ある日マタニティーブルーから解放された。マタニティーブルーではなく、マタニティーブルースと呼ぶことにする。母親になることはジャズだ。その日5年ぶりに頭がはっきりして、長い冬眠からさめた。「むらかみ」という昭和の雰囲気がまだ残っているケーキ屋さんのスポンジケーキを買いに行ったのがきっかけだ。スポンジケーキは次女の大好物だが、それを自分で発見した。大人は日本のケーキ屋さんでなかなか見当たらないサバランを買った。次女はいくつかの種類のケーキの中から迷わず「これ」と指さして、スポンジケーキを選んだ。白くて、なめらかで、高級な生クリームにちょっぴりバニラの風味が入っている。次女は顔全体にそのおいしい生クリームをつけて、ゆっくり、ゆっくり味わっている。この世の最高の食べ物でしょうと、丸い目がキラキラしている。フランス人形のような小さな身体で椅子に座って食べている。その日から、ケーキが食べたくなったら「むらかみ」まで、車で30分かけていく。女将さんの笑顔と、帰りに車から広がる雪、晴れている日に見える岩木山、ラジオから流れている90年代のロックがケーキの味に加わる魅力なのだ。田んぼに積もった雪はスポンジケーキのようになめらかで、食べたくなる。きっとバニラの味がする。サバランには酒がたっぷり入っている。授乳を終えてから私の一つの楽しみになったお酒をサバランでも楽しめる。小学生の時、田舎から町に引っ越したばかりのこと思い出した。馴染めない町の雰囲気と学校で心がボロボロだった。ある日、学校の帰りに母が町のケーキ屋さんに連れていってくれて、テラスでサバランを食べた。小学校時代の唯一のいい思い出となった。あの工場だらけの町はジョン・レノンの曲「ワーキング・クラス・ヒーロー」の雰囲気と同じだった。
マタニティーブルーになった時、自分でもそれに気づいた。でもすることはなにもないと思った。寂しくて、ブルーな気分になっていたこともあるが、一番つらかったのは言葉がごろごろ炭酸の泡のようになって消えていくことだった。気づくと周りにいた人もいなくなったし、踊れなくなった。東京にいてお腹が大きくなった頃は、世田谷の図書館に引きこもってずっと絵を見ていた。お腹の娘が見えている色が普通と違っていた。ものすごく鮮やかだった。谷川俊太郎の『すてきなひとりぼっち』を見つけた。あの青い表紙がとても鮮やかに見えた。谷川俊太郎は私を助けてくれた。言葉はごろごろ、私と世界の間にあってもいいと教えてくれた。シャボン玉のように、毎回世界が壊れてもいい。図書館から出たあと、近くの公園の草の中でビー玉を見つけた。近づくとそのビー玉に写っている世界に、草、木、土、空とともに私もいた。私もいていいと初めて思えた。いて、いい。この世界、この地球、この宇宙に娘たちと同じ、小さな命から私も始まっていた。そして今まで出会った人の中で私の心を傷つけた人もいていい。皆のいていい場所がちゃんとあるのだ。あのビー玉は世界と同じ、小さくてまるこいが、皆でいていい。
生まれてきた長女は天才で、色はお腹にいたときと同じ、鮮やかに毎日絵に描いている。彼女のためにリビングの壁を展示場にした。鮮やかなイメージと窓から見えている吹雪、一生懸命この冬に生き残ろうとしている植物たち、太っている金魚もこのまま、この世にいていい。長女の言葉の表現は豊かだ。この前は突然「鬼は来ない日もくる」と言われた。この言葉は私の日常をよく表している。いつ来るのかわからない恐怖感、不安と苦しみが鬼であって、ブルーになることが多かったこの何年間のあいだ、解放される日も来るだろう。私を苦しめた鬼たちは来る日もあるけれども、近頃は来ない日も多い。
今年に入ってからある日、スーパーで新鮮な鯵を買って捌いた。子供の時によく自分で釣った魚を捌いたので、あの時の感覚に戻りたかったのだ。鯵はフナと違うので、戸惑う。内臓を出して、刺身にするか、アジフライにするか迷った一瞬に、一つの世界が壊れた。結局、アジフライにすると決めた。手で、爪で一つ一つ骨をとった。鯵の細い骨が私の指先を刺して痛いが、なにも感じないより痛みを感じるほうがいい。手で触るのが一番だ。縄文時代に戻りたくなる。娘たちに一匹の鯵を触らせようとしたが逃げられた。「もう死んでいる」といいながら追いかけたら怖いと騒ぐが、もっとこういう経験させなければと思った。
ジョン・レノンは5年間もハウスハズバンドになって、息子のお世話と毎日のパン焼きで精いっぱいだったという。男性なのにと世間が騒いだ。私も母親でありながらやりたいこと、やり残したことたくさんある。でももう怖くない。パンを焼きながら古い世界を手放して、新しい世界を生み出す。ジョン・レノンがいう通り「愛が答え」だ。悪い経験を手放し、春に向かって「この世界にいていい」と自分にいう。
ここ何日間か昼間はすごく忙しくて、クルミと自分で干した干し柿だけを食べた。人間はこのぐらいでも生きていける。辛かった時、誰にも話せなかった時に、スーパーで働いているパートのお母さんたちが私に話をかけて、私も人間であることを思い出させてくれた。世界は私なしで回っていくが、私もなにか、皆の役に立っていることができる。私にしかできないことがあるから。
ある夏、田舎に戻って、朝早く釣りに出かけた。壊れた橋を渡り、修道院が見える場所で、川から上がる霧と反対側の深い森を見た瞬間、町の重さから解放された。前の日は雨が降っていたから、地面はまだ柔らかかった。一つ丘を越えたとき見えたた風景は一生忘れられない。白いキノコが目の前にあざやかに広がっていた。喜びのあまり釣りのことを忘れて、キノコをいっぱい詰めて家に帰った。皆で食べた。毒キノコではなかった。与えられたものをこれからはただ受け止める。