二十歳の秋に日記を付け始めた。その日記はいま実家の押し入れの段ボールに詰め込まれているので、日付まではわからない。けれど、日記を付け始めたときのことはよく覚えているのだ。
確かNHKのテレビ放送で南方熊楠が取りあげられていて、そこに熊楠が綿密に書き込んだ日記のようなものが映し出された。筆で書かれたのか踊るような文字で、草木のことが書き込まれ、その横には隙間を埋めるようにビッシリと草木の絵が描かれていた。それを見た瞬間に胸を打たれてしまい、書こう、今日から日記を書かなければと思い立ったのだ。
それが二十歳の秋だったということを覚えているのには理由がある。高野悦子の『二十歳の原点』を二十歳の間に読まなければと読んだ記憶があるからだ。高野悦子の日記を読んでも日記を書こうと思わなかったのに、なぜ熊楠の日記を読んでせき立てられるように日記を書こうと思ったのか。なぜだろうと確かに考えていたので、私が日記を書き始めたのは二十歳に違いない。さらに、思い立ってすぐに駅前の文房具屋に行ったのに、今すぐ使い始められる日記帳がなかったのだ。日付を自分で書き込めるタイプのものがなく、日付の入ったものも翌年の一月からスタートするものしかなかったのだ。私は文房具屋のおばさんに「途中からでも書きたいので、今年の日記帳はないですか」と聞いた。すると、おばさんは「もう十月だからねえ」と言ったのだ。
夕方のテレビを見て、日記を書くことを思い立って駅前の文房具屋まで自転車を走らせた半日のことを四十年経っても私は覚えている。私が日記を付け始めたのは二十歳の秋、十月なのである。
私はもう四十年も日記を付けているのか。しかし、あの日、私にそう思わせた熊楠のような日記は書いた試しがない。途中で堂々と何ヶ月もサボったりしながら、なんとか書き継いできたのは日記と言うよりもメモに近いもので、最初のうちは一年分の日付が振られた、いわゆるダイアリー手帳のようなものを使っていたのだけれど、途中からは普通のA5版のツバメノートを使っている。予定は書かず、だいたい一日の終わりにその日の出来事を書くのだ。二十代から四十代くらいは自分でも感心するくらいによく働いたので、一日を記録するだけで数ページにわたって書き込むこともあった。
ところがである。ないのだ。書くことが…。仕事のことを書こうとしても、集中力がないから一日にそんなにたくさんの仕事をすることができない。結局、日記に書くのは、息も絶え絶えな仕事の欠片のような記述ばかり。
「午前中、電話で三十分ほど打ち合わせ」
「頼まれていたウエブサイトのコピーを半分ほど」
これだけ書いて、まだ三分の二ほどが白紙のままのノートをぼんやり見ているのだ。そして、白紙を埋めようと、「昼は大島屋で鴨南蛮」と書いてみたり、「コンビニでガリガリ君」と書いてみたり。
もう今となっては、である。明日書くことは今のところ何にもない。明後日は仕事の打ち合わせがあるのだけれど、明日は何もない。何もないけれど、白紙のままにしてしまうと、おそらく明日を境に日記は書かないことになるという予感がする。そうならないようにするためには、何か書かなければならないのである。何かを記録するために日記があるのか、日記を続けるために何かをするのか。そんなことをぼんやり考えていると、歳を取るということがほんの少し見えた気がするのだった。そして、まだ二十代の娘が昨日買ってきたという来年の手帳は次に私が使う新品のツバメノートよりもなんとなくピカピカとして見えるのだ。絶対に気のせいだけれど。(了)