『女たちの同時代――北米黒人女性作家選』 藤本和子編

藤本和子による解説
 目次
  


1 過去を名づける
『青い眼がほしい トニ・モリスン』より
  
2 たましずめの歌


3 喉をつまらせている女たち

4 新たなる沈黙に声を

5 衰弱そして再生

6 体験の存在空間

7 反悲劇

過去を名づける 『青い眼がほしい』トニ・モリスン


  

「女たちの同時代」と名づけて、全七巻の現代北アメリカ黒人女性作家の作品をまとめて出すことになった。七巻という数字に魔術的な理由はない。十五巻や二十巻のほうがいい。けれどもいま可能なのは七巻である。作品が不足しているからではない。この七巻は現代の北アメリカの黒人女性作家の究極的プロフィール、決定的シリーズともいえない。できるかぎり、同時代の黒人女性作家の息遣いの感じられるような選びかたをしたいと思ったが、入れたくても入れることのできなかった作家や作品も多い。
 こんな風に仰々しくタイトルを付けてわずか七巻まとめなくたって、いくらでも北アメリカの黒人女性作家の作品は翻訳されてきたし、紹介もされてきたではないか、べつにこのシリーズが画期的というわけでもないだろうし、先駆的でもないだろうに、という意見も当然あるだろう。トニ・モリスン、ニッキ・ジョバンニ、マヤ・アンジェルウ、アンジェラ・デイヴィス、ローザ・ガイ、ビリー・ホリデイなどの著作は翻訳されているのだから。けれども、小さいものながらひとかたまりにすることによって、ただばらばらに翻訳作品を放り出すのとは違った方法で、彼女らを知ることができるのではないか。より深く豊かな方法で、より有機的な方法で。七巻をひとかたまりとして、文字通り同時代の女たちの仕事の全体像の一部を浮き上がらせることはできないだろうか。ここでも「全体像」とはいえず、「全体像の一部」としかいえない。願わくばより大きな一部であらんことを。
 はじめには世界の女性作家のシリーズを考える過程があった。しかしそのようなシリーズなら三十巻とか五十巻でなければとうてい無理だ。三年間ほどかけてそのことを考えているうちに焦点が絞られて、黒人女性作家の選集にしたいと思うようになった。それもひとまず北アメリカで仕事をしている女性に限定することにした。巻数に制約があるかぎり、それより広げては、何をめざそうとしているのかわからなくなる。わたしたちの関心は、苛酷な歴史を生きのびるについては、人間としての尊厳を手放さずに生きぬこうとしてきた集団の、その精神の遺産を正当に継承しようとしている女たちの仕事に向けられてきた。それと同時に、女であることを自らの力の源泉にしようとしている女たち。ひとまず、これが出発点になった。
 そのことは黒人の北アメリカ体験を奴隷制度のもとに非人間的な身分を生きた集団のそれとしてのみ捉えないこと、解放後にも残忍な差別の対象となったひたすら「気の毒な集団」のそれとしてのみ捉えないこと、を意味している。すなわち、たしかにむごたらしい方法で連行され酷使され蹂躙されてきた人びとだが、だからといって彼らが白人社会の態度や仕打ちに対応するだけで時間をやりすごしてきたわけではないことをはっきり記憶しておこうということでもある。
 彼らは彼らの文化を、あらゆる手段をもって生かし続けようとしてきた人びとである。リリアン・ヘルマンが南部で育った彼女の母親について、「彼女は黒人女性たちによってその感性を養われた」と述べていることは、差別者と被差別者という図式だけでは関係を理解することはできないことを意味している。わたしはヘルマンのこの表現は妥当だと直感的に感じている。ヘルマンがそう意図したかどうかはわからないが、彼女のこの言葉の中には、黒人の集団的想像力、文化の宇宙、文化の遺産が実体的なものであり、完結性をそなえているものである、という意味が含まれている。白人文化に曖昧に吸収されてしまわない独自性と主体性がある、ということ。それは虐待や差別や蔑視を受けた結果の副産物ではない。冒され蹂躙されながらも生きのびてきた集団の生命力そのものであったということ。黒人女性作家のひとり、トニ・ケイド・バンバーラは次のように語った――

