しもた屋之噺(244)

杉山洋一

涼しい陽気が戻ってきたのは、乳白色の厚い雲が太陽光をすっかり吸い込んでいるからでしょう。コロナ禍での待機期間つき日伊往復で溜めこんだ補講授業を、この2か月足らずで何とか完遂しようと躍起になっているものの、思うように躰は動いてくれません。このところ、庭に植えた紫陽花が純白のうつくしい花を咲かせていて、気が付くと日本の梅雨に思いを馳せていたりするのです。

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5月某日 ミラノ自宅
電話をとると、コンクールを受けに来たYさんの、生気のない掠れた声が聴こえてきた。聴けばここ数日食欲がなく、何も食べられないと言う。家にはまともな食材もないらしく、家人が和食の弁当を作り、夜半、それを自転車でリパモンティ通りまで届けにゆく。家に帰ると、「この御恩は一生忘れません」とのお礼が届いていた。コンクール参加で想像以上のストレスに苛まれていたに違いない。
5月1日以降、イタリア入国に際しEU digital Passenger Locator Form の提示は不要になった。今までは感染症対策のため、ヨーロッパ入国の際、旅程、滞在先の詳細を登録する必要があった。6月15日まで、公共交通機関、演奏会など室内施設やイヴェント、医療施設などに於いて、FFP2マスク着用義務は延長。アゾフスタン製鉄所から民間人避難開始とのニュース。

5月某日 ミラノ自宅
ノーノ「進むべき道はない」譜割り。彼の「プロメテオ」の焦点がより収斂された印象。纏わりついていたものを全て剥ぎ取り、本質のみになるまで徹底的に削ぎ落したようにもみえる。自筆譜より遥かに読みやすいので助かるのだけれど、ノーノに関してはコンピュータ浄書されているとすっきりし過ぎて少し有難みが薄れる気もする。人間とは我儘な生き物だとおもう。

5月某日 ミラノ自宅
遥々日本からコンクールを受けに来たTさんについて、審査をしていた友人が家人にメッセージを送ってきた。審査員全員が「頼むからたまには間違えて弾いてくれ、一音も間違えずに正しく弾く演奏はやめて、人間らしく魂のこもった音楽をやってほしい」と願っていた、という。その上で、「一刻も早く日本をでるよう」助言したそうだ。あまりに身も蓋もない言い方だとも思うが、彼なりに思うところがあったのかもしれない。
確かに日本は曲がった野菜は店頭に並べない。こちらは量り売りなので、曲がっていようとまっすぐであろうと、野菜そのものの味以外は問題にはならない。
日本人なりの言い分もあって、我々は真っ直ぐになるよう丹精込めて作った生産者への賞賛をこめて価値判断をしているのに違いない。そこで彼らが、「見かけがいくらよくとも、味が悪ければ仕方がないのではないか」と反論したとき何と答えるべきか、我々は考えておく必要があるだろう。
先日も、こちらが内心はらわたが煮えくり返っているのを知っている同僚が、それでも平静にレッスンをしているのをみて、「流石日本人だな、俺ならとっくに怒鳴りつけているところだ。やはり侍の文化だな」と言っていた。東京に戻れば現実から遥かに乖離した日本人であっても、イタリア人から見ればやはり同じ日本人なのだった。

5月某日 ミラノ自宅
G がスカラアカデミーを受験したいという。将来的にとても見込みのある生徒なので、是非スカラのアカデミーでコレぺティトゥアの研鑽を積んでほしい。先日レッスンのとき、彼の右手首にざっくりと古い傷跡があるのに気が付いて、それ以来少し心配している。杞憂であればいいと思う。
彼は南部カラブリアの出身で、1月にU君が彼と話したときは、ミラノのイタリア語がカラブリアとまるで違うのでとても苦労している、今はイタリア語を必死に勉強している、と真面目に話していたそうだ。
その話をピアノのMにすると、彼女もフリウリ地方ポルデノーネ出身で、同じ田舎者という意味で彼の気持ちはよくわかると言う。ミラノは雑多な人種の集まりだから、誰も地方出身者など気にしないかに見えるが、ミラノ人や長くミラノに暮らす人間からは、地方出身者に対する言葉の端々に薄い侮蔑を感じる、と力説する。
当初は気後れして誰とも話せなかったし、いつも誰かに見られているような被害妄想に駆られたこともあったそうだが、何時からか、揶揄した本人が無意識に使った単語を相手にそのまま返して、自らを差別主義者と気づかせて諫めたり辱めてきたというから、随分気が強いと感心する。
結局、自分で腹を括って差別的な言葉の雨に耐えつつ、敢えてそこに身を晒すことで、覚悟も決まり自信もつく。その後漸く、ミラノでも本当の意味で友人を作れるようになった、という。
地方出身者を、我々のような外国人と言い換えても、近い部分はあるかもしれない。

