話の話 第9話:つい、うっかり

戸田昌子

天気予報では雨が降ると言っていたのに、家を出るときに晴れていた、などの理由で、「つい、うっかり」洗濯物を干して出かけたあと、土砂降りになる、そんな失敗をしてしまったとき、人はそれを「マーフィーの法則」と呼ぶ。われわれは失敗しないために先回りして対処するという知性を身につけているはずの人類であるが、それでも状況をみくびってしまう癖を持ち合わせているのである。たとえば、「お母さん、牛乳ちょうだい!」と子どもに言われて、面倒くささから、つい「冷蔵庫にあるから自分で入れなさい」と言い捨てたあと、ふと振り返ると子どもがコップから牛乳をだぼだぼと溢れさせている姿を見たとき、わたしは子を叱るよりもまず、自分の愚かさを恥じる。なぜ状況をみくびってしまったのか、と。そして雑巾を淡々と手に取り、絨毯にこぼれた牛乳を拭き取り、消臭スプレーを吹きかける。そう、失敗はなかったことにする、それがわたしの基本原則である。

そんな事例は無数にある。たとえばレストランでトマトソースのパスタを頼んでしまったあとで、自分が真っ白なシャツを着ていることに気づき、仕方ないからできるかぎりそーっと食したにも関わらず、トマトソースを胸元にはね散らかしてしまうなどの悲劇は、年に1回くらいの確率では確実に起こる。例えばその日わたしは、10個入り600円のタマゴを1パック、有機食材のお店で購入した。なぜそんな分不相応に高額なタマゴをわたしが購入したのかはさだかではないが、おそらく気が大きくなっていたのではないだろうか。そしてまだ10歳に満たなかった小さな娘に、そのタマゴの袋を持たせた。なぜならわたしはそのとき、本が何冊も入ったリュックサックと、野菜や肉などの入った大きな買い物袋を抱えていたからである。タマゴの袋を持たされた娘はいつものようにルンルンと私の隣を歩いていた。そして、ものの3分も経たないうちに、その袋は彼女の手から滑り落ち、アスファルトの路上に落ちてカシャンと小気味の良い音を立てた。そのときわたしの頭をよぎったのは、「なぜわたしはよりによってこのタマゴの袋だけを娘に渡したのか?」という疑問だった。その疑問に、わたしは答えることができない。そして自身のうっかりに激怒しながら帰宅してパックを開けると、タマゴはすべて割れていた。割れたタマゴは保存がきかないので、その日の夜ご飯は当然のことながら、とても大きなオムレツとなった。忘れられない600円の激怒オムレツ。

ちょっとしたうっかりが尾を引く事例は多い。たとえば、中学のときの姉の同級生で、ずっと「ジョージ」と呼ばれていた少年がいた。姉がその理由を尋ねると、彼は自分の体操着を「おれのジャージ取ってきて!」と友人に頼もうとして、うっかり「おれのジョージ取ってきて!」と言ってしまったのだという。それ以来、彼は卒業するまで「ジョージ」と呼ばれ続けた。うっかりジョージ。

