神奈川近代文学館で2024年6月8日から8月4日まで開催されている「庄野潤三展~生きていることは、やっぱり懐かしいことだな!」を見に行った。庄野潤三は1921年(大正10年)生まれ。1955年に「プールサイド小景」で芥川賞を受賞し、吉行淳之介、安岡章太郎、小島信夫らとともに、第3の新人と呼ばれた作家だ、家族や友人との日常を細やかに記した小説や随筆を多く残した。
江國香織と編集者の刈谷政則による記念トークショーが開催され、そちらも聞くことができた。江國が、庄野潤三について「わかる人にはわかるけれど、論じるのが難しい作家だ」と話していたけれど、同じように私も感じる。晩年の作品から出会い、遡って初期の短編などを読んでいった私としては、作り込んだ初期の短編よりも日常をそのまま記録したような晩年の作品群に魅かれる。毎日のルーティーンを淡々と繰り返し、特に事件が起きるわけでも無い老夫婦の穏やかな日常を読んで、こんなに心地よいのはなぜなのだろう。失われた理想卿とまでは思わないけれど、確かに存在していた人間らしい暮らしをそこに見て安心するからなのだろう。江國は「(庄野は)目のつけどころがちがう」のだとも言っていた。みんなが同じように家族の暮らしを営んでいるけれど、庄野の眼差しによって切り取られたひとこまによって、それは心に残る風景、かけがえのないひと時になるのだろうと思う。時間とともに消えて行ってしまう人間の暮らしにあるものを庄野が見つめて文章に止めおいてくれたのだとも言える。
『夕べの雲』をイタリア語に翻訳した須賀敦子が、「この中には、日本の、ほんとうの一断面がある。それは、写真にも、映画にも表せない、日本のかおりのようなものであり、ほんとうであるがゆえに、日本だけでなく、世界中、どこでも理解される普遍性をもっていると思った。」と記している。須賀敦子も庄野潤三を「わかる人」だったのだと思うと嬉しくなる。
『庄野潤三の本 山の上の家』(2018年7月/夏葉社)は、庄野潤三の良き案内書だ。庄野が芥川賞受賞後に夕刊書いた「わが文学の課題」を、この本に紹介されていたから読むことができた。夏が頂点を迎える「巴里祭」あとの季節がいちばん好きだと書いた後で、「僕が死んでしまったあと、やはり夏がめぐって来るけれどもその時強烈な太陽の光の照らす世界には僕というものはもはや存在しない。誰かが南京はぜの木の下に立って葉を透かして見ている。誰かが入道雲に見とれて立ちつくしている。そして誰かがひゃあーといって水を浴びているだろう。しかし、僕はもう地球上のどこにもいない。
僕が夏の頂点であるこの時期を一番愛していたということは、僕をよく知る幾人かの人が覚えていてくれるだろう。だが彼等も亦死んでしまった時には、もう誰も知らないだろう。それを思うと、僕は少しせつなくなる。
そして、そのような切なさを、僕は自分の文学によって表現したいと考える。そういう切なさが作品の底を音立てて流れているので読み終わったあとの読者の胸に(生きていることは、やっぱり懐かしいことだな!)という感動を与える=そのような小説を書きたい。」と書いている。庄野の書く日常が静かで穏やかな光に満ちている、その謎がとけるような文章だ。みんな死んでしまって、誰も覚えている人がいなくなった後にも、本はそれを手渡していくことができる。庄野が感じていた切なさもそのままに、庄野の書いた文章は残り続けていくのだ。
『山の上の家』には、もうひとつ心に残る文章があった。「実のあるものーわたしの文章作法」という「国語教育」の昭和44年1月号に掲載された随筆だ。良い文章を書くには?という内容で、「なるべく大げさな云い方をしないこと。」と言ったあとで、庄野は続ける。「日本語の本来持っている筈のゆたかな働きを、もう一度振り返ってみよう。そうして、託せるだけのものを言葉に託してみよう。このひとことでは、あっさりしていて、何だか頼りないという気がするかも知れないが、うまく用いられた言葉は、そんな心配をはね飛ばす力を持っている。持ってまわった云い方をしないこと。」と。この文章もまた、庄野作品の魅力の謎を解く手がかりとなりそうだ。
『山の上の家』には、小さくなった、たくさんのステッドラー3Bの鉛筆の写真が掲載されている。この写真を初めて見た時、片岡義男にも小さくなったステッドラーの写真があったはずだと思い出し、2人が結びついた事に嬉しい驚きを感じた。今回の庄野潤三展では、籠にざくざくと入った小さな青いステッドラーの3Bが机とともに展示されていた。片岡義男が撮った、小さくなったステッドラーの写真を探してみたが、『なにを買ったの?文房具』(2009年/東京書籍)のなかの、マグカップに差してあるステッドラーは小さくなった物ばかりではなかった。「早くも二十年以上も前のことになるが、四センチあるいはそれ以下になった短い鉛筆を、リーボックのスニーカーの箱にざくざくと持っていた。」という文章から勝手にイメージしてしまっていたようだ。そして片岡は「短くなった鉛筆はすべてタリスマン(魔除けのような不思議な能力を持った、愛すべき小さな物体のこと)だ」と書いている。片岡義男も「わかる人にはわかるけれど、論じるのが難しい作家だ」というところは庄野潤三と共通している。