5月某日 ミラノ自宅
映画音楽作曲科の必修授業の一環で指揮副科を担当しているが、学生の一人、パゾリーニより、Covid19で陽性になり授業に参加できない旨連絡がある。Covid陽性で欠席を余儀なくされた場合、出席扱いになるのだが、実地授業の場合、試験の際困るのは本人なので、何とも厄介な問題だ。
ところで、自分の教えた生徒にはパゾリーニやらヴィヴァルディがいて、今住んでいる家を建てた棟梁はベルガモのロッシーニだったが、ロッシーニは手抜き工事をしていたのか、その後色々と問題が発覚して難儀をした。棟梁からすればいい迷惑だが、こちらからするとどうにも名前負けのそしりは免れない。

5月某日 ミラノ自宅
「ラス・マドレス、自分の人生を聞いているかのように思ってしまいました。穏やかだった日常に嵐が吹き始め、今は一人でぶつぶつ呟いている、そんな風に聞いてしまいました。こんな体験ははじめてです」とのお便りをいただく。
スウェーデン・フィンランドNATO加盟申請正式表明。世界は確実に、そして非可逆的に変わりつつある。毎日歴史は新しいページを開いてゆくのだけれど、前のページに戻ることも読返すことすらできない。戦争が始まる前まで、誰もがパンデミック以前の世界に戻りたいと願い、戻れると信じてきたが、2月24日以降それは共通の幻想となってしまった。ロシア国営放送でホダリョノク退役大佐が「現実を見るべきだ」「我々は全世界と敵対している」と厳しい口調で軍事侵攻批判。その2日後には発言撤回。

5月某日 ミラノ自宅
息子は、親が在宅だと一切ピアノを弾きたがらないので、我々はもう長らく彼のピアノを聴いたことがない。家人は痺れを切らして、国立音楽院に息子のオーディションを盗み聞きに出かけた。蒸し暑い中大ホールの布カーテン裏に隠れて出番を待ち、物陰から演奏を録画して帰ってきた。間違えば不審者と思しき状況であるが、母は真剣である。
兎も角ストーカー紛いの家人の努力で、初めて息子がやっている室内楽を聴いて感無量。親馬鹿なのは充分承知だが、暫くの間、イタリア人に心を閉ざしていた彼が、こうして楽しそうに演奏する姿にただ感激する。アザフスタン製鉄所より、ウクライナ「アゾフ大隊」投降開始。マリウポリ陥落か。

5月某日 ミラノ自宅
映画音楽作曲科の自作指揮クラスで、Nは自身が作曲したと偽りピアソラの「ワルツ」をもってきた。剽窃に対する対応を学校に確認すると、30点満点の最終試験の際、10点減点で処理するよう指示される。10点減点が厳しいのか甘いのかよくわからないが、18点が及第点なので、余程よい試験内容でなければ17点以下で落第となる。Nは大学最終学年なので、この単位を落とすと秋の試験期間まで卒業は延期となるが、どうしてそんなことをしたのかと暗澹たる思い。
孤立しているのか、他の学生と言葉も交わさず、授業中もずっと手元の携帯電話を弄っている。何を考えているのか。音楽も彼を救えないのか。そんな学生は彼一人きりだ。

