言葉と本が行ったり来たり(18)『男が痴漢になる理由』

長谷部千彩

八巻美恵さま

 今日は曇り空。風も少し吹いている。夏がやっと去ろうとしています。
 今年の夏は例年にも増して厳しく、 園芸仲間はみな、顔を合わせれば口々に猛暑に耐えられず枯れていった植物の話をします。いま農業史研究者・藤原辰史さんの『植物考』を読んでいますが、そこにも書かれている通り、植物が育たなければ、地球上の全ての生きものが死に絶えるというのは本当のことで、暢気な都市生活者にもさすがにその恐ろしさが現実味を帯びて迫ってくる、そんな夏でした。いや、植物が夏を超えられないってまずいです、やばいです、マジで。

 そういえば、『天気の子』というアニメーション映画では、ラスト近くで、主人公が、愛する女の子を救えるなら雨ばかりの世界になっても構わない、みたいなことを叫んでヒロインを救うのですが(劇場で観たくせにうろ覚え、間違えているかも)、そのシーンを観た時、ラブストーリーとしての高揚よりも、「何言ってんの!生態系壊れるよ!植物が育たなかったら、救う救わないの前に誰も生きていけないんだからね!」と、私はそっちに頭が行った記憶が。植物を育てる人は、現実主義者でもありますね。

 閑話休題。最近依存症について書かれた本を何冊か読みました。というのも、アルコール依存症なのでは、と感じさせる友人がいるからです。以前から酒量が多いとは思っていたけれど、暴れたりするわけでもないし、翌日ちゃんと朝から仕事をしている。彼女とは時々しか会わないこともあって、私もそれほど深くは考えていませんでした。たぶんまわりの人たちも、彼女を、お酒が強い、お酒好きな人だとしか認識していないと思う。でも、なんとなく飲み方に違和感を覚えるのです。量が尋常じゃないし、飲んでいる時間も長い。今日はやめとくわ、という日がない。毎晩飲んでいるのではないかしら。私の取り越し苦労ならいいのですが、このまま進んでいったらまずいことになるのではないか、いや、もしかしたら、本当はもう依存症なのではないか、と気になって。また、いわゆるアル中のイメージ――朝から飲むようになったり、手がブルブル震えたり、幻覚に襲われるまで、「ホントに(お酒が)好きだよね~」とみんなで笑って見ているのだとしたら、それも不気味な気がして。
 そもそも「依存」というのは「やめられない」ということですよね? 醜態をさらしたとか記憶をなくしたとか、そういった状態を指す言葉ではありませんよね? そこから興味が湧いて、アルコールに限らず、さまざまな依存と依存症について調べ始めたのです。

『男が痴漢になる理由』(斉藤章佳著)というのも、その中の一冊。男尊女卑の強い国に痴漢が多いというのは想像できていたけれど、どうやらそれはかなり強固に結びついているらしい。痴漢という行為は、女=受容する性というイメージがリンクしているとか、弱いものを支配することでストレスコーピングしているとか、読んでいると、ああああ・・・と合点がいくことばかり。つくづく家父長制は百害あって一利なし、と感じます。
 その本には「認知の歪み」という言葉が度々出てきますが――これは精神医学や心理学の本には頻出するワードですが、今まで私は、「歪み」というのが、具体的にどういうことを言うのか、いまいちつかめなくて、でもこの本に書かれている一例を挙げると、「暗い夜道を歩くと痴漢に会うことがあるから控えましょう」というポスターがあったとすると、そのポスターを見て、「それでも暗い夜道を歩いている女がいるなら、それは痴漢をしてもいいということだ」と認識する人がいる――。そんなバカな!と思うけど、そういうのも「認知の歪み」のあらわれだそうです。

 でも、痴漢はさておき、考えてみると、日常においても、え?どうしてそんな話になるの? なんでそんな風に読み替えられちゃうの? と驚くことはよくある。行き違いや誤解というレベルとは明らかに違うやりとりに出くわすことが。ぼつんぽつんと頭に浮かぶ。あれも「認知の歪み」にあたるのかな。あの人のあの発言にも「認知の歪み」があったのかもしれない。その歪みはまわりの人の心を傷つけて、傷ついた人たちはみんなすごく苦しんでいた。
 八巻さんは私よりも長く生きているから、その分多くの人を見ていると思いますけど、アート / エンタテインメントの世界には、笑えないレベルで変わった考えをする人も、わりと許された形で生息していますよね(歴史を見てもそう思う)。そういう人たち、そういった発言に、私もすっかり慣れてしまって、いちいち傷ついていられないとやり過ごしているけれど、実は歪みだらけ歪みまくりな業界という気もします(どの業界でも歪みには遭遇するでしょうけど)。

 話は戻って、その本の結論は、痴漢は依存症である、逮捕は必須、でも逮捕だけではだめ、有罪判決を受けて、その上で依存症の治療プログラムを受けさせる必要がある、依存症である限り再犯する可能性があるから、ということでした(大雑把なまとめ)。
 人間賛歌という言葉があるけど、人間って本当に素晴らしい生き物なのかなあ。人間って素晴らしい、生きるって素晴らしいと言えたらいいけど、人間って生き物としてはかなりつらい存在なんじゃないの?――駅前のペットショップの前で、お腹を出して寝ているトイプードルの仔犬を見つめながら、そんなことをしんみり考えた九月最後の金曜日でした。
 またお手紙書きますね!

2023.09.29
長谷部千彩

言葉と本が言ったり来たり(17)『人生は小説』八巻美恵