さとにきたらええやん

若松恵子

映画「さとにきたらええやん」(2015年100分/製作・配給ノンデライコ)を見た。日雇い労働者のまち、大阪の釜ヶ崎で38年間にわたり活動している「こどもの里」の日々を映したドキュメンタリーだ。田端の商店街にあるかわいらしい映画館「シネマ・チュプキ・タバタ」のロードショーに何とか間に合った。

誰でも利用できます。
子どもたちの遊びの場です。
お母さん、お父さんの休息の場です。
学習の場です。
生活相談何でも受け付けます。
教育相談何でもききます。
いつでも宿泊できます。
・・緊急に子どもが一人ぽっちになったら
・・親の暴力にあったら
・・家がいやになったら
・・親子で泊まるところがなかったら
土・日・祝もあいています
利用料はいりません

「こどもの里」の説明には、こんな風に書かれている。
通いの子が遊びに来る学童保育事業、親や子どもから依頼される緊急一時宿泊、児童相談所が親子分離の長期化を判断して委託するファミリーホームの事業と、その時々のニーズにあわせて作ってきたさまざまな事業に取り組んでいる。

監督の重江良樹は、映像学校の学生時代に釜ヶ崎に撮影に行って「こどもの里」に出会い、通い始めて5年たった時に「こどもの里なら、この子達なら、スクリーンを通して観た人を元気に出来ると同時に、社会全体で考えなければならないことを示してくれるのでは」と思い、映画を撮り始めたという。カメラを回すことで「こどもの里」との関係が崩れてしまうのではないかと心配したが、関係性はさらに強まったとインタビューで答えている。

子どもたちやスタッフに受け入れられている重江だからこそ作れた作品なのではないかと思う。映画の主人公とも言える3人の子ども達の、成長していく姿が魅力的だ。映画の軸となる登場人物のひとり、ジョン君が地元のヒップホップスター「SINGO★西成」のステージを見つめる輝くばかりの顔など、重江だからこととらえることができたものだと思う。つらい状況のなかで、暴言を吐くでもなく、スタッフの言葉にじっと耳を傾けている、むしろおだやかな表情も胸を打つ。こんなにも思いやり深い子どもたちを過酷な状況に置いてしまっている大人の責任というものを感じる。

どんな親であっても、子どもは親を受け入れ、親を想う。責めたりしないのだ。人を責めない子どもの強さを見て、本当に心が打たれた。

パンフレットの解説で、映画監督の刀川和也は『子どもたちが飢えているのは食べ物だけではない。「ひと」だとも思うのだ。「わたしを無条件に受け止め、わたしだけのためにそばにいてくれるひと」、そんな存在をこどもたちは渇望している。(中略)誰からも温かいまなざしを向けられず、思いもかけられていないこどもたちは、その経験を積み重ねることによって、ひとへの信頼も、社会への信頼も、自分自身への信頼さえも失っていく。そうして、自暴自棄な暴力へとつながっていくのだ。』と書いている。社会に増えているこんな負の連鎖を、子どもの里のあり方から逆回転させていくことはできないだろうか。

重江監督は、「こどもの里」の館長荘保共子に「何でこんなところで子どもの施設をやってるんですか?」と質問して「子どもがすきやからです!」と一蹴されたという。揺るぎない荘保のこの思い、それが希望の原点だと思った。
ノンフィクションライターの北村年子は「私の知るでめ(荘保館長のあだな)は、人間でも犬でも猫でも、逃げ込んできた命を守るためには、誰になんといわれようと闘ってきた。そして命を守り抱きしめながら、自らも命に守られ抱きしめられていた。」と書く。荘保館長もまた「子どもの里」のみんなに守られ、抱きしめられながら生きている、そんな姿もさりげなく映画には描かれていて、そこもとても良いなと思った。