5月某日 ミラノ自宅
朝からサンドロ宅で個人レッスン。U君は「ジプシー侯爵」を持ってきた。自分でもうまく出来ない技術を他人に教えるのは至難の業だ。彼には申し訳ない。
夕方レッスンが終わってから、家人と二人、自転車でスカラ座博物館にでかける。20時から半時間ほど、リストが愛奏したという骨董品ピアノで息子がバッハ、ベートーヴェンの変奏曲、ショパンの練習曲と半時間ほどのハーフプログラムを弾いた。
今日は久しぶりにACミランが優勝したとかで、紅白柄のユニフォームを着たサッカーファンが街中に繰り出しては大騒ぎをしていて、息子の演奏は、ルイジ・ルッソロの「都市の目覚め」のようであった。絶えまないクラクションの音の渦はちょうど無数のイントナルモーリのようで、息子はそれに抗いながら弾いていた。尤も、演奏に集中している彼の耳にはあまり聴こえていなかったに違いないが。スカラ座の絢爛な広間で、年季の入ったピアノを弾く息子を見ながら、背中からは無数のクラクションが盛んに鳴り響いていて、超現実的な光景ではあった。
演奏会には、スカラの児童合唱団時代の友人サラとアンジェリカも聴きにきていて、息子は彼女たちと徒歩で帰宅したが、街中が混乱状態で危険だったので、聴きにいらした長野先生を自転車の後ろに乗せて、ご自宅までお連れする。タクシーなどどこにもいないし、スカラの周りは、叫び声とクラクションで気勢を上げるサッカーファンで埋め尽くされていて、時には身の危険すら感じるほどだった。

5月某日 ミラノ自宅
スカラ・アカデミーのコレぺティトゥア科の入試に落ちてしまった、とGがすっかり打ちのめされた姿で教室に入ってきた。彼のこんな姿をみるのは初めてだった。
経済的に苦しく、授業料が多少の免除される今回の第一次入試でないと授業料が支払えない、と親から言い渡されていたそうだ。彼は生活のため、ミラノに住む親戚の左官業を手伝いながら日銭を稼いでいる。ミラノでは、親戚宅に居候しているので、自分の思うように時間も使えないらしい。普段から明るく振舞ってはいるが、かなり精神的にも厳しかったに違いない。取敢えず今回は、様子を見るため受けてみます、と言っていたので聞き流していたのだが、それほど切羽詰まった状況だったなら、もっと念入りに準備させるべきだったと反省。ウクライナの民間人殺害の疑いで、21歳ロシア兵への初の戦争犯罪裁判で終身刑宣告。

5月某日 ミラノ自宅
息子が大学課程入試のソルフェージュ過去問題を解いている。以下のオーボエ・ダモーレ譜表を実音に書き直す問題で、譜例はマデルナの「ロタールのためのアウロディア(1965)」であった。
実音表記に直す場合、普段は調号を付きで書いているらしいが、この場合どうするのか。息子に、この曲は記譜のハ長調で書いてあるから、実音表記ならイ長調の調号で書くのかと尋ねられたがよく分からない。この間まで、クラリネットB管の読み方をやっていたはずだが、いつのまにオーボエダモーレ譜表まで読めるようになったのか不思議である。
自分が大学1年生の頃、最初に大きな編成を書いたのが、オーボエ・ダモーレと室内オーケストラのための作品だった。なぜわざわざオーボエ・ダモーレにしたのか、どこから楽器を探してきたのか、全く記憶にない。普通ならまずオーボエ曲を書き、より個性的な音のためにオーボエダモーレを使って優美な音色に感動するところが、オーボエなどよく知らない若造がいきなりオーボエダモーレの曲を書いたので、有難みは半減したに違いない。本当に勿体ないことをした。