 わたしたちがこの狂気を生きのびることができたわけは、わたしたちにはアメリカ社会の主流的な欲求とは異なるべつの何かがあったからだと思う。……貧困のどん底にあるような黒人たちのこころを占めたのは物質への欲求ではなく、何かべつのことだった。多くの黒人にとって、名づけようもないもの。指さして示して、ほらこれだ、ということができないもの。けれども、とにかく、わたしたちにはある種べつの知性を理解する能力がある。
 ただし体験を語る言語が見つからないことはしばしばあるのだけれど。

 そして、白人とほとんど変わらぬように白い膚をしたひとりの黒人女性は次のように語った――

 断言するけど、あたしは黒人なの。なぜ自分は黒人だといわずに、白人として通してしまわないのか、とたずねる白人もいる。黒人であるとは、精神的な範疇であり、心理的な範疇であり、同時に社会的事実だということが、そういう人には全く理解できていないわけよ。

 また、トニ・モリスンは「黒人の文化遺産を、精神の遺産を守れ。われわれがアメリカにおける異族であるなら、異族であり続けよう、それを諦めてしまうことは、われわれの存在の根を根こそぎにすることだ。そのようなことがあっていいのか」と問う。
 いま、このように例に引いた言葉を真に受けることが緊急に必要なことだ。当事者が自らについて語る言葉を真に受ける習慣を、最低限の礼儀を、わたしたちは忘れかけている。「少数民族」とか「被差別民族」とかレッテルを貼られる集団に対しては。なぜそのようなことになってしまったのか。わたしたちはいつの間にか訳知になって、「気の毒な人びと」のことならよくわかると、不用意に考えるようになっている。だから、にほんというくにに住むさまざまな異族についても、まるでわからない。気の毒ですねえ、とか、差別はやめましょう、ですませてしまう。まじわりはまずしさばかりをつのらせ。
 バンバーラやモリスンが「異族なのだ」と発言することを真に受け、そこで、異なる者たちへの敬意を学ぶことはできないか。理解への方法について深めてゆくことはできないか。そのことから、わたしたち自身の宿題への手がかりを得ることはできないだろうか。わたしたちの間に生きる異族たち、苦難にも人間としての尊厳を手放さずに生きのび、集団の精神的遺産を正当に受け継ごうとしてきた人びとと、これまでと違った視線と敬意をもって向き合うことは?

 七巻の選集には荷が勝ちすぎる希望であるかもしれない。いずれにせよ、七巻ひとまとめにして送り出しても、巻ごとに訳者の解説をつけただけではどうにもならない。そこで七巻の作家たちを、にほんの同時代の、書くことを仕事に、あるいは仕事の一つにしている女たちはどう読むのか、それを語ってもらおうときめた。それが各巻についている書きおろしのエッセイである。こうしたエッセイを加えることで、ひとつのまじわりを試みたかった。「女たちの同時代」と名づけたいきさつには、そのような期待があった。

  2

 北アメリカの黒人女性は、いま同時代の黒人女性作家たちに、どのような期待と関心を持っているのだろうか。作家たちの思想と同時に、読む者たちの関心の軸がどのような性格を持つのか、それを知りたいと思った。彼女らの関心を直截に表しているとわたしが感じたのは、『真夜中の鳥たち――現代黒人女性作家選』一巻のアンソロジーの序文に、編者メアリ・ヘレン・ワシントンが記している言葉だった。

