遠藤ミチロウと関根真理、2人のライブを4月は2回も見ることができた。
関根真理は、パーカッショ二スト。ドアーズをカバーするミチロウのバンド「THE END」のドラマーとして彼女のことを初めて知った。金髪が似合う、ほれぼれする女ドラマーだ。同じくミチロウ率いる民謡パンクバンド「羊歯明神」にも参加していて、彼女が入る時にはバンド名が「羊歯大明神」となる。彼女のドラムが加わることで、スターリン時代の楽曲が「音頭」に変換してもかっこよさを失わない感じがする。
その彼女が、ギターを抱えてひとり歌う遠藤ミチロウに、パーカッションで花を添えているのが「ハッピーアイランド」だ。企画ものではなくて、今後もこのユニットで演奏していくという意志によって、ユニット名がつけられたのではないかと思う。「ハッピーアイランド」というのは「福島」のことだという。
4月に見たライブは、2回とも街なかの、普段はライブをやらないような会場だった。どこでも演奏できる2人組が、身軽にふっとやってきて、魔法をかけてしまう・・・。そんな印象のライブで心に残った。
ひとつめは、越谷アサイラム。埼玉県越谷市の駅前商店街の様々な店を会場に、有名無名のミュージシャンがライブを行う。アート展やクラフトのワークショップ、食べ物の屋台なども出ている街フェスだ。リストバンドを見せればどの店のライブも聴くことができる。ハッピーアイランドが演奏したのは、普段はダーツバーとして営業している店だ。観客は不揃いの椅子にそれぞれ腰かけ、椅子がいっぱいになったので絨毯に直接坐ってミュージシャンを囲んだ。楽器の設営も、リハーサルもみんな見えてしまう。そんな面でも演奏する者の度量がためされる、そんな会場だった。ミチロウはひるむことなく、いつものように「オデッセイ・1985・SEX」から始める。「やりたいか そんなにやりたいか」と、福島弁バージョンだ。小学生の子どもも聴いているが、パンクは危ないものなのだからしょうがない。この歌が相変わらず歌われる世の中なのだ。私はこの歌をまじめに受け止める。コミックソングのように笑って聞くわけにはいかない。「まるで少年のように街にでよう」と歌う「JUST LIKE A BOY」では、関根真理がコーラスをつける。通りかかってたまたま聞いた人の心にも届くと良いなと思う。
音楽には、「ほんとうに見たかった世界」をつくる力がある。止まったもののつづきを描く力がある。けれどその力は、たった一人では発揮できない。大通りをちょっと曲がった先で、生涯を音楽に捧げる人たち。草の根ミュージシャンたちはその力を合わせ、街に息をふきかける。音楽でしかいえないことが、街の未来に必要だから。
越谷アサイラムのパンフレットに主催者からのこんなメッセージが載っていた。
ふたつめは、埼玉県浦和市の中古レコード&古書のお店「浦和アスカタスナレコード」でのライブ。30名ほどの観客で満員になってしまう店内で、レコードや本の棚に囲まれて丸椅子に座って演奏を聴いた。もとは町工場だったのだろうかと思われる建物。めずらしく歌の合間にぽつぽつ話しながらゆっくり流れるライブで、会場を出た夜空に見上げた丸い月とともに、あの日の特別な時間の余韻が、今でも心に残っている。早川義夫の「シャンソン」や高田渡の「生活の柄」が歌われて印象に残った。
「キミの魂行方不明」と歌う「浪江」、ボブ・ディランのカバー「天国の扉」の日本語詞に歌われる、生きていることの悲惨。やさしいメロディにのって歌われる言葉にじっと耳を傾ける。今、ミチロウが歌いたいと思っている歌の、その理由に共感を覚える。ミチロウの歌をパーカッションで支えている関根真理もまた、共感しているに違いないと思う。