5月某日 ミラノ自宅
映画音楽作曲科クラスのラファエルロが、自作指揮の授業に「百味組曲」を書いてきた。今度の曲はそれほど長くないです、と照れながら楽譜を渡してくれたが、演奏時間は12分ほどもあった。
ジェラートが主人公のアニメーションのための音楽で、「野苺の勝利」「官能的」などと幾つもの部分に分かれている。数十年前の場末のダンスホールで流れていたと思しきチャチャチャなのだが、作曲者本人は腰を振りつつ、嬉しそうに踊りながら指揮していて、その光景も作品も超現実的な中毒性に溢れている。なんとも不器用な踊りながら、時に長髪をかきあげ、髭をたくわえた前時代的な芸術家が、嬉々として無心でチャチャチャを振る光景は圧巻である。同じことを繰り返しているのに単調でもないし、何故か飽きない。求心力、推進力まで包含していて、不思議な音楽の力を思う。
昨年、彼に「子供の情景」と「ミクロコスモス」で指揮の振り方を教えたときは、どうにも出来が悪く頭を抱えてしまったが、全く思いがけない所からだしぬけに飛び出してきた印象だ。
自分の曲を演奏したくて指揮しているのだから、その喜びが身体から迸っているのが何よりも演奏者を刺激する。自分が指揮できる程度の作品を書けばよいのだから、小手先の指揮の技術など、余り問題にならない。クラシックの大作曲家も、案外こんな感じだったのかも知れない。メンデルゾーンであれリストであれ、誰であろうが、自作を指揮するときは、先ずは自分が指揮して自作を演奏できる喜びが何にも勝っていたに違いない。作曲家の本来あるべき姿なのだろう。
6月1日よりイタリア出国72時間以内の陰性証明書のみで、日本入国時のPCR検査、待機など解除と発表。ルハンスク州最後の砦セベロドネツク包囲とのニュース。新聞では毎日のように小麦など、下半期の食料危機を訴える記事が並ぶ。ロシア、ベラルーシは同盟国アルメニア、カザフスタン、キルギス、タジキスタンとの首脳会談で不調。
ブチャの虐殺に関わった可能性のある兵士として極東マガダン出身のチンギス・アタンタエフを特定と発表。アタンタエフにしても、虐殺に関わったとされるハバロフスクの第64自動車化狙撃旅団にしても、多くの兵士の顔は我々日本人によく似ていて、狙撃旅団長のアサンベコヴィッチ中佐は日本人のルーツともよばれるブリヤート人だ。子供のころから、ロシアやソビエト連邦の極東少数民族の音楽に限らず、文化や風習にはずっと興味をもってきたから、彼らが遥々シベリアを超えてウクライナで戦闘に参加している現実には、少なからず心を痛めている。
学校で指揮の伴奏を手伝ってくれているマルコは、ポーランド人の妻がいるが、最初にロシア軍がウクライナに侵攻したときから、妻や娘と同じスラブ系の顔立ちの市民が苦しむ姿を見るのは耐え難いと話していた。これが率直なヨーロッパ人の心情に違いない。
地中海をゴムボートで渡ってくるアフリカ人や、逃げ惑うシリア人や強制隔離施設のウイグル人もチベット人もアメリカのBLMも、頭では分け隔てなく考えていても、出発点としてDNAに疼く何かが違うのは仕方がない。それを人種差別と呼べばそれまでだが、大方意識すらしていないかもしれない。
同じように、狙撃旅団長がブリヤート人と知ったときの衝撃も、うまく言語化出来るものではなかった。記事が間違っていたらいいと願っているし、一刻も早く諍いが終わってほしい。ただそれだけを願っている。

5月某日 ミラノ自宅
昨日の夕方から酷い風が吹き荒れて、夜半には雨も降りだし嵐になった。それがわかっていたのか、それとも嵐で何かあったのか、庭に巣を作っていたリスの家族が忽然と姿を消した。クルミをやると、前の中学校の校庭の樹から遥々リスが降りてきて、どことなくいつもより静かに餌を口に運んでいる。違うリスなのか、それとも昨日の暴風雨ですっかり怯えてしまったのか。いずれにせよ、3匹で庭で遊んでいた一週間ほど前の元気な姿は見る影もない。
街の道路には、暴風で捥げてしまった背の高い街路樹の枝が散乱している。ミラノの幹線道路の街路樹は軒並みアパート5階分くらいの背丈があって見栄えもするが、何でもこれらは先の大戦後、植樹運動があって植えられたものだという。第二次世界大戦中、ミラノ中の目ぼしい樹は全て切り倒され、暖房などに使われたため、大戦終了時には、街から完全に緑が失われていたと聞いた。在ジュネーブ国連代表部のボリス・ボンダレフ参事官辞任、亡命。