 黒人女性の伝説を語り、夢で神話を織って、わたしたちの過去を回復し、過去を名づけることを可能にすること。

 彼女らはこれまで、彼女らの伝説は語られていないと感じ、過去は回復されず名づけられてもいない、と感じてきた。ステロタイプ化されたイメジに深い傷を受けてきた。黒人女性はいわく、「なにものにもめげず、おそろしく強い」とか、「善悪の区別もつけぬ、野放図な者たち」とか、「すべてを犠牲にしてやまぬ聖母《マドンナ》」である、とか。(モリスンの『鳥を連れてきた女』Sulaでは、女主人公のスーラは一つの悪として描かれ、悪の目的はそれを生きのびることである、と作者は明確に書いている。村の人たちはスーラの行動を理解しない。異端者である。ところが人びとは、モリスンは黒人女性の典型を描いたといちはやく消化してしまった。ステロタイプを現実ととり違え、小説の主人公を作者はすばらしいヒロインだと称えているのだと直線的に誤解した。)
 リチャード・ライトと同時代の女性作家にはゾラ・ニール・ハーストンというひとがいた。彼女の仕事は多岐にわたり、複雑な性格を持っている。ラングストン・ヒューズはその自伝でハーストンとの出会いに触れて、ハーレムの文学者たちの中でも、ゾラ・ニール・ハーストンがいちばん面白い作家だったのはたしかだ、と書いている。そのハーストンには『彼らの眼は神を見ていた』という小説があって、それに登場するかつて奴隷であった老婆は「黒人の女はこの世のらばだよ」といっている。白人にも、黒人の男たちにも踏みつけられ圧迫される存在だと。「この世のらば」という表現はいまでも女たちの共感を呼ぶもので、その言葉が口にされるのを、わたしはこの仕事にとりかかっていた過去三年間に幾度も聞いた。『真夜中の鳥たち』の扉にも、その言葉が引かれている。その言葉を引きつつ、メアリ・ヘレン・ワシントンは彼女の編んだ二巻のアンソロジーのタイトルがまず『おおはんごん草』(一九七五年)であり、それから『真夜中の鳥たち』(一九八〇年)となったことについて語っている。自己の像《イメジ》を主体的に掘りおこしていく決意を。

 ペンを執る者たちのほとんどすべてによってそのイメジを管理され歪められてきた女たちが、すなわちかつて「この世のらば」と呼ばれた女たちが、自らの手で真新しい自己像を選びとった――おおはんごう草の勇気と弾力性、そして不可思議な真夜中の鳥たちの渇望といらだちである。

 これは女たちの生をめぐる歴史の書き直しである。未来へのヴィジョンのつくり直しである。その意味で、個的な体験も集団的な経験に止揚されうるふりはばを持ち、埋もれていた記憶や営為に名が与えられる。個体によって意識されてきた生の連続性、知性の継承、意志の持続が明るみに出される。その経路を通って、それは集団的な意識として獲得しなおされる。このことをもっとも鋭く意識しているのは、アリス・ウォーカーではないだろうか。彼女の作品は一九六六年に初めて出版されたが、「わたしは黒人の女たちの抑圧と狂気と忠誠と、そして勝利を書く」と彼女は語った。短篇の『ハナ・ケムハフの復讐』について、あるインタビューで述べている言葉が、彼女の基本的な姿勢を表していると思う。

 あの短篇で、わたしはわたしの先祖の何人かが生きたその生の歴史と心理の脈絡を拾い集めた。それを書き記しているときのわたしは、悦びと力とわたし自身の連続性を感じることができた。つまりたまに作家が経験することのできるあのすばらしい気分を味わうことができたのだった。多くの人びと、いにしえのたましいと共にいること。そして彼らはわたしが彼らの意見をただし、彼らの存在を感謝しているのを眺めてひどく満足そうだった。しかも彼らは彼らの存在があるかぎり、わたしは独りきりではないのだよと熱をこめて伝えてくれるのだった。

 ウォーカーはこのようにして、個の現実から広がって集団的現実となるものを捉えなおそうとしてきた。物語の多くは母親から聞いた話が土台になっているという。
 ウォーカーは母の庭に母の創造力を発見する。そのことと、一九二〇年代に南部を歩いた男性詩人ジーン・トゥーマーの南部の黒人女性の印象をぶつけてみる。トゥーマーは張りつめた深い精神性を持った黒人の女たちは自らの人間性のゆたかさに気づいてはおらず、ただひたすら、闇雲に生きているようだ、肉体を蹂躙され、苦痛で頭がぼんやりし混乱している彼女らは希望を抱く資格すら自分たちにはないと考えている、と感じた。彼女らの肉体は「性的な対象」であること、単なる女であることを超えて、「聖人」になった、人格を持った人間としてまるごと受けとめられることはなく、むしろ彼女らの肉体は神殿になった、と。これらの「聖人」たちは狂人のような激しさをこめて世界を眺めていた、あるいは、自殺者の静寂をもって世界を眺めていた、と。ウォーカーはトゥーマーの印象はあやまっていると考える。彼女は女たちの生は宙吊りになっていたのだと感じる。時間の中に、そして空間に。

 わたしたちの祖母や母たちは「聖人」ではありはしなかった。「芸術家」たちだったのである。解き放たれることのない創造性の湧き水によって、感覚の麻痺した狂気へ、血を流す狂気へと追い込まれ。彼女らは創造する者だちだったが、精神の浪費を生きた。なぜなら彼女らは驚異的にゆたかな精神を持った者たちであったのだから。使われることもなく、また求められることもなかった才能を耐えることの緊張が彼女らを狂気へと追いやった。精神を棄て去ることは、労働に疲れはて、その性を踏みにじられた肉体が、そのたましいの重量を担えるようにと、軽くしてやるための痛ましいこころみだったのである。(『われらの母たちの庭を探して』)

