グロッソラリー―ない ので ある―(28)

明智尚希

「1月1日:『まあ今すぐ買い変えなきゃならないってわけじゃないんだけどさ、こういうのって結構長く使うものだから、ついつい慎重になっちゃうんだよな。みんなが変えたからって俺もまねしたら、前のほうがよかったなんてことにもなりかねないしな。後悔先に立たずっていうだろ。でもまあここまで悩む必要があるのかどうかだな』」。

(´-ω-`) ナヤムナア

 天中殺で蒙を啓かれたヒゲの世の中、胡蝶の夢のごとくのごとく、創造とは逆境の中でこそ見出されるものじゃ。ドミノシステムが横行している今、友人で敵の痰と鼻汁が割を食い、運任せの暮らしを強いられている。江戸病に悩んでいる暇はない。我々はパワー指数を捨て、理論を背負ってものを見るのじゃ。世界性を獲得し、東を制服せよ。

パチッ☆-(^ー’*)bナルホド

 Xは働いていない。一日中ベッドで横になっているか、旅を繰り返しているという風の噂。だがXに働かれてしまったら、存在価値が落ちるというものだ。なぜなら、どこかで必ず生きているということが貴重なのだから。働くことなど簡単だ。そんなことより、いかにして時間から逃れられるかが、Xにとっては最重要な課題なのである。

:::( ^^)T ::: 雨だ

 協調性がないと言われ続けておる。幼い頃から今の今まで。辞書的な意味じゃなく、協調性ってなんじゃ? 他人に媚びたり、おべっかを使ったり、ずるずるべったりの付き合いをしたりすることか? 非の打ちどころのない下衆の適格者なんぞ、ご免こうむる。協調性がないならないで良いが、逐一そんなことを言いに来られるのもご免じゃ。

なかよし♪( ´ー`)⊃⊂(´ー` )こよし♪

 「1月1日:『やっぱり買い換えたほうがいいかもな。みんなが持ってるってことはそれだけいいものなんだろうし。迷ったら買うなとか言う人もいるけど、今回ばかりは反対させてもらおうかな。迷ったから買う。なんか変だな。迷っても買う。まあどんな言い方でもいいんだけど、今は買うほうが八割、買わないほうが二割ってとこだな』」。

( ̄ヘ ̄)┌ ハヤクキメナサレ

 ほどほどの発熱は、日々に丸みをもたらしてくれる。不安の元とは、そもそも全方位に伸びた先鋭にして鋭敏な神経にある。熱によって麻痺すれば、常人並みに楽に呼吸できる上、物体からの言いがかりや数字・色に度肝を抜かれることも減少する。時間も常になく時宜を得る。ご多分に漏れず、発熱もまた病気であることに変わりはないが。

( ~ д ~ )ハ・・・ハ・・ ( ~ д ~ )・・・出ネェヤ

 「動く」とは、形を持つ無機物もしくは有機物が、現在接している地面からずれること、ないしは現在の底部が接している地面との角度がずれることである。また、特に二足歩行をする有機物に関する外的な状況が、継続してきたものと異なってくることや、最上部にある器官が司っているものが、継続してきたものと異なってくることでもある。

ε=ε=ε=(ノ^∇^)ノスタコラ

 「お前が先に言ってきたんだろう!」「言ってねえよ!」「言ったね」「言ってねえって」「言った言った」「だから言ってねえって言ってんだろ」「言っただろうが」「言ってねえよ」「言ったくせに何言ってんだよ」「だからおまえが言いだしたんだろうが」「俺じゃねえよ」「お前だよ」「言ってねえって」「言ったね言った」「だから言ってねえって」。

_(*_ _)ノ彡☆ギャハハハ!!バンバン!!

