『女たちの同時代――北米黒人女性作家選』 藤本和子編

藤本和子による解説
 目次
  


1 過去を名づける


2 たましずめの歌

3 喉をつまらせている女たち

4 新たなる沈黙に声を

『強き性、お前の名は ミシェル・ウォレス』より

5 衰弱そして再生


6 体験の存在空間

7 反悲劇

新たなる沈黙に声を 『強き性、お前の名は』ミシェル・ウォレス


  1

黒人女性解放の運動を始めるつもりはないことを、彼女はあくまではっきりさせた。不満などないと思いたいところだが、そうではない。女は六〇年代に、口をつぐんでいることを承知して男と取り引きしたのに、男は自分の約束を実行しなかった……男は女に裏切られたといい張った。女は否定しながらも、そう思い込んだ。女にも怒りはあったが、自分には怒る権利がないと感じると力がぬけてしまったのだ。……黒人の女の沈黙は新しい沈黙だった。彼女にはわかっていた。

現代史は私たちぬきで書かれてきたし、またそうして書き続けられてゆくだろう。私たちがいやおうなしに引き受けなければならないことは明らかだ――自分たちが歴史をつくるか、それとも歴史の犠牲者になったままで終わるか。

 それまでのとは異なる性格の、黒人女性の新しい沈黙を奇妙に感じることから、ミシェル・ウォレスは自分が黒人であり、女であることの一九七〇年代後半における意味合いを探り始めた。自らの存在と、そのように限定された時間とを連繋する試みはいつだってある種の危険と賭けをはらんでいるものだ。とりわけ一九五二年生まれときけば、「先達」たちは大胆不敵、傲慢不遜といいたい誘惑にかられ、かつそのような誘惑に負けた「姉さん」たちもいた。痛罵した姉さんたちの不満は、たとえば「あんたは六〇年代の市民権運動の現場にはいなかった。その頃はただのガキだったくせに。あんたに何がわかるもんか」という調子になってあらわれたりしたのだったが、著者にしてみれば、居合わせなかったことが、遅れてきたことが特権であったといえるだろう。
一体この新しい沈黙はどのような性格をもつものだろうかと問う衝動は、その新しい沈黙の中に閉ざされた声を放つ営為に向かいたいと願う。きわめて同時代的な方法で。そしてそのまさに同時代的である特質こそが、この著作の力である。そして、これはやがてはのりこえられるものとしてあるし、事実それほど遠くない将来にのりこえられてしまうだろう。ウォレスは永遠不変の人間の内面の真理を描こうとしたわけではない。執拗に同時代的であることで、一つの転回点を示そうとしたのだと思う。
 その衝動には多くのこだまが響き返ってきた。また、こうもいえる。ウォレスのこの著作は彼女と同時代の黒人女性の声へのこだまでもあった。ウォレスが、シャンゲの『死ぬことを考えた黒い女たちのために』のニューヨークにおける上演を、黒人女性フェミニズムへの動きにおける重要な転機と見ているように、シャンゲとウォレスは二卵性双生児のようだ。シャンゲはその肉体と詩的直感で『死ぬことを考えた』をつくり、ウォレスはシャンゲの世界を論争的な言語で語った。
 すでに一九七〇年には、トニ・ケイド・バンバーラ編集による『黒人女性とは』The Black Woman が出ていたが、このアンソロジーは明らかに、黒人であるだけではなく、黒人であり女であるとはいかなる意味を持つのかを問おうとしていた。二重の重荷を背負わされているのではないか? フランシス・ビールはそのことを書いていたし、バンバーラ自身は「黒人の革命における女の役割」という命題にかくされた「女は女らしくせい」という強迫に触れ、また「彼の男らしさを回復」してやるためにひっこんでいろ式のいんちきはよくないと書いていた。別の章では、彼女は「革命には人数が必要だ。女は産児制限をやめ中絶をやめ、革命家となる子どもらの育成に励め」とまじめに話されていることに触れていた。アビー・リンカーンは「誰が黒人女性をうやまうのか」というエッセイですでに次のように書いていた。