その昔、中学のときのわたしの同級生に、親分肌のごつい少年がいた。体が大きく、声が大きく、いじめをするクラスメイトを見つけては大声を出して「おまえ何やってんだ」と注意してくれるのはいいのだが、ついでにそいつをゴツンとこづく、という悪い癖もある。その彼が、目の敵にしていた理科教師がいた。その学校に転任してきたばかりの女教師で、気を張っていたせいなのか、あまり空気が読めなかった。のんびりした公立校なのにもかかわらず、宿題忘れや理解の遅い子に対して厳し過ぎる態度を取る。その厳しさが気に入らなかったと見え、彼はその先生の授業中、なにかと先生に反抗したり、腹が立つと教室を出ていってしまうことが多かった。当然、先生はいきりたって追いかける。そのため理科の時間になると、教室には緊張が走った。当時、40歳くらいの独身女性だったこともあり、そのことを揶揄されたり、次第に教師いじめに近い状態になっていた。ある日の授業中、彼は立ち上がって、いつものように先生に対してかみついていた。彼女も感情的になって、しだいに自分が何を言っているかわからなくなり、一生懸命ではあるのだが、話がとんちんかんなことになり始めた。それがきっかけとなって、一触即発だったその場の緊張感が、ふと緩んだ。そして次の瞬間、彼はにやりと笑い「先生、かわいいね」と口にした。実際、そのとき生徒たちはみな、一生懸命な先生の姿がかわいいと思ったのじゃないかと思う。しかし先生はそれに反応しようとして……おそらくは、ついうっかり「あたりまえです!」と怒鳴り返してしまったのである。そして教室は笑いの渦につつまれた。憮然として「何がおかしいんですか!」と怒っている先生。それ以来、彼はその先生が大好きになり、しきりとついてまわるようになった。しまいには、よその教室でその先生の授業中に生徒が騒いでいるのを聞きつけては、わざわざ自分の教室から出張し「お前ら、先生がしゃべってんだから静かにしろよ!」と注意して回る始末であった。「先生を困らせるやつは許さない!」などと彼は言っていたが、その行動によって、先生はちょっと迷惑していたのではないだろうか。しかし卒業まで、先生と彼は仲良しであった。彼は植木屋の息子だったが、のちに植木屋を継いで今でもやはり親分肌である。

ひとが失敗すると、それが「かわいい」と見えてしまうのはなぜなのだろう、と考える。わたしは失敗の多い人間であるせいか、失敗したとき人に笑われ、「かわいいね」と言われてしまうことがある。たいていの場合、失敗したときは、何も言わずに落ち着き払って対処すれば、人目には失敗だと気づかれないことも多い、というのは長年の教師経験から学んで実践していることである。しかし、目ざとい人は、わたしのうっかりには気がついているらしい。たとえば家族や親族には気づかれているわけである。たとえば妹の夫はフランス人で、日本語がほとんど話せない。ある日、彼は簡単な日本語を覚えようと、「まあちゃんは、まるい」という短文を作り出した。そしてそこにさらに文章をつなげようとして、「でも、かわいい」と続けた。「まあちゃんは、まるい。でも、かわいい」という文章を作り出した彼は、それがひどく気に入ったらしく、妹とふたりで「まあちゃんは、まるい。でも、かわいい」と日本語の練習を続けた。しかし気に入らないのはわたしの方である。「まるい、でも、かわいい」などというのは、体型に対する侮辱ではないか。「でも」じゃないだろう!と反論していたわたしだったが、あるとき友人が言う。日本語の「でも」に相当するフランス語の「mais」という言葉には、逆接の意味だけでなく、順接、すなわち「だから」や「そして」などの意味もある、と。すなわち、「まあちゃんはまるい、だから、かわいい」という意味なのではないかと。意外な発見に、ほほう、と感心、うっかり納得してしまったわたしだったが、しかし、ちょっと待て。「まるい、だから、かわいい」……それはどういうことだ。まるいからかわいいなら、結局なにも変わらないじゃないか。

つい、うっかり、やってしまうこと。毛糸のセーターを洗濯機で洗ってしまえばフェルト化してまうのは物理の法則を持ち出すまでもなく必定なのだが、「もしかして大丈夫なんじゃないかな」と思えてしまうのはなぜなのか。つい、洗濯機に放り込んでしまうことがある。アメリカにいたとき、買ったばかりのセーターを、温湯で洗浄する洗濯機につい突っ込んでしまい、みごとなチビT並みのサイズにしてしまったことがある。セーターでヘソ出しルックになるわけにもいかず、泣く泣く手放したわたしとしては、過去の過ちは繰り返したくないのにもかかわらず、時々それをやってしまう。友達の結婚式のために手に入れたステキなウールのカーディガンを、なぜか洗濯機に入れてしまった結果、5分の3ほどのサイズに縮んでしまったときは確かに悲しかったが、そのときはもう子どもがいたので、「もしかしてこれは、子どもの洋服にすればいいのでは!」という天啓が訪れた。娘に着せてみたら見事にぴったり。これははじめから子ども服であったと考えればちっとも惜しくない、高い服だったけれど、子どもに贅沢をさせている、と考えればいいのだ。わたしはそう自らを説得し、長いことそのカーディガンを娘に着せ続けた。そしてそれはとても似合っていた。

