僕は、だれとでも仲良くなれる人になりたいと子どものころから思っていた。というより誰からも嫌われたくないという気持ちが強かったのだろう。そこで数年前からイスラエルとパレスチナの若者たちの平和交流プロジェクトのお手伝いをして、イスラエル人とパレスチナ人両方の友達を作りたいとひそかに考えていた。僕は、25年前にパレスチナに住んでいたから、パレスチナ人の友達は少なからずいたけれど、敵対するイスラエル人の友達などできるはずがなかった。イスラエル政府にとっては、僕は、パレスチナを支援するとんでもない「テロ」リストのようなものとして扱われた。それでも、だれとでも仲良くなりたい僕は、イスラエル人の友達が欲しかったのである。
昨年の夏。日本にイスラエルとパレスチナの若者がやってきた。パレスチナ人は、いかに自分たちの人権が抑圧されているのかを訴えたかったが、イスラエル人は、そんなことは聞きたくなかった。せっかく仲良くしようとしているのに、パレスチナ人が文句を言って場を乱している。おそらくはそんな風な雰囲気が漂ってしまい、対話がほとんど成立せず後味の悪い終わり方をしたらしい。
まず、イスラエル側の問題として、政治が安定しない。「民主的な」イスラエルは、選挙で過半数を取りきる政党がもはや存在せず、ネタニヤフ政権は、極右の政党と連立を組まざるを得ず、パレスチナ人の弾圧を強化していた。すでに5000人のパレスチナ人が逮捕され裁判もなく拘留されて、時には拷問をうけていた。日本の報道でも、パレスチナ人の犠牲者は過去最大になっていると報道していた。
しかし、平和を求めて日本にやってきたイスラエルの若者たちには、まったくそのようなことはあり得ないと思っている。「5000人?凶悪犯でしょ。つかまって当然」そのような感覚だ。10月7日に、ハマスの奇襲を受けると、イスラエルの若者たちの反応は、「それ見たことか、凶悪犯を生み出すガザを徹底的に攻撃しなければ」というようなのが大半だった。パレスチナを支援している友人の投稿を僕がSNSで転送するとすぐさま、「ハマスがやったことを正当化するのですか?」というクレームを彼らは書き込んできた。
パレスチナ側の問題は、ガザをハマスが実効支配。しかも、2007年の内戦で、ハマスは力ずくでファタハを追い出した。じゃあ当のファタハはというと汚職でどっぷりで、パレスチナ人の信頼を失っている。今回のハマスの奇襲にしたって、奇襲というアイデアはともかく民間人を狂ったように襲うというやり方は、いくら、イスラエルの政策が根本的な原因だと言えども許されるべきではない。といったところでヒステリックになっているイスラエル人は聞く耳も持たない。
昨年10月18日、バイデン米大統領がイスラエルを訪問していいことを言っていた。
「私は次のように忠告したい。あなた方が怒りを感じる間、その怒りに飲み込まれてはいけない。9・11の後、アメリカは激怒しました。正義を求め、正義を得ましたが、間違いも犯したのです」
結局イスラエルはアメリカの忠告も聞かずにガザに侵攻、ハマスせん滅を掲げるが、ハマスがとった人質の解放も進まず、4万人近くのパレスチナ人(大半は民間人)が殺され、さらにその数は増え続けている。国際社会の圧力に屈しないイスラエル。停戦のためには、イスラエル側が変わるしかない。だから僕には、イスラエル人の協力者が必要なのだ。
北海道パレスチナ医療奉仕団の猫塚先生の報告会を企画したときのことだ。会場から「自分はイスラエル人だ」という人が発言した。一瞬緊張が走る。「イスラエル人は、ガザの人たちのことなど全く考えていない。日本の皆さんが声を上げることが、イスラエルの圧力になるから、声を上げてほしい」彼はリランといい、日本人の葉子さんと結婚してイスラエルで暮らしていたが、イスラエルのやっていることは、おかしいと思い日本で平和活動を行おうと決心したという。葉子さんはいう。「イスラエル人は被害者意識をもっているから、追い詰めても彼らはむしろ反発するだけなのです。否定から入るのではなくわかってあげるところから始めないといけないと思うのです」
数日後リランは、ドイツで、パレスチナ人とユダヤ人が共同で立ち上げたNGOがガザを支援していることを伝えてきた。「僕はこの団体を支援したい。協力してほしい」という。ラストチャンスだと思った。まだ、人間って行けるんじゃないのか。
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