わたしの母は生きのびる意志を棄てたことのない、最も勇気ある人々のひとりである。母が若かった頃……白人の人種差別的原則によって、彼女はありとあらゆる不利に耐えなければならなかったけれど、それでもなお、最もすぐれた女として、どのような女たちの中にあってもひけをとらないすぐれた女として自己を証明したのだった。それゆえ、母はいつまでもわたしにとっての偉大なる伝説として存在することだろう。
 けれども奇妙なことに、黒人の成人した男たちが、黒人の女こそは彼らの転落の原因である、彼女らは「悪意にみち」、「つき合いにくく」「威張っていて」「疑い深く」、しかも「固陋」であるというようなことを口にするのを耳にするのである。
 黒人の女たちの頭は、他のいかなるグループの女たちのそれより、恒常的に殴られている……彼女らは仮借ない現実と鼻つき合わせることを強いられ、白昼夢でも見ているところを発見されればとがめられる。だから正気を保つために、自分自身に関する願望は成長を止められてしまう。肉体的イメジについては、まったく不当な方法で歪められ、侮辱され、否定されてきた……屈辱や傷を受けることに加え、これまでこころをこめていつくしんできた唯一の相手、すなわち黒人の男たちの「去勢者」であるという非難まで受けなければならないのである。彼女は白人のアメリカが「黒人の性格」なるものとして捏造したイメジの犠牲の羊なのである。
 ……わたしたちはわたしたちの男たちによって、できるだけ白人の女たちのようになるべきだといわれ……しかもそれがうまくいったところで、三流のイミテーションでしかないと……黒人の女たちは傷つき、混乱し、欲求不満におちいり、怒り、恐れおののき、そして悪意にみちているのだ。それは道理に合わないといえる者がこの地獄にいるだろうか?
 ……「この国で自由であるのは白人の男と黒人の女ばかりだ」という宣伝をしている者たちは誰だ? もしこれが自由なら、天国とは地獄のことであるに違いない。
 誰が黒人の女たちをうやまうのか。……黒人の「女性」は蹂躙され屈辱を受けている……誰が彼女の憤りを和らげてくれるのか? 彼女のうつくしいイメジをたたえうたう者は? 強姦されている! と、誰に向かって叫べばよいのか?

 詩人のケイ・リンゼーは黒人の女たちこそ黒人の男たちを去勢する張本人だという前提を受け入れることは、奴隷の多くは受動的にその身分を甘受する「よき黒人《ニガー》」であったし、奴隷制はそれほど悪しきものではなかったという南部の神話を受け入れることにさえつながるではないかと語っていた。
 そして一九七五年にはメアリ・ヘレン・ワシントンのすぐれたアンソロジーの第一集『おおはんごん草』が出版されていた。ワシントンはアンソロジーの編集の意図を次のように記していた。

この社会には黒人の女に関わるステロタイプが雑草のごとくはびこっている。彼女らのことを巧妙に手軽に一般化していうことは通常の方法なのだ。黒人の女たちはいつも強かったとか、いつも解放されていたのだとか、黒人の男たちよりましな待遇を受けてきたのだとか、悪意にみち、無遠慮で下品だとか。……白人のメディアはずっとそういうイメジをつくり出してきた。現在もそれは変わっていない。黒人の女たち以外の者たちが、彼女を定義し、彼女の肉体的外観をきめ、どのように振る舞うかをきめている。そしてそのような創作のほとんどが、現実の、生身の黒人の女たちとはまるで似てもつかないのである。……だから、このアンソロジーの焦点は、黒人の女たちの視線という特定の角度から描かれた黒人女性像である。

 ワシントンはアンソロジーの章をそれぞれ「黒人であり女である者として成人すること」、「皮膚の色による脅迫」、「黒人女性と白人女性の神話」、「黒人の母と娘の葛藤」、「黒人女性とロマンチックな愛に対する失望」、「和解」と題していた。
 ワシントンが二集目のアンソロジー『真夜中の鳥たち』を出した時には、すでに彼女の意図は「黒人女性の伝説を語り、夢で神話を織って、わたしたちの過去を回復し、過去を名づけることを可能にすること」にまでたどり着いていた。これは一九八〇年のことである。つまり時間的には、ワシントンの二巻のアンソロジーはシャンゲの『死ぬことを考えた』のニューヨークにおける上演の時期をはさむようにして出版されたことになる。そしてシャンゲの『死ぬことを考えた』は、

  誰か/誰でもいいから
  黒い女の唄をうたってほしい
  彼女じしんを知るために
  あんたを知るために
  彼女を明るみに出せ
  でも彼女のリズムをうたえ
  その愛と/たたかい/苦難を
  彼女の人生の唄を
  だってもう 死んでから ずいぶん長いことになるのだもの
  沈黙の中に閉じこめられてから ずいぶん長いことになるのだもの

 とうたっていたのだった。
 そのうえ、論争的にも文学的にもシャンゲやウォレスには同意しないトニ・モリスンの作品のページの上でも、七〇年代半ばのニューヨークの黒人の女たちは泣いていたのである。前巻のシャンゲに関するエッセイですでにそのことに触れたから、またそれを引き出してくるのは気が引けるのだが、ウォレスやシャンゲの仕事については、「あの子たちのはカラード・ガールの作品であって、ブラック・ウーマンのそれではない」と発言するモリスンが、シャンゲやウォレスの同時代の女たちの痛みと孤独を、『ターベイビー』の中のわずか一ページでくっきりと描いていることはやはりここでもう一度思い出してみる意味があると思う。

ニューヨークの黒人の女たちは泣いていた。そして彼女らの男たちは右を見ることも左を見ることもなかった。ぼんやりしていたからではなく、目の前のものに気をとられているからでもなかった。ただ泣くのを見るのがいやだったのだ。ぴっちりときついジーンズにからだを二分されて泣いている女たち、高い高い踵の靴の上で金切り声を上げ、編んだ髪と、その髪を止めている蛍光色の櫛がひきつるのにじっと耐えているのを見るのがいやだったのだ。そう、たしかに、彼女らの唇にはプラム色の口紅が厚く塗られ、眉は細く晴れやかな一本の線だったが、何も彼女らが泣くのを止めることはできなかったし、何も彼女らの男たちが右を、左を見るようにしむけることはできなかった。彼らは陰茎をビキニショーツに押し込み、シャツの衿を乳首まで開けていた。けれども彼らはじっと前を見つめたまま、つま先立って街を歩いていた……