論文を書きながらぼんやりとご飯を作っているときには、うっかりミスが多い。肉じゃがを作っているつもりで、いつのまにか豚汁を作っているつもりになってしまい、やたらだぼだぼと水分の多い、大根とごぼうと油揚げの入った肉じゃがが完成してしまったことがある。それをみた夫と娘が「これは何?」と尋ねるので「……おいしいよ」と答えると、「だから、これは何?」と重ねて尋ねられた。しかたなしに「肉じゃがと豚汁の中間」と答えると、「じゃあこれはとんじゃが」だね、と言う娘。「いや、肉汁じゃない?」と言う夫。肉汁。それは聞くだに、とても残念なメニューだね。

失敗の多い人生のなかでも、特に気を付けており、かつ職業的にやってはいけないこと、というのは、校正ミスである。しかしこれはどんなに頑張っても、なかなかゼロにすることができない。特に翻訳ものなどの場合は難題で、最近はカタログ論文などで英訳の校正をしなければならないことが多くて頭が痛い。これは平然とやり過ごそうにも文字として残ってしまうからである。たとえば大阪の問屋街の地名である「船場」を「a dock」と訳されてしまったり、映画会社の「松竹」を「Matsutake」と訳されてしまったりするような事例は、笑うに笑えないし、冷や汗をかきながら修正する。ちなみに自分自身がこれまでやってしまった校正ミスのうちで最も致命的だったのは、2014年に東京都写真美術館で行われた岡村昭彦写真展カタログであった。国内外を飛び回った国際的な報道写真家、岡村昭彦についての文章だから、校正者の力量も問われ、刊行元の編集者は新聞社の校閲部に校閲を外注した。そのためたいへんに緻密な校閲が行われ、内容的には大きなミスなく進行できた(小さなうっかりミスはあった)。しかし、である。その奥付だけは、最後に作られたために、校正の手がまわらなかったのだろう。展覧会オープニングの前日、写真美術館に届けられたカタログをみて「……これ、刊行年が20014年になってます」と気づいたのが誰であったかは、もう覚えていない。20014年って、どんな未来の宇宙なんだろうねぇ、と遠い目で語り合ったわれわれが、どんな対処をしたのかすら、すでに記憶の彼方である。たぶんちょろっとした紙ペラの正誤表が挟まれただけだったのではなかっただろうか。

宇宙、と言えば、数年前、久しぶりに鰻を家で食すことになり、冷蔵庫の山椒の瓶の賞味期限をみたら、2001年だったことがあった。急いでスーパーに走って事なきを得たが、気づかなければ、あやうく2001年宇宙の旅の鰻となるところであった。

マーフィーの法則と言えば、マーフィー岡田さん。実演販売で有名なマーフィー岡田さんは、この業界で50年以上活躍する、その筋では有名人。わたしのキテレツな伯父と岡田さんは高校の同級生である。この伯父に関する逸話は尽きないが、現在は消息しれず。テレビや雑誌で彼の姿をみかけるたび、わたしの母は「ああ、岡田さん」と言う。それにつられてわたしもつい、彼を見かけると「ああ、マーフィーさん。伯父さん、どうしているかなぁ」と、つい呟いてしまう。それで最近、どうされているのか気になって、つい検索をかけたら、なんと、X(旧Twitter)にアカウントが存在している。ああ、お元気なんだとほっとし、うっかりフォローしてしまった。ああ、マーフィーさん……。