水牛的読書日記番外編「在日コリアン女性作家選」について

アサノタカオ

ホームからぼんやり線路を眺めていると、影のかたまりが動いている。空を見上げると、山から海に向かって次から次に雲が流れ、はるか向こうには天にそびえるような巨大な入道雲が見えた。吹く風が気持ちいい。夏だ。

小田原駅から乗車した新幹線の車内で、企画書などの資料を入念に確認しつつ新大阪へ。市営地下鉄を乗り継いで駒川中野駅で降りて、路上を照りつける強烈な日差しを浴びながら、新しい出版社ハザ(Haza)の事務所へ向かう。

夜に開催されたミーティングに出席し、真剣勝負のつもりで「在日コリアン女性作家選」の本のシリーズ企画を提案した。代表の長見有人さんや理事で臨床哲学者の西川勝さんら関係者のみなさんの思いのほか熱心な賛同をいただいてひと安心。これはアサノタカオ個人ではなく、サウダージ・ブックスのチームで編集を担当することになるだろう。このあたりの詳細については追い追い語るとして、何年もあたためてきた念願の出版企画なので、はじめの一歩をふみだすことができてうれしい。

ハザは、大阪・京都で障害者訪問介護事業をおこなうNPOココペリ121が2021年に設立した出版部門で、自分が編集人をつとめている。介護やケアに関わる本を出版していく予定だが、NPOココペリ121は多文化共生というテーマも大切にしている。だから、「在日コリアン女性作家選」を刊行するのに、ハザはふさわしい版元だと考えている。

在日・コリアン・女性……。いまぼくの頭のなかにあるひとりひとりの著者候補の方には固有の名前があるわけで、「在日コリアン女性」などとひとくくりにして呼びかけることにはためらいがある。間違いというわけではないだろう。しかし、ひとりひとり異なる彼女たちの声をゆるやかに束ねてより集合的な声として世に送り出したいと考えるとき、それ以外のふさわしい連帯のかたちの名称をいまのところ思い浮かべることができないのも事実で、もやもやしている。どうしたらいいものか。

振り返れば20年近く出版編集の仕事をしてきて、雑誌・ムック・報告書などの類も含めれば100冊ほどの本作りにかかわってきただろうか。仕事を通じてほんとうにいろいろな人の知遇を得たが、偶然と必然が絡まりあった不思議なご縁で、ぼくは何人もの「在日コリアン女性」の作家たちと出会い、日常的に多くのことを教えてもらい、また本作りに関しても応援してもらっている。みな、人生の先輩だ。

2022年、37歳で亡くなった芥川賞作家・李良枝の没後30年にエッセイ集『言葉の杖』(新泉社)を企画編集した。妹の李栄さんとのよい出会いもあった。ここ数年、作家の姜信子さんの旅のエッセイ集『はじまれ、ふたたび』(新泉社)や映画監督ヤン・ヨンヒさん自伝『カメラを止めて書きます』(クオン)の編集も担当している。しかし、「この人のことばを本にして伝えたい」と心のなかで思う「在日コリアン女性」の書き手は、ほかにもまだまだいるのだ。舞踊家、ライター、詩人、ミュージシャン……、さまざまな経験が交差する場所。

「韓国」と「日本」のあいだでひとりの表現者として、ひとりの女性として、ひとりの人間としてつよく生きる作家たち。その存在は、女性をはじめとするそれぞれのマイナー性、それぞれの差異を抱えながら人生を旅するものにとってロールモデルとなり、彼女たちの残したことばはかならず、後からやってくる若い人たちの心の杖となるにちがいない。そういう確信がある。尊敬すべき旅の先行者である彼女たちとの出会いから何を問われているのか、これから応えていくことになるのだろう。

「在日コリアン女性作家選」の本のシリーズは、1981年〜82年に作家で翻訳者の藤本和子さんが編集した『女たちの同時代 北米黒人女性作家選』全7巻(朝日新聞社)にインスパイアされるかたちで着想した企画だ。トニ・モリスン、エリーズ・サザランド、ヌトザケ・シャンゲ、ミシェル・ウォレス、アリス・ウォーカー、メアリ・ヘレン・ワシントン、そしてゾラ・ニール・ハーストン。日本語世界におけるアフリカ系アメリカ文学の紹介史上画期的な本で、伝えなければならないことを伝えるにはこれくらいのことをしないと、とページを開くたびに熱い気持ちになる。『文藝』2023年秋季号の「特集 WE❤LOVE藤本和子!」に掲載された岸本佐知子さん、くぼたのぞみさん、斎藤真理子さん、八巻美恵さんの座談会のなかで、くぼたさんが藤本さんの「北米黒人女性作家選」の仕事について、「日本語のなかに投げこむときに、ただ翻訳してあとがきを書いて出すというのとは全然違うかたちをとった。文脈を立てて、作品を立体化して見せた。あんなふうに選集を出した人を他に知りません」と言っているが、本当にその通りだと思う。編集、翻訳(一部)、解説と7冊の本のなかでひとり何役もこなす藤本さんの八面六臂の活躍ぶりがすごい。ぜひ読んでたしかめてください。

『女たちの同時代』というすばらしい本に込められたスピリットを編集者として自分なりに継承し、アンサーソングをうたうつもりでこれから本作りのプロジェクトに取り組もうと思う。上述の座談会での八巻さんの発言によると、藤本さんは李良枝ら在日の女性たちとも交流していたらしい。

旅から戻り、仕事部屋で保留中の書類ケースをひらいて何年か前に託された原稿のコピーをじっくり読む。日が昇ると同時ににぎやかに鳴きはじめる、蝉や鳥たちの声に耳をすませながら。まずはここから。