 陰茎をビキニショーツに押し込み、シャツの衿を乳首まで開けていた男たちを、ウォレスは〈黒いマチョたち〉と呼んだのだった。ひきつる髪ときついジーンズと高い踵の靴をはいた女たちの泣く姿は、ウォレスによれば新たなる沈黙に閉ざされた女たちの姿だったのである。


  2

 沈黙する女たち、こころを閉ざそうとする女たちの唇にふたたび言葉を呼びもどすひとつの手がかりとして、ウォレスは自己増殖し毒を発している神話を切り崩してみるという方法を選んだ。黒人の男と女について、白人社会がつくりあげていった神話は、時間がたつにつれて黒人によってもなかば内面化されてしまった、という視角がウォレスのそれだと思う。どこかおかしいぞという違和感を残しながらも、神話を内面化することによって、憤りと罪悪感が循環して、黒人の男と女はたがいに傷つけあうようになってしまったと。このように集団の内側に葛藤と対立と怒りをもたらすことで、真に責任ある者たちは責任を問われずにすんでしまう。それは包みかくしのない形で、たとえばモイニハン報告に露骨に表れていた。報告の主旨は「黒人における問題は白人の人種差別主義というより、〈変則的な家族構造〉が原因である」ということだった。すなわち、と報告は、統計を歪めて利用しながら、変則的な家族構造を再生産する立役者は黒人の女たちであるといってしまったのである。なぜなら黒人の女たちは「雇用に恵まれ」、「『母権制』のもとに機能し」、「強い」からだと。このような結論のばからしさは、すぐに反論を受けはしたが、同時に暗いところでは、男たちの不信や不満を培養し、吐け口としての口実を与え、女たちにはいつの間にか、いまわしき過去という重荷を負わせることになってしまった。神話が内面化され、男や女を腐蝕しはじめた過程は入りくんでいたばかりか、あからさまなものであると同時に半分は薄暗がりの領域で進行していったから、神話の内面化によって受けた傷の深さも、ただちに意識化され言語化されえなかったし、痛みが白日のもとに明確に表現されることも簡単にはできないことだった。
 黒人の女友だちのひとりが、「わたしのまわりは、独身の女たちばかりになってしまった。わたしたちはね、もう土曜日の夜ごとに殴られるのはご免だよ、我慢しないことにしたからねといってしまったわけね」といったのをわたしは憶えている。彼女が肉体的に殴られることだけをいっているのではないことは明白だった。まさしく、「いまわしき過去」の伝説に金縛りにされ、「黒人の女はもう解放されている。働き口もあって、男たちを支配し、男たちから男らしさを奪っている」という屈折した非難にじっと耐えるのはやめた、ということだった。「いまわしき過去」のイメジをウォレスは次のように書いた。

 しかしまず私たちにはいまわしい過去があり、これからはりっぱな生きかたでそれを帳消しにしなければならない。黒人の男がペニスを切り取られているあいだ、私たちはベッドのなかでところせましとばかり、御主人様と抱き合っていたのだ。白人の男に対して私たちが股を開かずにいられたり、白人の子に乳を飲ませるのをことわれたことは、かつてなかった。私たちは白人の男の雇い主に対してあまりにも誠心誠意をこめてつくし、黒人の男の方は働き口がみつからないのに、自分たちのほうは雇い主からもらえた仕事につき、黒人の男がクー・クラックス・クランの白いフードをかぶった白人の男たちの私刑をうけている間、こまやかに心をこめて、白人の家を掃除していたのだ。私たちは休む間もなく男を批判し、それでも男かと疑った。私たちは男を追い立てて、酒に、麻薬に、犯罪に、男が自分自身や自分の家族を傷つけるためにしでかしたありとあらゆる悪事へと向かわせたが、それというのも彼の〈男性〉が、私たちの目に映っていなかったからだ。

