さつき 二〇一七年十二月 第八回

植松眞人

 ねえ、また家を手に入れましょうよ、と母が言い出した。それはとても唐突で、私はぐっと足を突っ張ってしまい、目の前に座っていた父の足を蹴ってしまった。出したばかりのコタツが持ち上がった。
 がたんと音がして、私と父は母をじっと見つめた。母はさっき言った「ねえ、また家を手に入れましょうよ」という言葉が嘘ではないということを私たちに信じ込ませるように今までにないくらいに柔和な笑顔を浮かべていた。
 今朝、私は学校へ行き、教室の入り口ですれ違った神谷先生に「お早うございます」と挨拶したときに、「お前、なんか大丈夫そうだな」と言われた。私は「はい、大丈夫だと思います」と答えた。私が小学生の頃、父がこんなことを言ったことがある。「うちはね、母さんが笑っていれば大丈夫なんだ」と。そして私は、母の笑顔で父が笑えるようになったら、父も大丈夫なんだ、とその時思ったのだった。
 誕生日を迎えた六月からこの十二月まで、東京はオリンピック関連のイベントがあちこちで開かれて、なんだかそんな東京を引っ張っていくぞ、と先頭に立っていた都知事の人気が急に上がったと思ったら急に地の底にまで落ちた。安部さんのスキャンダルはものすごくうやむやになって、奥さんが校長をしていた小学校は知らない間に潰され、安部さんのお友達が作ろうとした獣医さんの学校は無事に作られる運びになった。潰されたほうと、作られるほうにどんな違いがあるのか私は知らない。私ならそんなスキャンダルまみれの大学になって絶対入りたくないと思うけれど、たぶん同級生に獣医になりたい、という子がいたら「別にその学校に罪があるわけじゃないから」とか言って、偏差値さえあえば、平気で受験しそうな気がしてものすごく嫌だ。
 それはたぶん、マクドナルドのハンバーガーを「いったい、どこの肉を使っているのかわからないし、農家や牧場の人の仕事を値切りまくって、こんな値段にしてるんだよ、きっと。だって、百円バーガーなんて、まともな材料使ってたら、出せなくない?」なんて話しながらも、「安くて、そこそこ食べられるから」という理由だけで、平気で通っている私の行動と実は地続きだと思うから、私自身はえらそうには言えない。言えないけれど、そのことは忘れずにいたいと思う。そして、そのことを忘れないために、私は今日からマクドナルドにはいかない。今までも、他の同級生たちに比べればあまり行かなかったと思うが、今日からは絶対に行かないようにする。どこまで続くか解らないけれど、いま私は私自身にそのことを高らかに宣言したのだった。そして、もし、今日クラスの誰かが「帰りにマック行く?」と誘ってきたら、なんといって断ろうと考えている。いまの政府に意義をとなえるためにいかない、なんて言っても誰もわかってくれないと思うし、なんとなく政治的な話をしないように穏やかに暮らしたいと思うから。私の毎日は愛ではなく優しさでできているのかもしれない。何が優しさで何が愛なのか、その境界線もよく知らないけれど、うちが貧困層だということを知り、神谷先生と話している間に、同級生たちと私との間には優しさばかりが満ちあふれているのだ、と感じる瞬間がたくさんあった。手をさしのべてくれる人はほとんどいないが、優しい笑顔で対応してくれる人はたくさんいる。
 そして、コタツは我が家の優しさだと思う。少し寂しかったり、少し落ち込んだりした私を救ってくれるだけの温かさがある。そして、母がその冬コタツを出すタイミングは、すべて母に一任されていて、私たちが母に「そろそろコタツを出して」と言ったことはない。そう思う前に、というか、そう思った瞬間に必ずコタツは出されていた。いつも、ああ、今日は寒かった、と思いながら家に帰るとコタツはリビングにどんと置かれていた。それを見ると私は一瞬身動きがとれなくなってしまう。このコタツにこの冬もやられてしまうのか。コタツを中心とした家族のなかに今年も足を入れるのか、という妙な思いがわき上がって、その温かさを躊躇してしまう私がいる。
 でも、私がコタツに抗えたことは一度もない。本気で抗ったことさえない。いつも、一瞬躊躇した後、私はその躊躇をなかったことにして、足を入れる。なんなら、誰よりも早くそこに足を入れようとする。だって、コタツに入って話をしながら、みかんを食べたり、笑いながら同級生の話をしたり、お茶を飲んだりすることこそが家族だと私は思っているからだ。
 神谷先生から、大丈夫そうだな、と言われ、家に帰るとコタツがあり、制服姿のままそこに足を入れていると母が帰ってきて、みかんとお茶を用意して一緒になって食べていると、父が「ああ、神田の古本屋まで歩いて行ってきたよ」とドアを開けて、私が「神田の古本屋って、歩いて行けるの?」と驚いていると、父が「歩けるよ、地続きなんだから。二時間かかったけど」と笑い、母があきれた顔をして、「一緒にみかん食べましょうよ」というと父は「鯛焼き買ってきたよ」と茶色い紙袋をひょいと見せて、コタツに入って、三人家族がコタツに揃ったのだった。
 そこで、母が言ったのだ。
「ねえ、また家を手に入れましょうよ」
 その言葉に、私と父は気持ちが明るくなった。十二月の寒空の下だけれど、コタツがあって家族が揃って、また母が新しい家を手に入れようと提案したことで、神谷先生が言ってくれた「大丈夫そうだな」が「もう大丈夫」に変わった気がした。私たちは大丈夫だ。いつもの冬と同じように、コタツに入って足が触れあった瞬間に私たちは大丈夫になった。父がコピーライターという仕事に絶望し、母がお気に入りの家を出たことに絶望し、親の絶望に私が絶望してしまった時間をなかったことにはできないのだろうが、コタツがあれば大丈夫なんだと私は思ったのだった。家族が揃ってコタツに足を突っ込むことができるのなら絶望にのまれてしまうことはない。
 私はいつものように鯛焼きを頭から食べている母と、しっぽから食べている父に聞いてみた。
「ねえ、今度はどんな家に住みたいの?」
 母は鯛焼きをもぐもぐと食べながら、しばらく考えて答えた。
「そうね。今度はさつきが気に入った家ならそれでいいわ」
 しっぽを食べていた父が笑った。(了)