むもーままめ(30)月を弄ぶ、の巻

工藤あかね

子供の頃から、身近なもので一人遊びするのが好きだった。
夕方、西日の入る場所を探して、軽くレースのカーテンを締めると目をぎゅっと瞑ってみる。しばらくすると薄オレンジ色に透けた目の奥に、何やら模様のようなものが見えてきてウニョウニョと動き出すのだ。この模様がどう動いてゆくのか観察して、よく遊んだ。ただしこれは、ずっとやっていると頭がくらくらしてくるので、自然と強制終了になってしまうのが玉に瑕なのだが。

鉛筆と紙を用意し、何も考えずに落書きし続けるのも好きだった。最初うさぎの絵を描き始めたとすると、手を適当に動かしているうちにいつのまにか足がムカデのように増えていたり、変な花が頭に咲いていたり、背中に翼が生えたり目は宇宙人のように大きなアーモンド状になってきたりして、これまでみたことがないような生き物になってくる。一つ描けるとそのそばから、無限にちょっとおかしな生き物や文字が湧き出してきて手がどんどん止まらなくなる。紙が落書きで埋まっても隙間や、すでに描いたところにも重ねて描いていったりして、すごい情報量のあるような、ないような様相になっていくのが面白かった。

大人になってからのある時のこと。合唱団の子供達がたくさんいる現場で歌ったことがある。終演後に子供たちの一人が、記念に「サインください」と言ってきたので、何となしに手を勝手に動かし、適当な絵を描いて渡してあげた。それを見た子供はなぜか大喜び。その子は子供たちの輪の中に戻っていったが、そこで私の絵を見せた途端に歓声があがった。すると来るわ来るわ、子供達が私の落書きつきサインを求めて列をなし始めたのだった。これはちょっと嬉しい思い出として、心に残っている。

そのほかにも、今でもときどきやるものがある。月をふたつに増やして衝突させる遊びだ。それは満月か、それに近いくらい月が太った時にやるのがいい。方法は簡単。月を見上げる時に目の焦点をぼかすだけ。よく新聞の片隅などに掲載されている、目をよくする3Dトレーニングみたいなものがあるが、つまり要領はそれと同じである。月を見る時に、目の焦点をぼんやりとずらしてゆくと、やがて月がふたつに見えてくる。気合いで三つまで増やしてもいいが、まずは二つがいい。焦点をずーっとずーっとずらしてゆくと、自分的にはこれ以上無理というくらいに、月と月の距離が離れてくる。その刹那から目の筋肉をゆるめると、二つの月が一つに収斂するようにしてぶつかりあう。目の筋肉をゆるめるスピードを変えると、ゆっくりぶつかったり、急速に衝突したりと調節も可能になる。自分で効果音をつけてヒューーーーーズドーンなどと、口走ってもいい。

大人になっても、満月の日にはついついこの遊びをしてしまう。夜、帰宅途中に満月を発見すると、歩きながらやってしまうこともあるのだが、よくよく考えると、歩きながらやるのは実はよくないのかもしれない。まず、月を眺めていると周囲に対する注意が散漫になるから、道端では事故に気をつける必要があること。もうひとつは…極端に怪しい人の目になるので、歩いてきた向かい側の人を怖がらせているかもしれないこと。