 このように欺瞞にみちたイメジに苦しめられる女たちの前に飽くこともなく繰り返し描きだされるのは子どもである男の肖像だった。いっぽう男たちは男たちに関する神話を内面化していったが、その途上、白人社会が突きつけている家庭生活についての基準や、〈男らしさ〉や〈女らしさ〉の基準を受け入れる過程があって、男たちの思想も貧しさをつのらせ、依存性を増してしまう結果になった、というのがウォレスの主張だ。
 エルドリッジ・クリーヴァーは「われわれはわれわれの〈男性〉を手に入れるだろう」と宣言し、リロイ・ジョーンズは「奴隷制の時代には、理論上からいって、奴隷の主人は手のかけられる黒人のどんな女とだってやることができた。黒人の男は、それを防ぐ何の手だても持たず無力だった。……こういう主として一方的な〈人種混合《インタグレーション》〉の結果のひとつは、白人の男たちとかかわりを持つどんな黒人の女にたいしても、黒人の男の側からは、きわめて奥深い憎悪と疑惑が生まれてくるということだ。これはいまなお存在している感情である」と宣戦布告のようなことをいった。女たちは低いうめき声をあげた。そしてその脳裡には、性器を切り取られて木に吊るされている黒人の男、血のしたたる性器を歯の間に押し込まれた黒人の男、靴磨きの黒人の男、行く先々で仕事の口を断わられる黒人の男、牢獄で虐待される黒人の男、街角にたたずむ麻薬中毒の、アル中の黒人の男たちの姿が、映画のフラッシュバックさながらにいれかわりたちかわり現れた。女たちはさらに低いうめき声を上げた。そしてその声が大きすぎはしないかと慄いた。
 白人の妄想がついに黒人の妄想となって、それが黒人の男と女のたたかいを生んでしまった、凍えるような対立を生んでしまったとウォレスは考えたのだ。そしてそのために、ブラックパワー運動は黒人の男たちの〈男らしさ〉を求めるロマンティシズムの道具になって衰弱してしまったと。そして黒人の女たちについては、「黒人の女は黒人運動の主要な問題とまともに取り組んだことはない」、あるいは「子どもたちから生まれた子どもたち。黒人の女が自分の母親のいうことを聞いたためしはなかった。黒人の女はだれひとり、ほかの黒人の女に対して注意を払ったことはないのである」。そして「黒人運動は、これらのことがらを論じるのに、私が必要とした言語を提供することはできなかった。私に残された道は、フェミニストになる以外はなかった」といってしまうことになったのだ。
 女たちの関係についてのこの結論は、モリスンやバンバーラのような作家たちには眉をひそめられ、ジューン・ジョーダンのような市民権運動を経験してきた女たちからは攻撃された。当事者でないわたしでも、これは少し違うなと感じる。だからそこで問題になるのはウォレスが置かれている社会的歴史的脈絡なのだ。そのことはシャンゲの巻で触れた。ウォレスやシャンゲが、モリスンやバンバーラが語ることのできるような女たちの遺産、伝統、共同体の実感、連続の感覚から見はなされてしまったところで生きているらしいということ。全面的にそうだというわけではない。個人的な体験については、モリスンやバンバーラと共有できることはいくらでもあると思うが、それを言語化する回路から見はなされてしまった、といったらよいだろうか。そのことを短所や欠点として非難することは簡単だが、それですませてしまうと、ウォレスやシャンゲの仕事を個人的な性向という視点から眺めることになって、彼女らの声を、自分たちの沈黙に声をあたえてくれたと感じた多勢の同時代の女たちを無視することになる。それはそうした同時代の彼女らに沈黙を強いることと同じだ。ケイ・リンゼーは「詩」と題された詩で、次のようにいっていた――

  女の場合は、勇気ある行為は
  その内面において行われるべし
  と、わたしは信じない
  わたしの子宮はナフタリンを入れてしまってあるが
  この冬の寒さはそれほどきびしくはないだろうとか

  いずれにしろ わたしは二度子を生み
  わたしのからだはそのことで勲章をもらうべきなのに
  一個ももらったことはない

  というのも おおかたは
  わたしのやったことは生理的な要求に従ったまでだからと

  ところがいまや革命は数を必要としているので
  母性には新たなる地位が与えられた
  〈男性〉から五歩さがって歩け

  さて、このわたしはバスの後部に坐っとれというのは
  マーティン・ルーサー・キングとともに終わったものとばかり思っていた

(一九七〇年版『黒人女性とは』から)

  3

 この詩をアンソロジーに入れたバンバーラは、ウォレスの著作を批判しながらも、書かれて当然であった本だとも感じている。間違いだらけなのよ、といいながらも、ウォレスに対しては母親のような気持を抱いてしまうともいう。バンバーラにアトランタで会った時のことだった。

――ミシェル・ウォレスの場合、あなたやモリスンのようなかたちで歴史的な遺産と対峙することはできないように見受けられるのだけれど。
バンバーラ 彼女が自分の成長のオディッセイについてもっと執着して迫っていったら、少し違う本になっていたと思う。年ごろになった当時のことをもっと書いてみたらよかった。もっとも身近なものとしてあった彼女自身の体験、その体験を正当な、ひとつの黒人の体験として信用して書いてみたらよかった。でも彼女が年頃になった当時は、彼女が育った環境などについてはあまり信用されなくなっていた時期だったのよ。「草の根《グラスルーツ》」的なものがもてはやされていた。それこそが「黒人の体験」と同義語だと考えられて。そこで結果として、わたしたちは広角レンズで眺めるのをあきらめるようなことが起こってね。あれは誤っていたと思う。
 この本には不正確な部分もあるけれど、いい本だとも思う。彼女に対してはひどく母性的な気持になるの。守ってやりたい、というふうに。個人的には知らないの。彼女の母親は知ってるけれど。この本についての批判はひどすぎると思う。まるで彼女の成長はここまでで止まってしまうとか、この本一冊で彼女の仕事が終わるといわんばかりに。
 たしかに彼女が自分の体験をひとつの黒人体験としてもっと詳しく書くとおもしろいだろうと思うの。そのことについて彼女も気がついているという感じがする。ただ自分の体験を信用するに至っていない。……彼女が黒人の女どうしはちゃんと話し合ったこともない、なんていうと、わたしは泣いてしまう。「ああ、ミシェル、ああ、なんてこと。あんたいったいどうしちまったの」って。これは彼女自身の体験からいったってほんとじゃない。彼女の家族の女たちはきっとすっかりまいってしまったでしょう。次の段階へすすむためには、彼女は自分史と真っ向うから折り合いをつける必要がある。

