申年に思う

冨岡三智

今年は申年ということで、サルにちなんだジャワ舞踊を紹介しよう。ジャワ舞踊にはサルの型がわりとあるのだが、これは、1961年に観光舞踊劇『ラーマーヤナ・バレエ』が作られたことがきっかけらしい。この舞踊劇はクスモケソウォというソロの宮廷舞踊家が総合振付をしているが、サルのパートはだいたいその息子のジョコ・スハルジョ氏(私の舞踊の師匠の夫)が振り付けたようだ。ジョコ氏は背が低かったので、サルとかチャキル(羅刹)のような役がほぼ専門だったらしい。昔、あるジョグジャカルタ出身の老舞踊家にインタビューをしていた時のこと、私がジョコ氏の奥さんに舞踊を習っているということを知るや、実はジョコ氏がいきなり私の所にサルの踊りを教えてくれと言って来たことがあるんだよ〜、と教えてくれた。その時はなぜだろう?と思いつつ、ジョグジャカルタ様式のサルの型を教えたらしいのだが、しばらくして『ラーマ―ヤナ・バレエ』が始まったのを知って、これか!と思い至ったそうだ。ラーマーヤナではいろんなサルのキャラクターが出てくるから、ソロの伝統舞踊の型では足りず、バリエーションが必要だということになったらしい。ちなみに、そのラーマーヤナ・バレエの初演でサルの花形とも言うべきハヌマンを演じたのがサルドノ・クスモで、ハヌマンに関してはターザンをヒントに動きを作り上げたと本人は言っている※。

1998年からアセアンの共同制作として『リアライジング・ラーマ』という作品が作られ、アセアン各国で公演した。これもラーマーヤナ物語が題材だ。この時に私の男性舞踊の師も選ばれて参加したのだが、その時に、他の国々ではサルの舞踊の型がジャワ舞踊のように多くないと気づいたという。サルはインドネシアに限らずアジアでは多くみられるので、ジャワだけレパートリーが豊富だとしたら、『ラーマーヤナ・バレエ』で急ごしらえしたおかげなのだ。ジャワで男の子が最初に習う「ルトゥン」と呼ばれるサルの踊りも、『ラーマーヤナ・バレエ』から生まれている。

※ 水牛の本棚NO.3 「ハヌマン、ターザン、ピテカントロプス・エレクトゥス」にそのいきさつが書かれています。ちなみに、この文章の中でアトモケソウォとあるのがクスモケソウォ。
http://www.suigyu.com/hondana/SardonoJ.html