「図書館詩集」10(鳥が飛ぶときには必ず)

管啓次郎

鳥が飛ぶときには必ず
その羽毛に含まれる空気も一緒に
空を飛んでいる
誰かにそう聞かされてなるほどと思った
それと少し話はちがうが
鳥が飛ぶとき
鳥の体によって押しのけられた
いわば鳥の体によって切り抜かれた空間も
鳥と一緒に飛んでいるわけだ
正確に鳥とおなじかたちをした
不在が
空を飛んでゆく
これはまるで啓示
地上をゆくわれわれにしても
われわれの充満した身体のおかげで押しのけられた
空間の不在が
われわれとともに歩いているわけか
陰画のように
そういう存在観によって生きていくのはどうだろう
そこにあるものではなく
そこになくなったものがよく見える
存在が生んだ不在をよく感得しつつ
生きている
これからぼくがきみではなく
きみの不在にむかって挨拶するとしても
許してくれ
こんにちは、きみではない空白
さようなら、また会いましょう、きみの不在
ともあれこの町には世界の鳥たちが集まって
飛べなくなった空を見上げながら
異様な声で鳴いているのだ
フラミンゴも大鷹もペンギンも駝鳥もいたが
異彩を放つのはヒクイドリ
ニューギニアからやってきて
この雨雲の下で
じっと火の不在に耐えている
低い声でごふごふと鳴きながら
仲間も人間もいないのに
ほそぼそと降る雨に音声で対抗している
すぐそばでおとなしい小さなマーラ(齧歯類)が二頭
こっちを見上げている
白鳥だけが自由に
池から池へと飛び移っている
(あれは神に近い鳥だ
人間に止められるものではない)
このあたりには五穀神社があって
19世紀前半その祭礼では
「からくり儀右衛門」が人気を博していたという
「水からくり」とはどのようなものだったのかな
彼はやがて京都で「万年自鳴鐘」という時計をつくったり(1851年)
東京銀座で電信機関係の製作所を創立したりした(1875年)
それが「東芝」のはじまりなんだって*
水からくりの実際は知らないが
みずから何処にでもくり出す自動人形としてのわれわれは
きょうも地上の水と天の水のあいだで
火喰鳥におびえている
いきなり蹴られはしないかと
一方、魂は白鳥にあこがれて
さらに遠くまで歩いてゆく
やがて燃えるろうそくのような
ルピナスの花々に目を灼かれて
しずかな図書館に逃げこんだ
だって
活字に会いたいんだ
なぜなら
活字はしずかだから
夢のように怖い思いをせずにすむ
ヒクイドリのように鳴くこともない
目が覚めてコーヒーを飲みたいと思うように
活字に会いたいこともあるだろう
それは心が救われるから
沈黙を浴びるためです
水が降りしきる
水が上昇する
天地の水からくりの壮大
そこをわれわれ自動人形も歩いてゆく
立ち止まり、考える
立ち止まり、考えることは文字の効果
書物の効果だ
忘れてはいけない
ぼくは閲覧席の机にむかってすわり
考えるという夢想をはじめる
ぼくの切り抜かれた不在は
どんどん外に出てゆき
庭園を徘徊する
ぼくとぼくの不在をむすぶのは
見えないからくり糸
はりめぐらした糸にときどき鳥がひっかかり
それが白鳥ならいきおいでひっぱられてしまう
空へ、空へ、空へ
シベリアへ、シベリアへ、シベリアへ
あるいはどこでもこの世の外へ
いいよ、行こうじゃないか
しかし今日の課題はこの世には外がないということ
きみの考えは知らないがぼくは
世界とは地水火風の流動と考えてきたのだ
でもそれだけでは(個別の元素だけでは)
生命ははじまらない
どこかでむすびめが生じるはず
そこに命が始動しそれからその後は
ずっと途切れめなくつづいてきた
地上の動植物がたとえ大絶滅をむかえても
単細胞生物のあるものたちは生き延びて
またいつしか複雑化の歩みをはじめたし