 バンバーラはフェミニズム運動の修辞法や暗示にたよらずに、女たちのまじわりをすぐれた短編の中で描いてきた。彼女の物語は女どうしの友愛をきわめて率直に示している。女たちは惜しみなく知恵を分かち合い、年下の若い娘たちのこころを養うのだ。バンバーラは彼女の成長の過程で、女たちがどれほど寛容に手を貸してくれたかについてあちこちで語っているが、とりわけ町の美容師たちのはたした役割には、いつもあたたかく、彼女らへの愛が生き生きとこちらに伝わる口調で話すのだ。彼女がおとなになるまでに出会った、当時の美容院はおそらく黒人の少女たちにとっては唯一の〈女大学〉、すなわち女であるとはいかなる意味を持ち、いかなる気がまえで生きたらよいのかを教えてくれる学校のようなもの、教育機関だったと彼女はいう。彼女はさらにそのような美容院の女たちこそ、自分の著作にもっとも大きな影響を及ぼしたともいっている。それがいかなるものであれ、たしかに、女たちとの和解、または交感、そして女たちへの理解は必然的に自分自身との和解や整合を意味するだろう。表面の皮を剥いでいくことで見えてくる世界とその共有。バンバーラは女どうしがたがいの存在を養い合う姿を、黒人の女たちの伝統のひとつの側面だと考えている。それと、ウォレスの結論とを比較してみれば、夜と昼のように違うのだが、バンバーラはその原因を、ウォレスが自らの体験を信用しきっていないところにあると観察している。中産階級的な環境における彼女の体験の正当性を。ウォレスはそれまでの黒人の運動が彼女に言語を提供しなかったと書いた。少女の「家」で知り合った女の子たちに、飢えと虐待と文盲に苦しむ世代がやむことなく再生産されていく姿を見て、ウォレスは子どもたちが子どもたちから生まれていると感じた、しかも黒人の女たちはたがいに助け合わず、注意も払わずにきたと。女たちひとりひとり、孤独に、ふり出しから始めていると。女たちは集団のイデオロギーを持たず、仲間になるための正統な方法がなく、自己主張の手段もない、と。そこで彼女はこれらのことを論じるのに残された道は、フェミニズムの言語を選ぶことだった。こうした表現でバンバーラの肌に粟が生ずるのは納得のいくことである。