 悪夢の登場人物とは、実は我々のほうである。脳幹出血で亡くなった知人。永遠に目を開けることのない清澄な尊顔を前にして、そう思った。彼女はようやく悪夢から目覚めたのだ。彼女を失望させたものや幻滅させたものが、決して出入りの許されない扉の中へ入っていった。誰でもいい何でもいい、早くこの悪夢から目覚めさせてくれ。

(^オ^)(^ハ^)(^ヨ^)(^ウ^)(^ー^)

 「最後に校長先生から一言。神、そして人生の目的、これらについて私は何を知ろう。私の知るのは、世界があること。眼が視野の中にあるごとく、私は世界の中にある。世界の意味は世界の中にはない。生とは世界である。生の問題の解決は、その問題の解消にある。しかし生が問題をはらまなくなっても、なお生き続けることは可能だろうか」。

( ̄ー ̄?)…..??ありゃ??

 ギッフェン財を本懐成就のあてがい扶持として、計上の及ばないきぬぎぬの囲われ者に六月無礼をするんじゃ。雁行するTFTとシュレーディンガーの猫、それからボードレールの黒猫をゆめゆめうそぶくべからず。物見高いもろみの泡ではあるが、あやかしの首実検を太平楽にしゃれこんだら、今昔の感に堪えず、光の裏には影があったのじゃ。

\(^_^)/ばんざーい..(/_^)/なしよっ

 「1月1日:『そうだ。松子に聞いてみればいいんだ。なんで気づかなかったんだろう。なんか抜けてるんだよなあ俺は。こうやってずっと一人で考えても埒が明かないし、確かあいつはスマホを持っているはず。松子おばさん、知ってるだろ? 俺の妹だよ。会ったことあったっけ。ない。あそう。え。忘れた? まあそのうち会うだろう』」。

モイチド (0’∀^0) マツコデス

 まああれじゃな。なんちゅうか、人間は小さい。小さいから壮大なものを前にすると、自分でも仰天するような宗教感がじわじわ湧いてくる。歴史ある宗教の原始の信者たちは、何か壮大なものと近しくしていたのじゃろう。物体であったり考え方であったり、その辺はわからんが、当時にしては革命的な一件と生活が結びついていたんじゃろうな。

アーメン( -ω-)m †

 同じ案件にもかかわらず、一日のうちで刻々と考えが変わるのは自然なことである。ただし一過性であれ思考の結論として、絶対や真実などという突拍子もない表現は避けなければならない。どれだけ結論が最上のものと確信したとしても。絶対や真実は裏街道に隠れつつも安請け合いはしない。したがって大抵の結論は思い込みということなる。

(・ ・ * )。。oO(想像中)

 某国に対する意識調査。有効回答数八十余名(某全国紙夕刊)。

ε-( ̄ヘ ̄)┌ ダミダコリャ…

 表現者たるもの、自らの弱点を吐露しなければならない。駄目と弱点は異なる。前者は共感を呼ぼうとする下心のある喧伝にとどまるのに対し、後者は枝葉状に広がる思考回路を培養する内的な呟きである。良い目と耳は、そこかしこに点在する、自信という裏書きのない小声の表現を逃さない。この際どさ峻別できる人は本当にいるのだろうか。

m9っ( ̄ー ̄) ニヤリッ

 そうじゃなあ。わしは一人しかおらんが、いろんなわしがおる。今現在のわし、畏まったわし、脳髄が千々に乱れたわし、エッチなわし、これ大好き。もうお祭り状態。カーニバル&フェスティバル。万歳六唱。三日三晩徹夜。まさに天国。いやそうではなくてじゃな、わしがここで強調しておきたいのは、ここには書けないということじゃ。

イクー(;´Д`)♂

 「1月1日:『じゃあ、ちょっと電話するわ。あもしもし。うん。はいはい。大丈夫だよ。うん。うん。うん。そうなんだ。うん。うん。はい。へえー。うん。あもしもし。なんか聞こえづらいよ。声が遠い。うん。まあいいや。だからいいって。うん。うん。はいはい。了解。じゃあまた連絡ちょうだい。できればメールで。はいはーい』」。

… (((-‘д-)y-~ イライラ

 芸術家は、忘れ去られた不具者と同様に、社会において役割を持っていない。社会の規則や凡俗の慣習によって判断されることは不可能である上に、それらを受け入れたり拒絶したりすることで、褒めることもけなされることもない。芸術家は人生の幸運児ではない。しばしば命取りとなるような苦しい仕事を完遂しなければならないのである。

(w_-; ウゥ・・