むもーままめ(12)みなさま、ご機嫌いかが?の巻

工藤あかね

 メトロの駅構内で掃除をしている方を見るたびに思い出す、笑顔の記憶がある。

 何年も前のことだ。
 パッと乗ったメトロの車両の中に、お掃除コスチューム姿の方達が乗っていた。数人でいたその方達は、コロナ前だったけれども、周囲に気を遣ってか、小声で、けれども楽しげに話していて、なんだかとても感じが良かった。しっかり働いた後の、清々しさというか、そういうものが全員に見受けられた。
 その和気藹々とした輪の中に、やわらかな笑みをこぼしながら同僚の話を聞いている女性がいた。

 なんと形容して良いかわからないのだけれども、その方の、人の話を傾聴する態度というか、包み込むような穏やかさが、ひどく私の心を打ったのだった。
 おすまししておしゃれしてお出かけするような格好でもないし、たしか三角巾のようなものさえ、かぶっていたような気さえする。化粧っ気のないその女性の笑みが、あまりに無垢で美しくて、思わず見惚れてしまった。年齢とか、身につけているものとか、そんなことは人の品性には関係がないのだな、と強く思った。

 残念なことに、その反対のケースにも遭遇したことがある。都内でも家賃相場がきわめて高いあたりを走る電車に乗った時のはなしだ。向かい合わせで四人が座れるボックスが空いていたので、私は窓際に座った。数駅過ぎたところで、家族連れがやってきた。ビシッとしたスーツ姿の若い父親らしき人、非の打ちどころのない上品な服装だけれども無表情な母親らしき人、小学校低学年くらいの女の子の3人だった。そして問題はなんと、いかにもリトルレディ風のきちんとしたワンピースを着た、その小さなお嬢さんだった。

 父親らしき人と、この少女がボックス席の、私の向かい側に並んで座った。母親らしき人はなぜか席に近寄らず、離れて扉の前に立ったままだった。父親は昼食に何を食べたいか娘に尋ねている。「ステーキがいい?お寿司がいい?」と問いかけると、小さな女の子は「ステーキ!!」と言って父親の腕にしがみつき、可愛らしい目つきで父親を見上げていた。

 絵に書いたような甘えっ子だと微笑ましく思っていた。ところが次の瞬間、その小さな女の子は、向かい側に座る私に対し、明らかな敵意を剥き出しにして、睨みつけてきたのだった。

 はじめのうちは、子供のやることだからと意に介さなかったのだが、しばらくするとひどい悪態をついた顔つきで、口に出すのも憚られるような言葉を次々と、エアーで繰り出してくるのだから、笑ってしまった。私がボックスから出ていけば、ママも一緒に座れるから?そうだとしても、先に座っていたのは私だし、なんならもう一人座るスペースあるんだけどな。

 おやおや、と思い窓の外を見ていると、今度は明らかに私の足を蹴ってくるので、よけた。子供相手に腹を立てるのも馬鹿馬鹿しいとは思いつつ、このような娘さんの行動に、ご両親はお気づきにならないのかしらね。よそ様の家の話ながら、正直言って将来が思いやられます。

 最後はやはり、気分良くしめたいなと思いつつ、名も知らぬ人で感じが良かったのはどんな人たちだったっけ、と思い返している。街中にも、電車の中にも、さまざまなところで袖擦りあった素敵な方達の記憶が、つぎつぎに蘇ってきた。

 某コンビニエンスストアのカードで決済しようと思って、「ナナコでお願いします」と言ったところ、「ナナちゃんね~!」と返してきた店員さん。
 天気の良い日、工事現場の昼休みらしく、地べたに座ってキラキラした目でコーヒーを飲んでいた作業員の方。
 スーパーで買い物した時に、黄色いバケツに入った真っ赤なリンゴをひと盛りレジに持っていったら、「これ、可愛いですよね、うふふ」と話しかけてきた店員さん。
 朝の通学路の見守りで子供たちに挨拶を無視されても無視されても、笑顔で呼びかけをし続けている町内会のおじさま、おばさま。
 盲導犬を連れて電車に乗ってきた方と犬を、周囲から庇うようにして立っていた人も見たことがある。
 電車の隣の席で大泣きしている赤ちゃんを、変顔であやしていたサラリーマン男性。

 思えば、いいなと感じる人たちはみな、自分の機嫌も人の機嫌も良くしようとしてくれていた。本当の大人ってこういうことか。善は急げ、自分の機嫌をとるぞ!!と、手始めに美味しそうなモンブランを買って帰るあたり、私はとうていあの人たちのようにはなれないなぁ、と思ったりして。