バンバーラ この本を上手に利用すること、批判的に利用すること、それは難しい。わたしの世代なら、誤りを訂正しながら読めるけど、若い学生なんかにはそれはできない。
――でも、あなたがウォレスに対して、母性的に保護してやりたくなるということも同時にあるわけでしょう? 先へ進むためには、この子は一度はこういうふうにしなければならなかった、ということかしら。
バンバーラ そう。身内の者たちがまだ存命なのに、ああいうふうに自伝的に書くのは大胆だと思うし。これは素朴さか? がむしゃらなのか? 鈍感なのか? 勇敢なのか? と、わたしは思った。
 でも、本というものが書かれるにあたっては、どのような本でも必ず理由があるとわたしは思うのよ。合唱の中のひとつの声として考える――ソロではなくて。つまり、ミシェルのこの本は、その弱点にもかかわらず、価値のあるものだと思うの。たいへんな価値がある。少なくとも、性にまつわる偏見や欺瞞の問題に手をつけた。きちんとその責任ははたしている。本は一から十まで完全で正確でなければだめだ、というような発想はいんちきだとも思うわけね。そういう考えは、読者には本に書かれていることと正面から取り組み批判する責任はない、ということを意味するのだから。
――読者には何もかも口うつしにして食べさせてやるしかないみたいにね。
バンバーラ 彼女の著作は性の問題を全面的に提起することで、いろいろ考えさせることになった。よい意味で。毎日真剣に考えられてしかるべき問題を。
――神話が、妄想が、現実に男と女を深く傷つけていく過程については語られるべきであったと思う。
バンバーラ そう、この本のその側面はわたしも気に入ってる。それによって一定の責任を負うところへ追い込まれる。批評家の中には、黒人の男たちがどれほど抑圧的な力に苦しめられているかについての理解を示さずに、男たちを非難しているから、この本はきたないとか、よろしくないとか批判した連中もいたけれど、それこそこの本の値打ちだと、わたしなんかは思った。わたしは男たちに加えられている抑圧とかなんとか、すべてわかる。けれども自己を訓練していくことだってできるのだから。そういうことはムチャじゃない。
――ミシェルと話した時に、よくも内輪にしておくべきことをおおやけにばらしたな、と黒人の女たちに攻撃されたこともあるといっていたけれど。
バンバーラ それはおもしろい。そう聞けば、たしかにそういう感情に一皮かぶせて、この本には不正確なところがある、と批判することでその点を覆いかくしていた女たちも多いような感じがしてくるのね。
 それにね、問われなければならないのは性の政治学だけではない、六〇年代という時代も再検討してみなければならない。男たちのエゴや粋狂で、いくつもの組織が犠牲になったこと、どれほどのエネルギーや才能が濫費されたことか。そのことについて語らなければならなかったはずの女たちは口をつぐんでいる。黙って続けている。彼女らにそういうことを語る余裕はないし、またそれが先行する重要な問題だとは考えていないのかもしれない。いっぽう、そういう問題で挫折し敗北した女たちはいまもなお罪悪感に苦しんでいて、自分たちの感じたことに正当性があると考えていない。
 深刻なあやまりがあったのに。しかもまだわたしたちはそれを乗り越えてもいない。相変わらずのことがある。そのことを指摘する必要があった。いかにそれが作用していたか、その力学を正確に描き出す作業はまだ残されているけれど、ミシェルの本は、欠点を持ちながらも、ひとつの挑戦状になっている。
 わたしもいくつか書評を書いたけれど、友だちの多くは、あんたは歳でぼけてきたのかね、歯抜けになったのかねといった。わたしがこの本を引き裂き破らなかったのはおかしいといって。そこでわたしは信頼できる女たちの意見をたずねはじめた。彼女らはミシェルが提起しているような問題はそれほど重要じゃないと考えていることがわかった。なぜなら彼女たちはそういう問題に足をすくわれ挫折しなかったから。そのうえ彼女たちは若い世代の女たちが、その歴史について知りたいと願うことについて、たいした関心を持っていない。「だから、なんだっていうの? ねえ、トニ、それはたいして重要なことじゃないわよ。それにね、敵討ちしたがる連中はだめね」といって。
 黒人の女たちはこの本をそっとしておいてくれればいい、そして黒人の男たちが読んで考えてくれればいい、とわたしは願っていた。性差別となると、なぜか女の問題だ、となる。性の政治学は女の私的領域に関するものだという態度は危険なのに。