  3

 だれもがアリス・ウォーカーと同質の表現で語るわけではない。けれどもだれもが連続を鋭く意識している。だれもが集団的な固有性を、想像力を、価値観を感じている。当然、たえず変質の危機や過程もあるものとして、あるいは再生と回復の可能性をそなえ持ったものとして。そのような意識が『青い眼がほしい』の作者トニ・モリスンの物語る背景にもある。
 わたしはいま「書く」といわずに「物語る」と書いた。そのことは重要である。モリスンは「いってみれば、書くということは、わたしたちの文化の特質に逆らう行為なのよね。集団の記憶は語ること、語り伝えることによって受け継いできたけれど、それができなくなっている。わたしは語りつぐ世代の最後にきた者だと思う。じつは、書かなければならないという現実は、わたしたちがもはや記憶することのできない者たちになりつつある、記憶できないほど愚かになっているということを意味してもいいわけよ」といった。彼女にとって、だから書くとは物語ることであるのだ。記憶し口承する気力を失いつつあるから、文字で物語ると。このことはすでに邦訳のあるモリスンの二つの作品、『青い眼がほしい』のあとに書かれた、『鳥を連れてきた女』と『ソロモンの歌』を読んでもわかることである。

 モリスンにあったのは、五月のニューヨークだった。わたしはニューヨーク市から六〇〇キロほど北のイサカという人口三万の小さな町に住んでいた。イサカではだいたい赤児の世話で明け暮れ、家を出る間際までばたばたと襁褓など替えていて、きわめて小さな飛行場の飛行機に文字通りとび乗るようにして、しばらくぶりでニューヨークへ向かった。その日は蒸し暑くて、ひどく汗が流れ、ぱっとしない。暑さより、つい先刻までの小さな子どもとの時間と、イーストサイドのランダムハウス社でモリスンに会って話を聞くという時間の中間にいて、こころがうろうろしてしまう。会社に着くと、モリスンの秘書が、「ミズ・モリスン」は朝から三つとか四つのインタヴューをやって、最後のが述びているので、あなたに会うのは約束より遅れるだろう、悪しからず、という。そんなことなら、わたしの番がきたってうまくゆくものか。帰りたい。帰ってしまうふんぎりもつかず、そのまま待ったのだ。わたしの番になって、ふらふらと、案内してくれる女性の後から行ったのだが――。
 扉口でモリスンの姿が見えた。こちらを見て、おはいり、おはいりという。堂々たるひとだ。彼女の顔とからだを見て、わたしは、ああ、これならだいじょうぶだ、と思った。

――『青い眼がほしい』は一章が秋で、終章が春になっているのですね。一つの周期がめぐり、ひとりの少女が廃人となって台所の塵芥の中に何かを探している場面と、めぐった周期の終わりが重なっている。あなたは土壌の不毛を描こうとし、そして語り手としてのあなたは「わたしたちが彼女を助けそこなった」という。『青い眼』は最初に出版された作品だったけれど、あなたはなによりもまず、この国の土壌の不毛を描くことをしたかったわけかしら。

モリスン そういう風に分析してみた記憶はないのだけれど、いまになってみると、一つの過程として必然的だったのだと思う。だれにとってもたいした意味を持たない人びとがいる、だれもその人たちの話を書かないし、考えてみることもない……若い黒人の娘たちのこと。でもね、わたしはわたしたちの人種を美化するために書こうなんていうつもりは毛頭なかった。そんなこと、きわめてつまらない。わたしたちのところには、どれほどすばらしいことがあるのかを書いてみせるなんて陳腐だと思う。それにね、黒人は非凡なのだから、何を書いたって平気だろう、と思った。脆くて弱々しい民族なら、ご機嫌を取ることも必要だろうけれど、そんな必要はないと。たぐいまれな不屈の精神、力、そして美しさをそなえた人びとだということはわかりきっているのだから、あるがままを語ってもかまわないと。でも、明らかに、わたしのその考えは間違っていたようなのね。

