社会主義に奪われた暮らし

イリナ・グリゴレ

私が育てられた村は森のすぐそばだった。家の庭から見る森は遠くにいる強大な生き物のようで安心を与えてくれた。森は誰でも入るところではなかった。森をよく知っている人しか入っていけない。それはジプシーたちであった。彼らは森の恵みについてよく知っていて、いつも祖父母の家に新鮮なキノコを届けに来ていた。ハーブも。でも子供の私たちは、森に入ったら帰ってこられないよ、と教えられていた。森の入り口まで遊びにきても、それ以上絶対に奥には入らない。森の入り口を知っていても出口は限られた人しか知らないのだ。そのぐらい神聖で、尊敬すべき場所だった。
 
祖父母の墓は森の入り口にある。村の墓場は森の入り口に近い。森は「あの世」のイメージなのだ。そして祖父は森を良く知っていた。亡くなる前、何年間も自分で組み立てた自転車を引っ張って、森に入って枯れた枝を拾い、薪にしていた。祖父母の暮らしはロストワードのように感じるが、今で言いえばエコな生活が祖父母のリアリティだったのだ。家のタオルとカーペット、寝巻きも自然の素材で作る。自分で食べるものも自分で作る。自分の家で育てた麦とトウモロコシ、野菜、家畜、ワイン、果物酒も作っていた。秋から冬に向けての準備はすごかった。ピクルスや冬に備えたトマトソース、豆類などのストックが地下室に大事にしまってあった。漬けておいたキャベツでクリスマスにはロールキャベツを作った。簡単ではないが、祖父母の作る姿をみていたから私もやろうと思えば彼女が作っていた料理は不思議となんでもできる。

祖父母を感じたいときには、パンやピクルス、ぶどうの葉っぱに包んだひき肉など、子供の時に食べていたものを作り始める。自分の身体は祖母と同じ動きをすることによって同じようなものを作れる。レシピというより、彼女の身体の動きを覚えているのだ。それは彼女を蘇らせる方法だと分かった。子供の頃に見た動きを繰り返すだけで、亡くなった彼女が生きていると感じる。そして、子供の時と同じ感覚が続く気がする。人間の身体の動きと行いは、昔はすべて儀礼の所作のように型を持っていたのだ。

娘を寝かしつける時、私の子供の時の話をした。娘はすごい話がいいと言うから、祖母とまだアスファルト舗装されてない村の道路にごろごろしていた乾いた牛と馬のうんちを拾ってきて、土でできた小屋の壁を直したと話すとびっくりした。この暮らしは懐かしい。牛と馬を身近なところで見ることができるし、果物と野菜は庭からとってその場で食べる。すべては新鮮でプラスチック製品はほとんどない時代だった。乾いた牛と馬のうんちを素手で集めることも違和感はなかった。お日様で乾いていたから、匂いもしなかった。糞は黄色い土と水を混ぜると、家を建てるセメントと同じぐらい強い材料になる。

時空間がおかしくなる時もある。例えば、祖父母の子供の時の思い出が私の思い出になっていることもある。祖父は若かった時、畑に使う馬車の馬を森に連れていき、草を食べさせたという話を良く聞かせてくれたが、私のなかでは私が森のなかに馬を連れていくイメージとしてそれがはっきりが見え、びっくりするほどリアルなのだ。森のなかにはたくさんの馬の群れが見える。馬は二頭しかいなかったのに。母に聞くと、村人たちは馬を森に連れていく習慣があった。それは新鮮な森の下草を食べさせるためだ。だから、森のあたりには馬がたくさんいたのだ。若い男性の仕事だったから週に何回も森で寝泊まりする。身体も馬と同じように、森の一部になるのだ。

馬は機械がなかった時代には大事な労働力だった。畑仕事は簡単なことではない。だが、私の小さかったころには、祖父はもう馬を持っていなかった。社会主義になった時、土地と馬が国にとられたからで、その代わりに祖父は労働者として、マッチ工場で働かされることとなった。朝早く他の村人とともに電車で街まで出て、午後になると電車で帰ってくる。工場で働いていた祖父がどんな作業をしていたのか教えてくれなかったが、親指の半分が工作機械に切り落とされてしまったことを、いつも私は気にしていた。工場と機械は、子供の私にとって祖父の指と身体を奪った悪いイメージの場所だった。

馬も土地も国のものになり、若い時の暮らしは社会主義にとられたが、祖父の心と自由はとられなかった。民謡に合わせて突然踊り出す祖父。そんないつもニコニコしていた優しい祖父が亡くなったのは、お正月のすぐあと。私が日本に来た年、1月4日の朝方だった。前の日に病院で会って話をたくさんした。元気だったが気管支炎のような症状があった。私はもっと勉強したいから日本へ留学するかもしれないと話すと彼はこういった。「あなたが勉強のために進むべき道はもう決まっているよ」。次の日に亡くなった。あまりにも突然すぎた。会いにいった前の日には写真も撮っていた。祖父は翌日死ぬ人間の顔はしていなかったが、頭の上に白い煙のような光のようなものが写っていた。なにがあっても最後まで明るい心の持ち主だったが、結局のところ、検査してみると心臓がダメージを受けていたようだった。

お葬式の時、冷たい手を触った。親指の半分がない彼の手はいまでも恋しい。家族のために家をゼロから立てた手だ。自然の中で生きて、町の病院で亡くなったが、自分で選んだ森の近くの墓で骨を休ませている。帰るたびにあの森で出会える。

私は今『惑星ソラリス』にいると感じる。祖父母が今は失われていた生活をしていたのは遠い地球だ。あの場所はドイツの大手スーパーに植民地化され、現在は昔からの習慣と文化を守る人などほとんどいないが、偶然、あの場で「私」と言う遺伝子の組み合わせができた。私はあの暮らしをすべて覚えている。見たから。カメラで記録したかった。あの暮らしは私が大人になるまでの短い間になくなってしまった。幸いなことに森はまだある。でも、いつまであるのかわからない。小さくなった気がする。枯れ枝を拾う人もういまはいないだろう。今は遠くに離れて思うことはたくさんあるが土地も家も、指の半分を取られても実際に誰にもとられないものがある。それは細胞に削られた生き方の傾向と自由さ。それで、いつも祖父はいつも微笑みながら森に入って薪を抱えて帰ってきた。大自然から学んだことだった。