  4

 一九八〇年五月、ニューヘヴンのミシェル・ウォレスを訪ねた時、この本には序説を書きたいのだといった。読者がこの本を読んでどういうところでひっかかるのか、それをしばらく見てきたから。それによってこの本が読みやすくなるというわけでないにしても、これを書いた意図は理解しやすくなるだろうから。
「わたしは何者なのか。どこからやってきたのかについて説明したほうがいいのね。わたしがどこからやってきたのか、誰もわからない。青天の霹靂、いなごの大群の天災のごとく、にわかに現れ出た、といわんばかり。白人の男性が支配するメディアがでっち上げたと考えたり。わたしには個体史があり、著作の中で触れるすべてには歴史があるのに。わたしを形成したのはどのような要素だったのか、そのことを書くのは役に立つかもしれないと思うの」
 この言葉は、バンバーラの意見に照らし合わせると興味深い。バンバーラは草の根的なものがもてはやされた時代に、ひとりの若い黒人の女性が自らの都会的中産階級的な体験の正当性を信頼できなかったことは、言語の上でも一種の迂回を生むことになったという意味の指摘をしたわけだが、ウォレスも結果としてはそのことに気がついているのだ。
「わたしはハーレムに生まれてね、かなり創造的な雰囲気の家庭に育って。ハーレムでおおきくなったけれど、ずいぶんさまざまなものから保護されてもいたのね。でもわたしの出身について語るには、中産階級という言葉だけで十分だとは思わない。わたしの両親は芸術家で、疎外されている人たちだった。黒人の中産階級が大切にしていた基準はほとんど拒絶していた。人づき合いが悪い、というほどに。わたしがハーレムで育ったのも、ひとつにはそれが原因だった。両親は子どもはハーレムで大きくする、ときめていたから。白人の学校へ行ったけれど、黒人の子どもがかなりの数にのぼる学校にしか行かせない、ということははっきりしていたの。
 それにわたしの家では中産階級的なものとは矛盾する経験がたくさんあってね。多くの男が典型的にゲットー的な死にかたをして。中産階級的なものと労働階級的なものが混然と混ざっていたのね。そのことの意味を完全に理解することはひどく難しい。こういうことだと断言することができない。だからこの点については、本では触れなかった。問題を混乱させるばかりだと判断したから」
 自分の生い立ちの中の中産階級的なものとゲットー的なものとの間に、彼女はある種の緊張を見ているようだった。
「中産階級に対しては憎悪があって、積極的な憎悪。父や母をはじめとして、家族の多くがそういう感情を抱いていたようだったの。中産階級的な価値を拒否していて、それをわたしにも断固として植えつけた。わたしの階級的な帰属はきわめて不安定なのね。黒人中産階級に属していたいと思えば、自分の体験のある部分を無視し拒絶しなければならないし、黒人労働階級に属したいと思えば、やはり体験の一部を無視し、家族の者たちのある部分も拒むことになる。わたしにはそれはできないのね。自分はどのグループにも属さないという感じを抱いておおきくなった。わたしという個人にも同類はいない、そう叩きこまれておおきくなった。そしてわたしたちのような家族も特別で、だからわたしたちはどのようなグループのうしろにも身を匿すことはできないと。
 わたしは両側から疎外されてると思った。黒人の運動にしても、フェミニストの運動にしても、わたしとそれらとの関係には、いつも部外者が覗き込んでいるという感じがある程度つきまとっていてね。自分らしさを失うことがいいとは思わなかったから。
 少女の『家』を出てから書くようになった。書く仕事をしようと決心して。十七歳だった。『家』での経験はわたしにとってはかけがえのないものだったのね。いろいろなことがはっきりして。そのご黒人の女性のこと、その状況について書けると感じるようになってね。フェミニスト運動に加わり、ずいぶん多くのアンダーグラウンド新聞に書いて。掲載してくれる媒体なら、手当たりしだい書いたのよ。講演も依頼されるようになって。十人ぐらいの黒人の女たちが聴衆だというような場所でね。わたしは白人のフェミニスト運動の中にいたわけだけれど、黒人の女たちのフェミニスト運動はどういうものにならなければならないか、そのイメジははっきり持っていた。それについては母の役割が大きかった。『家』を出た後、その春からわたしと母はフェミニズムの理論とその適用ということについて、持続的に長い討論をしてね。わたしたちはきわめて意識的に黒人のフェミニズムの思想、ということを考えていたのね」
「二人で運動をやっていたわけね」
「そう。でもそのうちに状況は複雑になってきて。わたしのように母から支持されているのは特殊だった。白人のフェミニストたちだってそんな立場にいなかったから。一九七四年頃、自分はフェミニストだと公言する黒人の女性の数が著しく増えたのだけれど、当初からわたしはとても当惑していた。黒人の男たちが女たちに加えている抑圧については目をつぶろうという態度だったことと、彼女らが白人の女たちを模倣しようとしていることがいやだった。中産階級の集団だったから。黒人のフェミニズム運動が大きな広がりを持った運動になるためには、家事労働に雇われている女たち、福祉手当てをもらわなければならない女たちの組織でなければだめなのに。中産階級の女たちはひどく個人主義的なのよね。わたしの例を見たってわかる、わたしのような女はひとりしかいない、どのグループにも属さない、という態度が強い。成功を目ざすタイプの女たちはそういう観点に依存することが多いのね。黒人の女優や歌手が、いかに自分が〈ただの黒人〉ではないかという話を長々とするかを見ると、とてもおもしろいのね。アーサー・キットとかね。わたしはチェロキーとアジア人とあれとこれとの混血だ、というわけ。つまり人種としてはどの人種にも属さない、同類をもたず、わたしのようなのは、この世にもただひとり――。そこには誰とでも一緒にされちゃ、わたしは溺れてしまう、特殊だということがなければ成功できない、黒人の女という範疇に適用する物差しでわたしを測るな、そんなことになったら、わたしは早速福祉手当てで暮らさなければならないことになる、という恐怖心があると思う」