――そうだったんですか。

モリスン わたしの物語は「否定的である」と評されることが多い。異様だとか、否定的だとか、中傷するものである……そう、黒人を傷つけると。

――黒人のイメジを傷つける、ということですか。

モリスン こうだと思われたい、というイメジにとって有害だと。そういう態度は誤っていると思うの。イメジなんて紙っぺらのことでしょう、実質はないのよ。あたしはジェーンとディックのイメジを片方に置いて、それと対照的な人びと、なんともひどい人びとをその対照として描いた。ひどい人びとだが、わたしたちは理解しなければならない。チョリーを例にとればいい、チョリーのしたことよりひどいことをわたしは想像できない、自分の娘を強姦するよりひどいことを。けれどももしわたしにその力さえあれば、強姦という事件が起こる時点では、彼は実体的なひとりの人間として理解されることができるはずなのよね。そのほうが、家へ給料を運んでくる当たり前の父親を描いて、彼はすばらしい父親でしたよ、というよりずっと重要だと思う。すばらしい黒人の父親なんて無数にいる。でもそれはわたしの関心事ではない。わたしは人種差別主義がどのような影響をおよぼすものか、それを描きたかった。住居だとか食物だとかいうことは全く無関係なレベルで、それがどれほどの破壊力を発揮するのかを。人間の内側を殺してしまう。フリーダとクローディアの二人の姉妹のように強気でしかも疑り深くない者たちは崩壊してしまう。と同時に、そのような崩壊が起こるためには、やはり共謀者が必要だということ。あの黒人の少女があのような終末を迎えたことの中には、黒人たちの共謀があったのだと。村全体が……ね。
 わたしは終わりのところで、「わたしがやったのだ」という。おまえ、おまえたちがやったのだという勇気がないからなのね。これで少しやわらげられる、黒人としての「わたし」、黒人の女としての「わたし」が罪を引き受ける。彼女を憐れみ、責任を負う者がいなければいけないと思う。わたしは語り手としてそれをしなければいけないと感じたのね。

――あなたがもう実際には会うことのできない人びとが、あなたに、わたしらのことを語れ、とせがむと感じますか。

モリスン 先祖たち。そう、わたしの場合は先祖たち。『ソロモンの歌』はそれだった。でもそれに限らず、いつも、過ぎた時のこと、かつてあった生のことを語りたい、わたしはその過ぎた時の一部でもある……。わたしがその期待に応えなければならない相手は、裏切ってはならない相手は、物語に登場する人びと。読者じゃない。このことはとりわけ強く感じていることなのね。

――あなたは集団の記憶、集団の想像力、集団のものとしての経験にこだわる作家ですね。

モリスン だからわたしはアミリ・バラカ(リロイ・ジョーンズ)に同意できない。彼は大好きだけれど、彼のようには書けない。やってみても、きっとうまくいかない。『ダッチマン』のような作品は存在すべきではない、とはいえないけれど、作品の機能が全く違う。『ダッチマン』は、そのような話について無知な人びとに説明してやる作品だと思う。わたしは語られなければ死んでしまう人びとに、いくらかの生と存在を与えることをしたい。

