紫陽花とポチ

植松眞人

 ポチがうちに来てもう十八年たった。ポチも歳をとったが私も歳をとった。出会った頃は四十五歳だった私も還暦を過ぎた。
 私たち家族がひょんなことから手に入れた中古の建て売り住宅に引っ越したその日、ポチはうちに来た。来たというよりも、段ボール箱に入れられて軒先に置かれていた。
 仔犬のなく声に引き寄せられた子どもたちが見つけて、少し温めた牛乳をもらって飲むと、仔犬は小さく尻尾を振った。その姿にやられてしまった子どもたちは、すっかり自分たちで飼う気になっていたが、私と妻は乗り気ではなかった。何人かの知り合いに電話をかけて、可愛い仔犬がいるんだけれど、と言ってはみたが見事に断られた。挨拶がてら向こう三軒両隣に仔犬の話をしたのだが、これも気の毒そうな顔をされて終わった。
 さすがに、引っ越してきた当日に出会った仔犬を保健所に差し出す気にもなれず、妻も仏心を出して承諾し、結局、ポチはうちの飼い犬になった。ポチという名前は私がつけた。一家の主人である私はお前を飼うことに乗り気ではなかったのだ、という意思表示のようなつもりがあったのかもしれない。十八年の間、なんどか犬の名前を問われ、「ポチです」と答える度に笑いをこらえられたり、あからさまに笑われると、自分が適当に名付けたことを責められているような気がしたものだった。
 十八歳のポチが私の目の前を歩いている。真っ白い毛を揺らして歩いていたポチの毛も、最近ではツヤを失い、少しゴワゴワしてきた気がする。明らかに雑種なのだが、ポチはどんな両親をもった犬なのだろう。若い頃よりもヨタヨタと歩くポチの後ろを同じようにヨタヨタと歩きながら、私は初めてポチの両親に思いを馳せた。けれど、頭に浮かんでくるのはポチの両親ではなく、私自身の父と母の顔だった。どちらもすでに他界しているが、そう言えば、二人とも犬が苦手だった。母は犬などの世話をすることが嫌いで、子どもだった私が金魚を飼いたいというだけで世話が大変だと反対した。父は嫌いと言うよりも犬が怖かったのだと思う。子どもの頃に噛まれたことがあると聞いていたのだが、前から犬が歩いてくるだけで、路地を曲がってしまうほど犬との接触を避けていた。そんな両親から生まれ育った私が、十八年もポチを飼っていますよ、と私はポチの尻の穴を眺めながら天国の両親に声をかけたい気分だった。
 子どもたちはとっくに家を出て、ポチの散歩は三年ほど前から定年退職した私の日課になった。しかし、この三年の間にもポチの足腰は明らかに弱っていた。ときど、立ち止まってみたり、引き返そうとすることもあった。そんなとき、ポチは私を振り返り情けなさそうな顔をした。私はそんなポチの情けない顔と尻の穴を交互に見ながら、歳をとったなあお互いにと声をかける。
 いつもの散歩道が公園に差し掛かる。舗装されていない土の道の柔らかさが心地良い。ポチも同様なのか、いつもこの公園に入ると、足取りが軽くなる。朝、ほんの少し降っていた雨が土を濡らしたからか、しっとりとした空気が散歩道を満たしている。ポチがちょうど見頃の紫陽花に鼻っ柱を近付ける。水滴が鼻につく。ポチは顔を左右にふって水滴を払う。その動きで、紫陽花が大きく揺れて、たくさんの水滴が飛び散り、ポチにもかかる。ポチは驚いて、紫陽花から跳ねるように離れて小さく吠える。
 ポチが私の家にやってきたのもちょうど紫陽花が咲いている季節だった。うちにはなんの花も咲いていなかったが、隣の家の花壇にいくつかの紫陽花がきれいに咲いていた。
 そうか、あれから十八年か、と私は紫陽花とじゃれているポチを見て笑う。そして、笑いながら、やっぱり歳とったなあ、ポチ、とポチの尻の穴を見ながら思う。(了)