 彼女は母の怒りについて考えてみる。母のフェイス・リンゴールド(この本の献辞は彼女にあてたものなのだが)はこの『強き性、お前の名は』については「かんかんに怒っている」という。とりわけミシェルが少女の「家」へ行ったいきさつに関する記述については。「家」の件に関して、母は罪悪感を持っている。それは母は周囲のできごとについてつねに誇張された責任感を抱くからだと。見も知らぬ人びとに起こったことに対しても同様で、これは黒人の女性の特色といえると。三キロ離れた街角で誰かが射たれて死んだ、そう、それもわたしのせいだ、なぜならわたしはその男が射殺されるのを防ぐのに何もしなかったではないかという筋道になっているのだから。フェイス・リンゴールドは娘が「家」に入らなければならなかった事情は自分のせいだと思い、そう思わねばならないことに腹を立て、娘が自分を悪い母として描いたことに腹を立てているということなのだが、あらゆることに責任があると感じる暮らしの荷は重い。
 ウォレスは母の家を出てこの本を書いた。そこではどうしても書けなかったという。出版された本について、母は「へたくそな本だ」という。ウォレスは「フェイス、もしあんたがわたしの本がすばらしいなんて思ったら、あんたは自分の子どもの本を読んで感心した史上初の母親ということになるよ」と答えたそうだ。この娘はまだまだ母親との葛藤についていろいろ語るのだが、彼女が母親と共有してきた日常がどれほど彼女の歩く道に大きな力となっているかを疑うことはできない。ニューヨーク・シティ・カレッジで彼女がものを書くよう導いていったマーク・マースキーとの最初の出会いで、彼女は自分が作家になりたいのは、母のことを書きたいからだといったそうだが、彼女はそれを記憶していない。この本の校正刷が出はじめた頃、母はこれは自分の伝記ではないと発見し、その時から自伝を書きはじめたという。「娘がやってくれないんだから、自分で書くよりしかたがない。息子ならね、息子だったら書いてくれたかもしれないのに」といって。ミシェルは「わたしがこの先ずっと書いていくうちに、母の全体像がだんだん現れてくると思うの。わたしの書くものの中に、母がなんらかの形で出てこないなんていうのは想像もできないのよ」という。母はその真価を認められずにきた犠牲の芸術家としての自己像を娘に投影してきた。娘は、なんだ、このひとはなんて気難しいんだと思いつつも、意識の奥ではその影を培養し続けてきた。その力学の方向がこの本へ向かったともいえるだろう。バンバーラも、アリス・ウォーカーも、それぞれ自分の母親の影響の深さについて語っているように。
 出版社はこの本は白人の読者が対象だと考えていた。理由は「黒人は本を読まない」ということだったそうだ。本書が出て、買って読んだのはおもに黒人だった。出版社はそのわけが呑みこめないという。「黒人は本を読まない」という前提を再検討する気がないのだから。
 そしてミシェルはかっかした粗暴な男たちにやじり倒されたりすることを経験しなかったのにやや驚いてもいる。「なんだこのアマは。セックスがやりたりないんだな」というような態度に一度も会っていないと。この点についてはバンバーラが、べつのことで触れていた。白人の男性が白人のフェミニストを口汚くやじり倒すような形で、黒人の男性が黒人の活動家やフェミニストをやじり倒すことはないと。「西欧の思想の中には、女性というものに関する思想が不在なのね。アフリカの文化のような女性の要素にみたされた文化とは異なるのだから」と説明していた。ミシェル・ウォレスはやがてこのような側面についても考えなければならないことになるだろう。
 ひとまず彼女は『強き性、お前の名は』を書いた。若い黒人の女たちはそこにひとつの声を聞いた。
「黒人の男と女の関係について不完全な描写しかしていない、と批判されるのね。でもわたしはまだ一巻の著作をしたにすぎないのよ。まだまだいろいろな本が書かれるべきなの。黒人の作家たちがひどくぶざまな本を書いてしまうことが多いのは、彼らはなんでもかんでも完璧にして決定的な本を著さなければならないと悲壮になるからなのね。わたしが書こうとしたのは、ある特定な一冊の本だった。自己批判をせずにすませてはならないと思うのよ。やつらが盗み聴きするかもしれないから、自己批判しないほうがいい、なんて馬鹿らしい。白人がそれまでにすでに知らなかったことなんて、わたしは書いていないのだし、秘密なんかないのよ」
 文化の伝統と断絶してしまう、という危機感がこの著者にもある。虚偽の上に虚偽を重ねているうちに、ほんとに完全に見失ってしまうという危機感がある。性についても方向感覚が失われつつあると彼女は感じた。この著作を読んで強い関心を示した読者の一部は十代の娘を子に持つ父親たちだった。いま若い男たちはどういう所に立っているのか、そしてそれが彼らの娘たちの生にどのような作用をおよぼすのだろうか、と父親たちは考えたことだろう。
 白人のフェミニストたちはもうミシェル・ウォレスを無視することにしたようである。『ミズ』はかつてウォレスを表紙にしたが、「そのようにして黒人のフェミニズム運動も支配しようという意図だったけれど、『ミズ』に書いた黒人の女たちが『ミズ』に批判的で、それ以来もうわたしたちは無視されている」そうだ。ウォレスは白人のフェミニストたちの主催する集会などにも招ばれない。
「フェミニズムが文化の枠の外で成立するとはとても考えられない。歴史と日常の生活のすべての側面が再検討され、体系を理解する方法が再構築されなければならないと思う。……黒人のフェミニズムの第三期はシャンゲの『死ぬことを考えた黒い女たちのために』の上演以降になるけれど、そこからフェミニスト的な思考が一般化してきた。わたしの本はその一般化の傾向をさらに促進する役目を果たしたと思う。この流行みたいなものがすたれる前に、活動家たちがこの傾向に形を与え定着させることができるかどうか。
 わたしはすでに古くなっているのじゃないかしら。わたしの役割が評価されるとしても、やがては『かつてあった』思想として評価されることになる。もうすでに、ああ、あいつ? あの古い路線? なんていっているひともいるのだから。それはいいことなのよ」

 この選集の次巻はアリス・ウォーカーの小説『メリディアン』である。主人公メリディアンは六〇年代の市民権運動に関わった南部出身の黒人女性だが、ウォーカーはメリディアンの物語をとおして、ひとりの女の衰弱と再生を描いた。それはウォレスが語ろうとした黒人の女たちの七〇年代の新たな沈黙の背景を示すと同時に、いのちの再生がひとりの女の中でどのようにして実現されていったかを見せてくれることだろう。


『強き性、お前の名は』 朝日新聞社 1982年3月10日発行




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