昨秋のことだったろうか、玄関のチャイムが鳴って、戸を開けると見知らぬ男性が立っていた。不動産屋らしき会社名を名乗るなり、「お隣の家の持ち主をご存知ではありませんか」という。ついにきたか、と思った。近くに新しい地下鉄の駅ができてからというもの、周辺の地価はどんどん上がり古家がつぎつぎとマンションや新しい戸建てに建て変わっているのだ。
お隣は空き家で、昭和30年代に建てたと思われる瓦屋根の平屋を覆い隠すように、樹木が生い茂っている。100坪を越えるくらいの広さだろうか。もう誰も手をかけない荒れた庭なのだけれど、大きく育った木々が季節季節に花をつける。3月からぽっぽっと明かりを点すように白花をつけるモクレン、春の盛りを教えてくれる深紅のボケ、つややかな葉の赤い椿、秋にはあたり一面を甘い香りで満たすキンモクセイ…。
特にいまの季節、枯れたような庭が息を吹き返すようにして、淡い緑から濃い緑へぐんぐんと勢いを増していくときは生命力にあふれて、その息吹を分けてもらっているような気持ちになる。鳥のさえずりもひときわ高くなり、はしゃぎ回るように梢をあっちこっちと飛び回るのを見ているのは楽しい。一方で、秋が深まる季節に、夜の暗闇の中で2階の窓を開けキンモクセイの香りに浸るのは、じぶんの境界があいまいになるような不思議なひとときだ。
林のような庭を楽しんできたのに、ついに消えるときがきたのか。
このところ、新聞やチラシに「お庭解体」とうたう広告を見かけるようになった。大木伐採とか庭石撤去とか、そんな言葉を胸が痛む思いで読みながら、私の実家の庭を毎年秋に剪定してくれる植木屋さんの一言がぐるぐると頭をめぐる。「こういう庭、もう誰もつくんないよ。維持に金かかるしね」確かにそうなのかもしれない。生い茂っていく庭にもう手をかけられず手離すことを決め、解体業者を呼ぶのだろう。大きく育った木が倒され殺風景な駐車場になるのを、どれだけ見てきたことだろうか。
でも、私が子どもの頃は、あたりまえにあちこちにあった庭だ。枝が伸びたなと思えば休日に植木ばさみを入れ、秋に葉が落ちればぼやきながらも何度も掃き集め、何年かにいっぺんはなじみの植木屋を入れる。ときには、気にいった樹木を買い求めて植え込み、少しずつ好みの庭を作り上げていくのは特別なことではなかった。
長い時間をかけて庭は育っていく。そして、そこには家族の物語が宿る。
60年前、祖父の植えたしだれ桜は、この春も淡いピンク色の花をつけた。いつだったか母が、「おじいちゃんが死んだら花を付けるようになったんだから、不思議なものだねえ」といっていたっけ。祖父はしだれ桜が好きだった。生きて見られなかった花を、毎年祖父の目になって見上げる。
椿の種類が多いのは、祖母が椿を好んだから。淡い色の乙女椿、紅に白の混じった紅しぼり、深紅の八重…。若い頃はあまり好きではなかった椿の花が、このごろは胸に響いてくるようになって、もしかすると祖母も同じ思いだったのかもしれないなと想像しながら一枝切って花瓶にさす。そして、そう話すこともなかった祖母の生涯を考えてみたりする。生きていたら、114歳だ。
茂り始めた雑草を引き抜くと、あちこちに芝がするすると伸びている。ここに越してきたとき、父は当時はやっていた緑の芝生を敷き詰めて熱心に手入れをしていたのだけれど、育ち盛りの私と弟がその上で自転車を乗り回したりするものだから、結局のところはうまく育たずあきらめた。でも、その生き残りが50年たっても生き延びて、この季節になると存在を主張し始めるのだ。
一方で、これまた50年以上、毎年毎年色とりどりの花を咲かせてきたプリムラは、ここ数年めっきり元気がなくなって、もう絶滅するかもしれないと思わせるほどの衰弱ぶり。
土、水、光、人の踏みつけ…いろんな要素が複雑にからみあって、庭は動き続けている。長い時間の幅で見つめていくと、そこには植物たちの栄枯盛衰も見える。
草むしりをしながら考える。私がいなくなったら、この庭も解体されるのだろうかと。桜とともに祖父の記憶も、椿とともに祖母の記憶も、ばっさりと伐り倒されて消えてしまうのだろうかと。
いまはやっかいな木は植えずに、おしゃれなプランターに一年草の花を咲かせて玄関やベランダを飾るのが主流だ。1年ごとに花は初期化されて、記憶をつなぐことも時間をかけて大きく育てることもなくなった。そんな庭先を横目で見ながら、あたりまえにあった庭のつきあいができなくなったのはなぜなんだろう、と考える。落ち葉を掃くことも伸びた枝を剪定することも、いつのまにか、えらくやっかいなことに感じるようになってしまったのだ。
今年に入って、さわやかな笑顔の引っ越し屋さんが「お隣の荷物運び出しますのでちょっとうるさくなります」とあいさつにきた。そう日を置かず、作業着を着た人が「測量に入ります」とやってきた。もう解体が始まるんだなとこちらも覚悟を決めたが、その後は静かで動きはない。
ひときわ早く咲いたモクレンを、最後の花と思いながら眺めた。いま、緑の庭は風に揺れ、陽に輝いている。