくれている。小さな畑らしく、そんなに収穫できるわけではないけど、皆が楽しみながら農的暮らしの中にイラク支援を取り入れているのが素敵である。

さて、東京に帰ってきて、満員電車にのるとたちまち頭痛がしてきた。イラクからのニュースは、爆弾テロばかり。相変わらずイラクでは平均して毎日100人が巻き込まれて死んでいる。皆うんざりしている。「暮らしの中にイラクを取り入れるって、自爆テロでもやるの?」といわれてしまいそうだが、そうではない。つまり、暮らしを見直して戦争しないようにするのだ。

日本がイラク戦争を支持した理由は、一言で言えば、日本の国益にかなうからだ。アメリカが言ってたような大量破壊兵器もなかったし、911を支援したという証拠もなかった。それでも、いまだに日本が、自分たちがやってきたことが正しいと言い張るのは、国益である。国益といえば、日本人皆が豊かになって幸せになりそうな響きがある。これって、結構魔法の言葉みたいだが、現実はどうなんだろう。戦争をやれば、お金が動くから、一部の人は儲けているだろうけど、石油の値段だって、上がり続けているから庶民の生活は決して楽にはなっていない。国民の税金は、アメリカの国債を買って、結局戦費に使われて軍需産業が儲かるのだろう。戦争なんかしなくたって、お金なんかなくたって、のんびりと豊かに暮らしていける方法があるはずだ。ただし、貧乏くさいのはよくない。

久しぶりに、日本国際ボランティアセンターの事務所に行くと若者たちが石鹸を作っている。タイで自給自足的な生活をしてきた若者が、廃油を利用して石鹸を作っているのだ。そういうライフスタイルを東京でもやってみようと遊んでいる。そこで、イラク石鹸を作ってくれと頼んだ。簡単にできるらしい。イラクっぽい香りとして、アラビアコーヒーの粉末を混ぜてもらった。熟成に一ヶ月くらいかかるそうだ。これを、イラクの子どもたちが描いてくれた絵でパッケージにして、友達に配るのが楽しみである。今度、ヨルダンに行ったら、イラクっぽい香りを探してこよう。ジャスミンの花とかいいかもしれないし、バスラの乾しライムなんかも使えるかもしれない。やがては、石鹸教室を開いて稼いでやろう、なんて。

一週間に一回ぐらいは、バスラに電話をする。イブラヒムは、最近、停電がひどいとぼやく。一日に3時間くらいしか電気が来ないそうだ。もう住民は怒りまくって、タイヤに火をつけて抗議しているという。タイヤに火をつけるものだから、またまたバスラは糞暑くなる。暑い、暑い。気温は最高気温で45度、最低でも30度になっている。そんな中でもうれしいニュースといえば、がんが再発して右目を最近手術したササブリーンの話題。サブリーンの描く絵にはいつも12歳って書いてある。もう2年くらい経っているから本当は14歳くらいだと思うんだけど。「サブリーンが猫を飼い始めた」3匹飼っていてとってもかわいいらしい。イブラヒムは写真をたくさんといってきたといって誇らしげだが、停電が多くて画像を旨くパソコンで送れないと嘆いていた。

サブリーンの絵を大きく引き伸ばして部屋に張ってみる。イラク的な暮らしもだんだん様になってきたようだ。

朝の5時、こんな時間に電話。相手はイブラヒムである。いやな予感がするけど、イブラヒムは電話口で、「がんが再発した子をシリアで放射線療法を受けさすんだ。明日出発するんだ。皆でカンパを集めているので、日本からもいくらか出して欲しい」
「いくらいるんだ。」
「いくらでもいい」
「だから、いくらなんだ」
「いくらでもいいんだよ」
イラク人ってこういうときはっきりと金額を言わない悪い癖がある。
私は寝ぼけながら、「じゃあ、100ドルね」
「サンキュー、サンキュー」とイブラヒム。
でも、バスラからシリアまでは、車で移動しても500ドルくらいはかかりそう。
「じゃあ、とりあえず、200ドルね」
「サンキュー、サンキュー、サンキュー」
イブラヒムのサンキューの回数が増えた。訃報じゃなくてよかった。無事に治療が受けられますように。

また、うとうとして、目を覚ますと、北海道からもらってきたミントの苗が伸びている。ひょろっと伸びている。このまま伸びるとジャックと豆の木のように天まで伸びていきそう。いいぞ、いいぞ。早く、イラク風のミント・ティを飲みたいものである。

イブラヒム来日決定
8月10日から9月10日までバスラの小児がん病棟で活躍するイブラヒム先生を日本に招聘することになりました。
皆様のカンパや講演会の企画などを募集しています。
詳細は http://www.jim-net.net/notice/07/notice070530.html