ふれる

越川道夫

まだ八重桜が散って、その花びらが道を埋め尽くすような頃だった。
一回りも年長の友人と公園で待ち合わせをした。その人は詩人で、詩人と書けば何やら胡散臭さが先に立つが、長年聾学校の教師をしながら詩を描き続けた人である。初めてその人にあった頃、彼は「僕はずっと一人で書いてきました」とポツリと言った。詩人の仲間と連むこともなく、詩誌の同人になることもなく、「聖書」を詩と考え、その言葉とだけ向き合うようにして書いてきた人だと私には思えていた。電話ではやりとりがあったものの、コロナ禍ということもあり会うのは久しぶりで、散歩でもしながらつらつらと話ができればと思っていたのだった。
待ち合わせの駅の改札を出ると、もうその人は先に着いていて路肩のガードレールにもたれかかるようにしていた。聞けば、眩暈がするという。以前にもあったが原因は不明。病院でも何も見つからない。ただ眩暈だけがひどい。二、三日前から予兆はあったのだが、と辛そうである。公園はすぐそこにあり、そのまま帰すにしても少し休んだほうがよさそうなので、小柄な彼を支えるようにしてベンチに向かって歩いた。ここではタクシーも拾えない。
その短い距離の間に、その人は2度吐いた。
マスクから出ている彼の横顔は浮腫んでいるように見え、厚く大きな掌はひどく冷たかった。いけない、いけない。この冷たさはいけない。二人でベンチに座り、それでいいのかどうかもわからず手を摩り続けた。こうしていれば、手に温かさが戻ると信じていたし、どうしてもこの掌に温かさが戻らなくてはならないと思ったのだ。もしくは、それでもまだ温かい自分の手が冷たさを吸い取り、混じり合って、少しでも彼の手に温かさが戻るのではないか、と。
やがて、少し落ち着いたその人は、先頃雑誌に発表した詩について言葉少なに話してくれた。この半年ぐらいの間に、私の周りからは何人もの人がこの世を去っていった。そのことを考えたときに、去っていくひとりの男の姿を思い、その傍らに「きみ」の姿が見えた。そしてそのような詩を書いたのだ、と。私はひどく驚いた。もちろん、彼が私の周りから去っていった人たちを誰ひとりとして実際に知るはずもない。
 
その人が話してくれた詩を読んだのは、それから随分後のことになる。ある雑誌に掲載された「のこりのこと葉」という連作のはじめにその詩はあった。
「岸の上」と題されたその詩を読んで、私は驚き、そして、「一つの詩が生まれる場所」とは、どのような場所なのかということについて考えることになった。おそらく、彼は、私の悲しみに「遠く離れた場所」から「ふれ」たのだ。「ふれる」ことは単に「さわる」ことではない。「ふれる」とは「ふれる」ものと「ふれられるもの」の相互嵌入であり、自他の境目は混じり合い、転位することでもあるだろう。 
 
彼は、他人である私の悲しみに「ふれた」。「ふれる」うちに、その人の目には、会ったこともない「一人の先生」の姿が見えてくる。
「先生」は「草の林にかくれ/そこからまたゆっくり離れて」行こうとしている。
その傍らに「私」はいた。
「先生」に引き連れられた幼い「一人の坊や」として。
 
そして、
 
「私にも大切な/かけ替えのない方だということが改めてわかってくる」(江代充「岸の上」)