――肉体が滅び、さらに記憶も滅びて、まっ暗闇に二度葬られてしまう、ということですか。

モリスン そう、二度葬られて……生き続けることができない人びとのことを――それがわたしの仕事だと。

――なぜそう思うのですか。

モリスン なぜかしら。同じように考える人にはあまり出会わないし。
 わたしはね、わたしの家族から、男も女も含めて、強い印象と感動を受けて育った。曾祖母も祖母も知っていた。故郷を出て、学校へ行ったり、仕事をするようになったときには、実際にわたしが理解していたより(というのは、わたしはどうでもいいと思っていたから)、さらに敵意にみちた世界へ出て行ったわけだけれど、そのとき念頭にあったのは、わたしには許されないことがある、ある種の弱さを持つことを許されていない、ということだった。
 わたしの前に生きた女たちはとてつもなく困難な人生を生きた、いのちを脅かされ続ける状況を生きた。なおかつ生きのびた。大学院へ進むことなんか、その女たちがくぐり抜けなければならなかった困難に比べたら、まるでどうということでなかった。わたしはね、彼女たちに笑われると思ったから、いろんなことをしなかった。わたしが彼女たちに対して抱いていた畏敬の念といったら……。字の読めない女たちもいて。でもそんなこと問題ではなかった。わたしは彼女たちに負けたくないと思った。漠然とではあったけれど、幼い頃からそう感じていたと思う。
 書く、ということになったとき、わたしは身近なことから書いていくのが自然な方法だと気づいていたと思う。
 祖母は朝になるとよく、おまえはどんな夢を見たのか、と訊ねたものよ。まだ小さな頃。祖母は数字を使う賭けごとをしにでかけるたびに、どんな夢を見たかと訊ね、それから夢判断の本を調べて出かけて行ってね、当たったよ、といってお金を持って帰ってきた。そのことで、わたしの夢は生活の中のごく身近なことがらになったのね。しかも、わずか三歳のわたしの夢を、大人が興味を持って真剣に聞いてくれたということ。三歳のわたしにとって、夢が暮らしの中できわめて重要な要素になっていたわけね。祖母は持ち帰ったお金を分けてくれてね。わたしの夢はわたしの正当な領分となった。
 母は現在でも、他の人びとが映画について話すような調子で夢について話す。夢の世界と魔術の世界と現実の世界を結びつけて考えることが、ごく自然に行われていたのね。そのことがやはり大きな助けになっている。
 祖父はヴァイオリン弾き、二流のヴァイオリン弾きだった。でもそれで暮らしを立てていた。学校へは行けなかったから文盲だった……
 わたしの周辺にいた人びとの印象はひどく生々しくてね。彼らを具体的にモデルにして書くということはないのだけれど、彼らの影響の深さははかり知れない。
 わたしはわたしの描く女たちと同世代よね。彼女らは荒々しくすさまじいことをするかと思えば、同時にいのちをやさしく養い慈しむことができる。
 そしてわたしは物語が語られるのを聞いて成長した世代に属している。いまはもう「語る」ことは滅びつつある。そこでわたしの望みは、「語る」という文体で書けたら、ということ。なんというか、こう、何気なくて、取り留めないような……そんな風に書きたい。音のような。語り手に心を預けることができるような。「読む」のではなく「聞く」ことのできるような文章がいいと思う。つまりね、批評家が嫌う文体、批評家はジェイムズ・ボールドウィンのような文体が好きなのだから。勿論そのような文体を必要とする主題もある。いま書いている『ターベイビー』には、そういう文体が必要なのだけれど。この作品には伝説的な感触はないの。一九七六年的感触。ペースが違う、言語も違う。
 言語には腹があるのだから。その腹をかりかりと掻くと言葉が現れる。掻くと、表面だけでなく、下にかくれているものが見えてくる。エキゾチックな語彙を使うのでなく、古びた、ありきたりの言葉を使えないものか、と思うの。「そして、彼女は家から遠く遠く離れていた」……『ソロモンの歌』の中でハガーが買物に出ていてね、髪がぐっしょり濡れていて。「そして、彼女は家から遠く遠く離れていた」これは童話みたいな言葉よね。こう表現したとき、彼女はほんとに迷子になっていて、家から遠く遠く離れて。

――あなたは口承文学の伝統の最後の世代に属しているといわれる。あなたの作品を読むと、書き記しておかなければ消えてしまう、という切迫した感じが伝わると思う。あなたは作家としての自分を大切に思ってもいるでしょうが、さらに重要なことは、あなたが自分を道具だと考えていることでしょう? 集団的な過去、過去からの声を伝える媒介者として。あなたは他者にせっつかれ、衝き動かされている。

