昨年12月から怒涛のような日々が過ぎて、やっと11月末にジャワで行った公演を振り返る余裕が出てきた。と同時に、はや記憶は日々の間に間に埋没しかけていることに気づく。というわけで、思い出すままに記憶を書き残しておこう。
日時:2006年11月26日 20:00-
場所:芸術高校スラカルタ校(SMKI Surakarta, 現SMKN8) プンドポにて
催し:定期公演ヌムリクラン (Pentas Nemlikuran)
演目:1、スラカルタ様式スリンピ「ゴンドクスモ」 私のグループ 1時間
2、ジョグジャカルタ様式ブドヨ「ババル・ラヤル」芸術大学(ISI)ジョグジャカルタ校より(代表Prof.Dr.Hermien) 2時間
●ヌムリクランで上演すること
2003年3月以来、この芸術高校では創立記念日にちなんで毎月26日に伝統舞踊の上演を行っている。そのためヌムリクラン(ヌムリクル=26日、の催し)という名称で親しまれている。芸術高校と芸術大学の先生たちで実行委員会を作っていて、基本的には伝統舞踊のいろんな演目をカバーし、毎回5〜6曲、生演奏で上演する。出演者や手伝いへの謝礼は出ないが、食事は提供され、衣装も実行委員会の方で借りてくれる。
今回のスリンピ公演は私のスリンピ掘り起こしプロジェクトの一環であった。芸大やその隣の文化センター(Taman Budaya)で上演すると限られた客層しか来ないので、このヌムリクランの枠で上演したいと思っていた。定期公演は3年あまり続いていて、伝統舞踊好きな人は必ず集まってくる。観客層は育っているし、1時間の宮廷舞踊を上演しても大丈夫なように思えた。スラカルタの舞踊家には「宮廷舞踊は長くて単調で退屈で眠くなる」という意識が根強くあって、1時間も宮廷舞踊のレパートリーを上演しようとは誰も考えない。だが舞踊の質が良くて、かつ見せ方に工夫さえすればきっと見てもらえる、という気持ちがあった。
しかし案の定、長いスリンピをやりたいと言ったら実行委員に渋い顔をされた。この定期公演では、舞踊劇でも最長25分のものしかやったことがないと言う。長いから二分の一の短縮版ではどうかとか、またスリンピと組み合わせる演目が問題だとか、いろいろ言われた。しかし絶対に短縮版では上演しないと言い続けていたら、なんとこれ以上ないというプログラムを実行委員は思いついてくれた。それが上の通り、ジャワ宮廷の一方の雄、ジョグジャカルタ宮廷の舞踊ブドヨとの組み合わせである。このブドヨも、あちらの芸大の古い演目の調査研究の成果だということだった。これには私も驚いてしまった。1時間でも長いと言っていたのに、2時間のブドヨを持ってくるなんて、実行委員の意識も一気に改革が進んだ模様だ。
●上演時間
そのブドヨの一行はジョグジャカルタの芸大の人たちなので、知っている音楽家たちがやってきた。その内の1人と話をしていて、また後日別の人と話していて、どうやら、ジョグジャカルタでは1時間くらいの宮廷舞踊を上演するのは普通のことだということが分かってきた。そういえば、私自身もジョグジャカルタで何度かブドヨやスリンピを見たけれど、どれも1時間くらいの上演だったし、短縮して1時間半の公演というのもみたことがある。オリジナル上演には2、3時間かかるというのも珍しくないらしく、時代の変化に合わせて15分に短縮するなどということは、ジョグジャカルタでは考えられないようだ。
それとは対照的に、スラカルタの宮廷舞踊は短縮しなくても元々1時間くらいの長さで、短いもので40分くらいだ。(最も神聖な宮廷儀礼舞踊ブドヨ・クタワンは1時間半あまりかかるが、これは例外。これは現在でも宮廷専有で解禁されていない。)ジョグジャカルタの舞踊に比べて相対的に短いのに、それらをさらに短縮して30分や15分くらいで上演する。スラカルタでは「時代の変化に合わせて」舞踊を短縮、改良するのは当然といった意識が強いのに、ジョグジャカルタではスラカルタ以上に観客が成熟していて耐性があるのだろうか。この彼我の差は興味深い。
結局スリンピを1時間公演してみたが、私の周囲では、特に長くてつらかったという声は聞こえなかった。もちろんそういう人がいなかったとは言えないが、途中で帰る人が、少なくともスリンピ上演の時にはいなかった。しかし、さすがにブドヨの2時間は長かったと言う人は多かった。それはそうだろう、ただでさえ1時間の宮廷舞踊を見慣れていない人たちが、しかも1時間の宮廷舞踊を見た直後に続けて2時間見たのだから。
私がいつもお世話になっている鍼の先生も見に来てくれたのだが、この人は舞踊を見るような人ではないにも関わらず、「特に長いと感じなかったし、飽きなかった」と言ってくれた。それには、次に述べるように、椅子席にかしこまって座るのでなくて、床にリラックスして座ったことも良かったらしい。さらに、それに、踊り手の揺れるような動きを見ていると、なんだか自分も引き込まれて、だんだん瞑想的な気持ちになってきた。あれは踊り手自身にとっても瞑想的な気分になり、かつ健康にも良いと思うけれど、見ている方にとっても気持ち良くて健康に良い」とのことだった。これは私にとって一番嬉しいコメントだった。
