製本、かい摘まみましては(27)

四釜裕子

「本の国、本のかたち」と題された第4回・東京製本倶楽部展(3月6日〜11日、目黒区美術館)は、和装本に焦点をあてて開催された。元宮内庁書陵部の櫛笥節男(くしげ・せつお)さんによる和装本についての講演や、粘葉装、綴葉装、折本、線装本の実演を楽しみにしていたが、実演開始時間に遅れて到着すると場内はすでにたいそうなひとだかり。かいま見ることのできた作業のひとつが、紙を寸法通りに切り揃える「化粧裁ち」で、普段は平らな床の上でやるのだろうか、当日はテーブルの上での作業となり、ご自分の足を重しとして紙の上にのせ、刃物を左右にひく姿が印象的だった。

家に戻り、上田徳三郎(口述)と武井武雄(図解)による『製本』(トランスアート)を開く。17ページ、「切り」の項目に、さっきみたあの姿を彷佛とさせる図がある。足で紙を上から押さえ、両手を刃物にかけて左右にひいて紙を切る。そばに、「親指の形に注意」の文字。足は正面にまっすぐに、対して親指はくの字に曲がっている。外反母趾か。ではなくて、等しく重みをかけるため、紙をまっすぐ切るために、体(足)は正面を向くのであるが、親指が断裁の邪魔にならぬようにせよ、というのである。職人の親指は鍛練されてきっとそんな形になってゆき、武井にはその「足つき」が、いかにも美しく映ったに違いない。

改めて、武井の絵に見入る。なにもかもを描くことなく、職人の身体の硬軟や息遣いまで感じさせて、やっぱり見事だ。同19ページにある角裂(角布)の貼り方においては、これまでに見たどんな写真付きの説明よりも、あるいは実際に習ったときよりも、指のあて方、力の入れ具合、なにもかもが一番よく伝わってくる。描くために、どんなにかその動きを何度も見たことだろう。銀行員は、印影を照合するのにさささっと紙をちらつかせて、やおらぴたりと確認する。武井もなにか、何度も何度も職人の動きを見るうちに、唯一の絵柄をぴたっと得ていたように思える。

展示のことをもう少し。実演コーナーの奥の壁面には和装本のつくりをあらわしたパネルがあり、その奥に、気谷誠さんの明治時代の和装本コレクション、手前には、柿原邦人さんの縮緬本コレクションが並んでいた。柿原さんの会社で「平成の縮緬本」として刊行した山村浩二さんの『縮緬絵本 頭山』もあった。伊予の奉書紙にインクジェットプリントし、7度の揉み加工をしたそうで、この作業を担った「経師・大入」のホームページに、その方法が写真付きで説明されている。小学生のころ通っていた習字教室で、書き損じた半紙を筆筒や筆に巻き、たてて上からぎゅっと押し、「チリメンシ」を作ったことを思い出す。あれはいったい、どういう遊びだったのだろう。

会員による作品のなかでは、中島郁子さんの二冊が心に残る。目録には「長谷川潔」と「デュブーシェ詩集」とある。前者は、黒色の革のシボの向きを生かしたモザイクで、長谷川が描いたアネモネやコクリコや野草を彷佛とさせる。後者は真白な革のモザイクだが、凹の部分が明るい水色で塗られている。プールに浮かぶ真っ白なタイル、あるいは真っ白のタイルでできたプールといった風情で、アドリアナ・ヴァレジョンのタイルシリーズを思い出させた。活版の圧好ましい『デュブーシェ詩集』を、久しぶりに棚から出す。真っ白なイメージがあったけれど、全体にけっこうなクリーム色だったんだな。めくると煙草の臭いがする。古本屋でいつか買ったものだった。あとがきに、訳者の吉田加南子さんが〈詩集を開く。すると開かれた頁があたかも世界に入れられた裂け目、傷でもあるかのように、もうひとつの世界を見せてくれる〉と記している。中島さんはこの詩集が、とても好きなんだなと思った。気持ちのいい装丁をする人だと、いつも思う。