モリスン 全くその通りだと思う。強いられ、迫られている。いちどきに一つのことしかできない。さまざまな思いつきが頭の中を飛びかっているようなこともない。
 書いたものが出版されるかどうかも決定的に重要なことではない。出版されないより、されたほうがいいけれど、でも書くとは、物語《インフォメーション》を受け取り、それに対して敬意を表することだと思う。それ以外の目的はない。そしてわたしはそうすることで、自分が選ばれた者だと感じる。
 アレックス・ヘイリーの『ルーツ』が出て、人びとはおじいさんやおばあさんのところへテープレコーダーを担いで話を聞きに出かけた。でも、ほんとに「聴く」ことができたのかどうか。ある青年が、死んだ彼のおばあさんの葬式のもようを写真に撮った。牧師の説教も録音した。スマートなことよね。ただし彼におばあさんのことが少しでもわかっていたら、カメラを教会に持ち込むようなことはしなかったはず。それはじつに猥褻なことだった。『ソロモンの歌』のミルクマンが「記憶しなければならない」というのは、そういうこと。
 黒人にとって「記憶」の持つ意味と重要性ははかり知れないのよ。もの凄い記憶力で歴史を記憶してしまう。わたしの家族にも、系図を歌にしたのが伝わっていてね。わたしは全然憶えていないけれど、母は憶えている。どういう人物がいたか、それが歌になっているのよ。
 ということはね、記憶することがそれほど大変な意味を持つ伝統にとっては、書くということは、いわば記憶できない無能さを表すことになるわけね。わたしはだから、再び記憶されうるように、そのために書き記すという奇妙な立場にいるのだと思う。つまり、わたしたちの文化にとってはやや異質な、どこかそぐわない方法に頼っているのだということ。舞踊や音楽で記録する方法もある。生きのびるために歌う、ということは明らかに存在するし、少なくともわたしたちはそうやって生きのびてきた。でも、書く、ということはかつてそういう役目を担ってはいなかった……だから黒人の著作には、なんというか、ある種の奇妙な欺瞞があるように思う。詩はいい……でも、長いものには……。文化的な特質なのだと感じるのだけれど。黒人が信頼を置かない方法なのではないか、とね。(笑って)彼らは耳で聞かないと信用しないんじゃないかと。

――彼らは正しいのかもしれませんね。

モリスン そう、正しいのかもしれない。新聞だとかいろんなものに欺かれてきたから、だから黒人の作家というのは、つねに略奪者であるような、また異邦人であるような気持になる立場に自らを置いている者たちなのよ。書くという行為について弁解がましくなる。

――弁解がましくならざるをえないにしても、あなたはなお駆り立てられてもいる。

モリスン そう。駆り立てられている。何らかの役に立つようなものを書くためには、じっと耳を傾けることが必要だと思う。耳を傾けたい、と駆り立てらること。文化から祭儀や視覚的なシンボルが欠落してしまっているなら、つくってしまえばいい。なぜなら、言語の中にはすべてが生き残っているのだから。耳を傾け、かつて祭儀はどのようなものであったか、かつてシンボルはどのようなものであったか、それを聴き分け、見きわめ、指摘することが仕事だと思う。仮に祭儀的なものとして考えられてきたものからはシンボルが欠落してしまって、単なる代用品にすぎなかった。黒人の少年にとっての思春期の儀式はどのようなものだろうか? よくわからないことが多いのよ。彼らの音楽やスポーツにしても、金のためだけじゃない、求められているのはべつの何かなのね。

――『ソロモンの歌』であつかわれた「飛ぶ」ことについて少し話してください。

モリスン 一九三〇年代、四〇年代には、かつて奴隷であった者たちからの聞き書が多くあるのだけれど、語り手の中には、飛んだ男の話を聞いたことのない元奴隷、あるいは奴隷であった者の子どもはいないのよ。少なくともわたしが読んだもののなかには。だれも彼もそういう話を知っていた。それに関する質問を受けて、「なに? 飛んだ話? なんのことかね?」といった者はいなくて、みな「ああ、そう、その話ね」といっている。そして、それはイカロスではなかったということ。アフリカへ飛んで帰ってしまった男たち、ただそれだけ。苦行僧の空中浮揚と同じもの。アフリカ人にその話をすると、彼らは「そう、そうだとも、そういうことはしょっちゅう起こるよ」というのね。

――女が飛んだという話はありますか。それとも、いつも男ですか? 女は地に縛りつけられている、ということですか?

モリスン いつも男なのね。でも、女にとっての大地は縛り、閉ざすものではないのよ。それは冒険なの。挑戦なの。巣を作りこもるという意味においてではなく、それは領分であるという意味で。地は世界の中心。アフリカの宗教では、地は闇で、子宮。キリスト教の伝統では、地は、そして胎内は地獄だけれど。最低の場所よね。アフリカでは、大地は女たちの領分であって牢獄ではない。

