ジャワ舞踊のレパートリー(3)自作振付

冨岡三智

先月に続き、今回は自作の紹介。振付は2回目の留学時(2000~2003、インドネシア国立芸術大学スラカルタ校)から始めた。男性優形舞踊を師事していたパマルディ氏に振付も師事している。

●「妙寂 Asmaradana Eling-Eling」
単独舞踊。初演:2001年7月、サンガル・ヌグリ・スケットにて。音楽は故マルトパングラウィット氏(スラカルタ王家の音楽家で、芸術大学でガムラン教育に携わった)の曲「アスモロドノ・エリンエリン」。この作品は亡き妹を描いているのだけれど、クレネンガン(演奏会)でこの曲を聞いた瞬間に舞踊作品にしたいと思いついて、ずっと心の中で温めていた。その時にたまたま録音していたので、のちに録音を舞踊作品で使いたいと主催者に許可をもらいに行ったのだけれど、私が作品について説明する前に、「じゃあ、亡き人をテーマにした舞踊曲を作るのね?」と尋ねられて驚く。聞けば、マルトパングラウィット氏自身が亡き子(確か)をしのんで作った曲らしい。マルトパングラウィットの楽曲集にはそんなことは書いていなかったので、その後、芸大の先生にも再度確認したのだけれど、やはり同じことを言っていた。解説がなくても、曲だけでも思いは伝わるものなのだ…とあらためて音楽の力に驚く。この作品は合掌に始まり合掌に終わるのだが、入退場をどうしようかと考えて、モチョパット(詩の朗詠)でアスモロドノの詩を芸大の女性の先生に歌ってもらい、それに自分で録音した虫の声をかぶせた。

●「陰陽 ON-YO」
ドゥエット。ただし、ドゥエットで踊ったのは初演時だけで、あとは単独で踊っている。初演:2002年12月31日、中部ジャワ州立芸術センター(TBS)にて。音楽は芸大の舞踊スタジオ所属で舞踊音楽を多く手掛けるデデ・ワハユディ氏に委嘱。宇宙が混沌から分離生成し消滅するまでの過程、人の生から死までの過程、神人合一の過程などのイメージを重ね合わせている。冒頭では古事記のイザナギノミコトとイザナミノミコトの国生みのシーンのテキストをモチョパット風に朗詠。このあとガドゥン・ムラティ~アンジャンマスと古典曲とつなぎ、クマナの音が響いてペロッグ音階のブダヤン歌(斉唱)となる。途中で転調してスレンドロ音階になり、かつフル編成ガムランの伴奏になって歌が続く。デデ氏が作曲した曲は歌いやすく、メロディも覚えやすく、音楽の方から動きをのせてくれるような感じだ。伝統舞踊に使われる曲はわりと限られるのだが、それはたぶん、こういう要素を兼ね備えた曲は限られるからだと思う。

私が「陰陽」を初演する数か月前に、デデ氏が音楽を手掛けた舞踊劇の中で「陰陽」の最後に使う曲がペロッグ音階で使われた。また、2003年頃に芸大教員のダルヨ氏が振り付けた舞踊「スリカンディ×ビスモ」(音楽はデデ氏)の中でもその最後の曲が同じスレンドロ音階で使われていた。ダルヨ氏の作品はたぶん私が帰国後に振り付けられたもので、私は長らくその存在を知らなかったのだが、コロナ禍の時にyoutubeで見つけてびっくりした。たぶん、デデ氏にとっても会心の作で、何度も使いたくなる曲なのだろうと思う。

●「すれ合う伝統」/「Water Stone」
ドゥエット。現代舞踊家・藤原理恵子さんとの共同作品。初演:2005年8月、リアウ現代舞踊見本市(インドネシア)にて。音楽は七ツ矢博資氏の1999年の作品で、ピアノとガムラン楽器を使う。初演時は舞踊作品のタイトルを「Water Stone」としたが、楽曲の原題は「すれ合う伝統 ~インドネシアにて思う~」。この作品については2021年8月号の『水牛』で「すれ合う伝統」と題して書いているので、そちらをご覧いただきたい。

●「Nut Karsaning Widhi」
単独舞踊。初演は2011年9月、バンドンの国営ラジオ放送で開催されたブディ・ダヤというジャワ神秘主義実践者たちの集まりにて。音楽は芸大教員のワルヨ・サストロ・スカルノ氏。このイベントで上演するために委嘱した曲で、心の鍛錬がテーマ。何度か上演したけれど、実は振付は決めていないので、毎度踊るたびに考える。ワルヨ氏の専門は歌で、デデ氏とは違うスタンスで作曲してくれることを期待して委嘱。この曲を依頼したのは調査でジョグジャカルタに住んでいる時で、コンセプトは伝えたけれど、録音以前に細かいやり取りはしなかった。しかし、録音の際に旋律やらテンポやらについてその場でさまざまなリクエストをし、それに対してワルヨ氏からも「それなら、これはどうだ?」と、丁々発止のやりとりがあって、ものすごく勉強になったなあと思う。踊る時より録音の方が楽しかった気がする(笑)。