仙台ネイティブのつぶやき(29)常緑樹でしのぐ

西大立目祥子

 一昨年のお正月のこと、年明けすぐに叔母の家に遊びに行くとテーブルの上に新年の生花の残りのマツが、ひと枝コップに挿して飾られてあった。細い針のような葉をまっすぐにこちらに伸ばすマツと、お茶を待つ間対面するような格好になってしまったのだったが、戻ってきた叔母につい本音が出た。

「私、松ってどこがいいのかわかんないよ」
 すると叔母は、それは意外という表情を見せて、いった。
「あら、そう? いいじゃないの。この青々としてるところも、尖った葉をピンと伸ばしているところも」
 叔母は85歳。歳を重ねればこそ腑に落ちてくる松のよさなんだろうか。そのひと言は、松から私への問いかけのようにずっと頭にちくちくと残っていた。

 それが不思議なことに、昨年のお正月、玄関に新年を迎える花を生けていたら緑濃い松の枝が胸に響いた。直線的な葉はすべてまっすぐ天を向き、一本一本の葉の緑色が輝いている。あふれる生命力が伝わってくるようだ。ああ、松っていいな、と心から思った。初めてのことだった。

 もしかすると、1年中緑を絶やさない常緑樹に心惹かれるというのは、じぶんの生命力の陰りと関係があるのかもしれない。
 松を発見してからほどなくして、私は入院して手術を受けることになった。手術の前に外泊の許可をもらったとき、盛りを迎えていた庭の乙女椿を一輪、病室に持ち帰って飲み干したペットボトルに挿した。ピンク色の薄い花びらが幾重にも重なる乙女椿は、可憐で繊細で美しい。手術直後のまだ動けないときも、少し回復してからも、話をするように椿を飽きずに眺めていた。
 それまでは、椿のつややかな葉もぽったりと重たそうな花も、どこかうっとおしくて苦手だったのに、葉の光沢や花の華やかさが、力を分け与えてくれるように感じるのだった。

 病室の窓の外には広瀬川を見下ろす見事な眺望が広がっていても、見飽きることがないのは目の前の椿。遠くの眺めはときに胸がすくような思いにさせくれるけれど、人には「近景」が欠かせないのだと思った。手を伸ばせば触れたりなでたり対話できる間近な自然が、人には要る。

 この秋は日が短くなっていく中で、じぶんの存在までが細るようだった。こんなにも自然の移り変わりに左右されるなんて。生きものとしてのじぶんが、自覚されてくる。少しずつ歳を重ねて生まれてきた新しい感覚といっていいかもしれない。

 冬至までひと月を切った11月下旬、主催している市の最中にお昼ごはんを買いに出かけると、マンションの樹木の剪定中で、落とした枝が歩道を埋め尽くしている。
見れば、わぁ常緑樹だ。椎(シイ)の木と、もう一方は樅(モミ)の木だろうか。たのんでひと束いただき、市にきているヤギの親子に椎を枝ごと与えたら、おいしそうにムシャムシャと葉を食べてあっという間に丸坊主にしてしまった。
 樅と思われる方は、もこもことした緑の枝が規則正しく三方向に伸び、そのきっちりとした連続性が神秘な力を感じさせる。捨ててはいけないような気持ちになり、家に持ち帰り花瓶に挿してずっと眺めている。もうひと月以上になるのに、葉はまだ青々としたままだ。

 クリスマスには樅の木を飾るけれど、もともとは冬至の祭りだったと聞く。太陽の力が極限まで弱まり復活していくときに、冬にも濃い緑の樹木に生命の再生を願ったのだろう。光も生きものの力も弱まる冬枯れの中で、常緑樹に力を見出していくのは国や民族をこえている。

 12月。毎年お願いしている植木屋さんが少し遅めにやってきた。イロハモミジもドウダンツツジも真っ赤に染まり、落葉し、枯れ木のようになりかけた季節。こんもりと緑の葉を茂らせる月桂樹を剪定してくれる。フリーランスの植木職人といった風貌のこの人は、脚立に上がってハサミを動かしながら「月桂樹って、切っていると甘い香りがしてきて幸せな気分になるんだよ」と話していた。
 毎年ばっさりと落としてもらった枝を拾って、しばらくバケツに入れておき友だちに分ける。月桂樹は、葉を広げず、枝に沿って葉の裏を表に向けるようにしてするすると伸びていく。端正で美しい枝ぶりだからこそ冠にされたんだろう。葉をパチンと
折ると、瞬間にいい香りが立つ。

 大みそか。買い求めた松と水仙に、庭の山茶花(サザンカ)切って飾る。お正月を迎えるための常緑樹だ。
 冬至が過ぎ、日差しの弱まりは底を打った。寒さはこれからが本番だけれど、庭の緑の常緑樹に力をもらいながら冬をしのごう。