●観客席
話はヌムリクランの準備に戻る。私は観客席の作り方にも注文をつけた。ヌムリクランではいつも、プンドポの三方にパイプ椅子を並べて観客席を作る。これが私にはいやだった。椅子は舞台ぎりぎりにまで接近し、しかも観客席に段差はないから、後ろの方からだと見にくい。しかしそれだけでなくて、先月号の能の公演の文でも書いたように、踊り手に憧れを抱いて見上げるような、そんな距離感がないのだ。だからプンドポの屋根の下、舞台の三方にカーペットを敷きつめてほしい、カーペットのレンタル代は出すからと、お願いした。そして一番後ろになら、偉いさん用、老人用として椅子席を一列作っても構わないと付け加えた。
その後実行委員からは、それならばプンドポの屋根の下には何もなくして、外に観客席を設けられたらもっといいね、という案も出た。確かにそうだ。そのほうが舞台との間に距離があってもっと良い。だが雨季に入っていることだし、全観客席を外に作るのはリスクが大きい。プンドポの外側に仮設で屋根をつけると良いのだが、それだと予算オーバーになる。結局当日は、プンドポの中はカーペット席のみで、プンドポの外側に椅子が並べられていた。
当日は幸い雨も降らず、この席の作り方は好評だった。観客に過度の緊張を要求せず、ボーッとリラックスして見てもらえた。ただでさえ、日本人のような緊張感を維持するのが苦手なジャワ人たちなのである。そして私が期待したように、「ジャワ舞踊の動きは、このようにある程度の距離をおいて見た方が美しく見えると思った」という感想があった。その中には、中年太りの踊り手たちも遠くから見た方がきれいに見える!という声も混じっていたが。(これを言ったのは踊り手の旦那さんである。)
●衣装
衣装はドドッ・アリッでしたい、というのが私の当初からの希望であった。ドドッ・アリッというのはバティック(ジャワ更紗)1枚を上半身に巻きつけていってビスチェのように着る着方。宮廷に仕える女性が着る着方である。スリンピでは本来、ビロード製の上着を着る。(下半身はどの格好であっても、バティックを裾を引きずるように着付ける。)
ドドッ・アリッにしたいというのは、宮廷で上演されているそのままを再現したいのではなくて、理念的な宮廷舞踊を再現したいと思ったからである。ちょうど仏が修行の段階を上がっていくと、きらびやかな衣装宝飾をまとった姿から簡素な布をまとっただけの姿になるように、宮廷舞踊というのも、通常は金糸の刺繍や豪奢なビロード、きらめく宝飾類をまとっているけれど、精神的にはドドッ・アリッのようなポロスな(飾り気のない)姿で表されるように思えるのだ。また宮廷では、ネックレスや腕輪、足輪は王族たちだけが身につけるもので、家臣はつけない。だからこの公演の時もアクセサリ類はつけなかった。さらに踊り手全員、地毛で結ってもらう。(ちなみに近頃では地毛で結える美容師はほとんどいない。)現在では伝統衣装で正装する場合は市販の髷をつけるのだが、地毛で結うと髷の大きさも小さく自然で、よりポロスに見える。
興味深かったのは、私たちとは対照的にジョグジャカルタの舞踊は本来のバリバリの衣装で上演したことだ。ただでさえジョグジャカルタ様式の宮廷舞踊はスラカルタ様式に比べて髪型や装飾品が派手なのに、私たちがまったくポロスな格好で上演したものだから、派手さはいっそう際立った。
私たちの衣装に関しては、せっかく宮廷舞踊を元の形で上演するのなら、衣装も本来のものを使うべきではないかという意見があった一方、このプンドポの格に相応しかったという声もあった。逆にジョグジャカルタの衣装については、スラカルタではめったにジョグジャカルタのブドヨを見る機会はないのだから、本来の衣装が見られてよかったという声がある一方で、衣装が立派過ぎてこの会場のプンドポにはつり合わない、ジョグジャカルタの王宮には似合うと思うけれど、という声もあった。
宮廷舞踊を上演するといっても、宮廷の外の人間が宮廷の外の場で上演するのだから、宮廷での上演とまったく同じものになるわけがない。その場合、宮廷舞踊の何を重視したいのかということは意識しておかないといけないだろう。本来の衣装を通して本来の宮廷舞踊の場を想像させたいのか、あるいは、宮廷舞踊が持つ精神性の度合いや空間との調和などを重視するのか。このような点が浮き彫りになったという点で、それぞれが単独公演する以上の魅力がこの組み合わせ公演にはあったように思う。
……ここまで書いて、はたと、公演の周辺のことばかり書いていて、肝心の舞踊については何にも書いていないことに気づく。というわけでそれはまた来月に。(続く)