5月某日 ミラノ自宅
良く晴れた日曜の午後、階下から息子とサラが練習するシューマンのソナタが聴こえてくる。珍しく家にヴァイオリンが響くだけで何だか豪奢な心地になる。
シューマンを一通り合わせてから、二人の笑い声とともにカスティリオーニの二重奏のリハーサルが聴こえてきた。カスティリオーニの音楽には、弾き手も聴き手も思わず微笑んでしまう、そんな純粋な音への喜びが溢れていて、すばらしい。
ロシア沿海地方議会で共産党レオニード・ヴァシュケヴィチ議員が、「軍事作戦を已めなければ、我が国の孤児院はますます増大するばかりで、軍事作戦の名の下に若者は死にゆき、不具者になり果て、我が国に深刻な損害をもたらす」と発言。その後、発言権は剥奪され、退場。

5月某日 ミラノ自宅
映画音楽作曲科指揮法クラス1年目修了試験。あまりに皆熱心に勉強してきていて、その上、揃って本番に強かったので、愕いてしまった。たかだか6回の授業で、彼らがここまで出来るようになるとは思わなかった。誰もがとても音楽に溢れた指揮をしている。通常の指揮科の生徒と同じように「子供の情景」と「ミクロコスモス」を使うのだが、指揮者になりたい、とか、憧れの指揮者のようにやりたい、という先入観がないと、素直に音楽が躰に入りこむのかもしれない。ジャズやロックから音楽に入った学生が多いので、シューマンよりバルトークの方が入り込みやすかったのも面白い。バルトークから指揮に親しみ、だんだんシューマンで音楽の感情表現が充足してくる。清く正しく音楽を学んでばかりいると、大切な部分は案外欠落し易いのかもしれない。

夜、サンドロ宅で2年ぶりのホームコンサート開催。ヴァイオリンとクラリネット、ピアノのための、ポンキュエリ作曲「パオロとヴェルジーニア」は、ポールとヴェルジニーを辿る架空のオペラだが、各楽器に役割が宛がわれているのではなく、奇想的に目まぐるしく入れ替わってゆく。オペラ期イタリアに、室内楽がどのように成立していたのかよくわかる。

エマヌエラとマウロ・ログエルチォが演奏した、ハンス・ズィット編ヴァイオリンとピアノのためのベートーヴェン第九交響曲終楽章もとても面白い。奇天烈な編作かと訝っていたのを大いに反省。レコードもCDもなければ、自分の弾ける楽器で自分の聴きたい作品を、自分が聴きたいように、弾きたいように、弾けばよい。
既成の名作を、自在な感性で咀嚼し再構築して、他人にも演奏できるよう楽譜としてアウトプットさえする。当時は当たり前だったのかもしれないが、今のようにユーチューブで検索して簡単に音だけ飛ばし聴きするような乱暴な扱いではなく、実に豊かな音との付き合い方だとおもう。
シュポアのクラリネットオブリガードつき6つのドイツ歌曲や、ブルッフの三重奏による8つの小品も、室内楽の愉悦に浸るには絶好の作品であった。シュポアはロマン派を先取りし、ブルッフは遅れて生まれたきた根っからのロマン派であった。

懐かしい顔ぶれに再会するが、皆どこか窶れているようにもみえる。パンデミックと戦争で、厭世観の厚い帳がすっぽりとわれわれを覆っている。息子はサラとの室内楽の大学卒業試験で満点を貰って帰ってきた。彼はこれから大学入試なので点数はいらないかもしれないけど、と審査員に言われたらしい。
7月の南オセチアのロシア併合信認選挙中止発表。昨日より、イタリア入国に際しワクチンパスポートも陰性証明の提示も不要となった。
(5月31日ミラノにて)