――現在でも、そう実感していますか。

モリスン いまでは、といったほうがいい。以前はいつもそう感じていたわけではないから。でも、いまはそう思う。やっと。
 以前そう考えられなかったのは、それを考えてみる機会を持つことができなかったということもあるけれど、それよりむしろ、わたしたちは、危険だ、という恐怖におののきひるんでいたのよ。つまり大地はおそろしいものだと。わたしたちにはそれと取り込むことはできないと。
 やがて、もっとよくわかる時期がくるかもしれない……それはただ屈服の一形式なのだけれどね……男たちの支配感覚が、文明が、女たちにそのことをわからなくさせてしまった……文明社会を生きる女たちは、そういうことを再認識しなければならないわけね。でも登山に挑んだり、ハイキングをしたりして認識することじゃない。そういうのは、やはり男性的な、支配思想と関係があるのだから。
『青い眼』の中でわたしが触れる女たちね、豚を殺し、ビスケットを焼くことのできる女たちのこと。それなのよ。そのように複合的な者たち。そのような豊かさ。「船であり、かつ港である」というように。わたしたちは大地の者。大気は、もうひとつべつの要素でしょう? 飛ぶことは、たとえば『ソロモンの歌』のパイロットが持っている大地感覚よりすぐれているとか、より高度なものだとかは思わない。パイロットには飛ぶ必要はなかった。男はすでに女たちが知っていることを証明するために飛ぶことが必要だった。同時に屈服しかつ支配することができるようになるためによ。わたしは女を飛ばすことはできなかった。女はすでに屈服と支配について知っていたのだから。大地はそれを教えてくれるのだから。男は大地の腹に入り、そして地表を歩き、木に登り、狩をし、そして水と空気に触れる、それだけの情報を集めないとわからない。けれども女の領分にはすでにそれらすべてが混じり合って入っている。女が飛ばないことはみじめだと感じた女たちはたくさんいるけれど、わたしはそういうふうには考えない。ここがわたしたちの領分だと思う。それがはらむ危険もすべて含めて。静閑な場所じゃない。小さな静かな巣ではない。わたしがいうのは忍び歩き、狩り、収穫するなど……わたしたちは保護されている、とはいっていない。

――わたしは、これまでインタヴューをした(黒人の)女の人たちと話していて、みんな寛容で率直に話してくれたけど、こわくなることもありましたが……

モリスン こわいことはいいことよ。こわいほうがいい。女の作家たちに会えば、彼女たちは、個人的と見える物語がじつは個人より大きなものであること、つまり集団的記憶、民族的記憶の存在について意識していることがわかると思う。ということはね、あなたの調べかたはオーソドックスじゃないということ。「なぜ、こんなにこわいのか」と問うとともに、恐怖を感じる責任も引き受けなくてはならないと思う。でも、それはできると思う。時間がかかったっていい。ゆっくりやって、値打ちのあることを拾い上げていけばいいのよ。

――新しい言語がいるのです。

モリスン そう。でも、批評家にも新しい言語が必要なの。彼らには語彙がないから、いまだに普遍性がどうの、こうのなんていっている。トルストイやフォークナーに「あんたたち、もういい加減で地方的《バロキアル》なことばかり書くのはやめなさい」なんていった者はいない。少数民族はすべて、これまでだれもやったことのないようなことをやらなければならない立場に置かれている。わたしはすぐれた著作とは、つねに、特殊な、地方的な限定的なものだと思う。
 学校の生徒の感想文をまとめて送ってくれた教師がいたのね。感想文はわたしあての手紙なのだけれど、どれもこれも「わたしは白人で中産階級ですから、あなたの小説に直接的な親しみは持てませんが、それでもじつにおもしろかったです」と書いているのね。
 わたしは、「なぜそのような内容のものを書くのか」とたずねられる。それはすでに人種差別的な質問でしょう。無礼な質問でしょう。「ウィリアム・フォークナーさん、あなたはなぜミシシッピーのことを書くのですか」とたずねた者があるかしら? 「シェイクスピア、あんたはなぜローマについてあんなくだらないことを書くのかね、第一ね、ローマはあんたの描くようなものとは全然違うね」とかね。

――あなたに与えられる最高の賞讃は、「トニ・モリスンは黒人でありながら、彼女の著作は白人の水準に達した!」とか。

モリスン その通り。まったくその通り。それほどいやないいかたがあるかしら。
「黒人作家と呼ばれることを好みますか」ときかれることがある。ほとんどの場合、それは軽蔑的な意味なのね。つまり「黒人の女にしちゃ、いい線までいってるよ」とか。でも、わたしは「黒人作家」と呼ばれることを好むの。なぜならわたしは黒人作家なのだから。


『青い眼がほしい』 朝日新聞社 1981年10月30日発行




本棚にもどるトップページにもどる