はじめるだろう
栄誉あれ
そうはいってもこの地球の
大部分は無機物の塊
地表のごくごく薄い皮膜を
あらゆる生命体がバイオスフィア(生命圏)として
共同で運営している
共に生きている
いったい、おそろしいほどのはかなさだ
われわれの根拠はうすいうすい生命の膜
ここに住みこむことにおいて
あらゆる獣も鳥も
虫もバクテリアも
すべての植物と菌類も
はじめから全方位的・全面的に関わりあっている
われわれは命としてひとつだ
昨晩読んだ本に
こんな印象的な言葉があった
「私の祖父母は父母いずれの側も
1860年代の日本で生まれた。
世界人口が10億人に達したのは
そのわずか2、30年前のことで
そのころはまだ旅行鳩が空を暗くし
タスマニアン・タイガーがオーストラリアの
風景の中で獲物をうかがっていた」
(David Suzuki. The Legacy. Greystone, 2010.)
それからというものヒトの個体数の急増と
他の生物種の相次ぐ絶滅は
手がつけられない速度ですすんでいる
すべては人間が悪いのか?
いうまでもないでしょう
「人口が倍増するたび
生きている人間の数はそれまでに生きたすべての人間の
総和よりも多く、のみならずいま私たちは
過去の人間たちよりも二倍以上の長さを生きている。
人間は地球上でもっとも数が多い哺乳動物であり
その数と寿命だけでもヒトが残す生態学的足跡の
大きさは明らかだ。ヒトの基本的要求のためだけでも
おびただしい空気、土地、水が必要になる」
人口が少ない安定段階に達し
ひっそりとしずかに息をひそめるようにして
生きていければそれでいいだろうが
その段階に戻すための方策は?
食うものがやがて食われる夜を
1万世代くらいくりかえしてみるか
暗澹
だが19世紀なかば
北アメリカ大陸にどれだけの数の旅行鳩がいて
どれだけの数のアメリカ・バイソンがいたかということだ
そして日本列島には
狼がいただろうということだ
「からくり儀右衛門」が生きた世界は
まだそういう世界だった
なぜそのように生きられなくなったのか
これらすべての動物が絶滅させられたのだ
(話はまったくちがうが1944年ごろ
ぼくの父はここ久留米に住んでいた
陸軍予備士官学校の教官で
いわゆる学徒動員で士官としての訓練をうけること
になった元帝大生たちに
軍事の基礎を教えるのが仕事だった
教官と学生といっても
年齢は1、2歳しかちがわない
楽しい仕事ではなかっただろうが
のちに新聞記者=文筆家になったある人などは
新しい本が出るたびに父にも贈ってくれた
「恵存」という言葉をぼくはそれで覚えた
久留米にとって軍は大きな産業だったはずだが
町には特に痕跡もない)
いまやここには世界の鳥たちが集い
鳥たちとその不在とが
ヒトの世が終わったあとの
この世のやり方を話し合っている
またあるときアイダホ州の乾燥した高原で
アメリカン・ケストレルという小型の隼を
鷹匠が飛ばすのを見せてもらった
鷹匠といっても若い健康そうな女の子で
ケストレルのペニーはよくなついていた
ペニーが飛び、枝に止まり
合図をうけるとまた彼女の腕に戻ってくる
そしてごほうびに肉片をもらう
ごく小さな体だが毎日ねずみ1匹分の肉を食べるそうだ
鷹を使った狩猟は
アラビア半島の砂漠にもモンゴルの草原にもある
だが捕食者が狩られるものを滅ぼすことはない
ただ人間だけが銃器や毒や悪辣な策略によって
殺しつくす
それでどこにいっても
不在の群れが地表をうめつくしている
人間は不在の巡礼として
かれらにお詫びをいって歩くしかない

  *久留米市の観光案内板による。

久留米市立中央図書館、二〇二三年四月一四日、雨