新聞紙に包まれた大きな芍薬の花束を抱え、電車でいつもの世界へ戻った。あの静かな世界から離れたくなかった。まるでおもちゃのような小さな駅で、電車が来ないのを芍薬の花びらが散るまで待ち続ける選択肢もあった。そう思うと、生きるのが少し楽になる。そういえば、二日連続で人と朝ごはんを食べた。子供以外と食事をすることは苦しいと思っていたのに、場所を変えたらあっという間にそれができるようになった。200人の中の一人としかできないこと。いや、二人かもしれない。「美味しそうに食べるね」と言われ、ホッとして、素直にさらに食べる。美味しいのに、なぜか泣きたくなる。ボタンと芍薬の違いはいつもわからない。調べると「葉、香り、散り方に違いがあります」とある。やっぱり、散り方がとても大事だと感じる。白、薄いピンク、濃いピンクの芍薬。グラデーション。私の頬はこうなる時がある。完全に蕾のままのもの、花びらが見えてもまだ咲いていないもの、完全に開いたもの。香りはするが、新聞紙の匂いと混ざって、いい香りとは思えない。
今いるこの場所は、私の魂の図鑑に永遠に残る場所の一つになるだろう。200の場所の中の一つ。この場所について書きたいけれど、その静けさを胸に吸い込んで、しばらくは自分だけのものにしておきたい。駅にいた老人は「一年に一度しか帰れない、土地も家も使い物にならない」と、呪いのように誰かに向かって叫んでいた。何に使いたいのか。私の価値観とは違う。その人の声の響きを頭の中で止める。そんな話は聞きたくない。ここは私にとって大切な場所だから。滞在中、ずっと体調が悪く、まるで何か見えないものを浴びているような感覚だった。朝起きて気づいた。それは悪阻に似ていた。実ること。200人中の一人、200の場所の中の一つで。考えておこう。場所の力、土の力、映像の力、人の力、神の力、獅子の力、花の力は、言葉の力よりも大きい。「イタコより」という文字を見ても、わからなかった。
かつて京都で「言葉の力」が強いと叱られたことがあった。でも、京都から残ったものは、身体に大きな紫色のアザだけ。紫色の芍薬のようだった。200人中の一人は必ず暴力を振る。見分けるには? でも、わかっていた。ただ、その顔を見るのを待っていた。思った通り、恐ろしい顔だった。私は祖母と同じ、初対面から人を「見る」。200人中の一人。犬も同じことができる。朝ごはんをもう人と食べないと思っていたのに、同じお粥を頼む。それで身体を落ち着かせる。チャンスでもある。場所を変えて、数日後、数ヶ月後、数年後には、異性と朝ごはんを食べても暴力的でない人がいることを知る。トラウマから抜け出すチャンス。怖くない。歪んでいるのは私ではない。「なぜ君の父親はこうなったのか、わかる?」 わからない。歪んでいるのは私ではないから。
祖父母の庭にあった花とその場所を、安心措置マップのように頭の中で思い出す。この時期にはボタンがあった。スミレも。鈴蘭も。思い出の中のボタンは血のように赤く、血の匂いがする。スミレは近くの森から種が飛んできた大きなスミレ。パンジーと間違えられるほど大きい。いや、頭の中で私が勝手に大きくしているのかもしれない。スミレくらい大きくてもいいし、濃い紫はインクの色にしてもいい。今いる場所のタンポポは腰まで伸びている。鈴蘭だけは同じ大きさ、同じ白さでいい。森には野生のボタンもあった。毎年ボタン祭りがあるけれど、私は行ったことがない。だから、野生のボタンは幻のボタンのようだ。
お守りでいただいた銀の鈴は、歩くたびに音がする。巫女のような気分になる。コーヒー屋でいつもウィンナコーヒーを頼むのをやめようと決めた。神田で飲んだウィンナコーヒーは本格的で美味しかったけど、ここで飲むと洗濯物の味がする。この静かな場所からウィーンは遠い。それがいい。二度と会えない人がたくさんいる。それがいい。彼らの顔を記憶から消す。気配も。一番消しにくいのは手だけど、時間とともに芍薬の香りのように消えていく。今、一番会いたい友達が二人いる。200人中の二人。村に置いてきた二人。太陽のような笑顔の彼女と、ストーブを作るジプシーの孫の彼。思い出すと泣けてくる。二人の顔。大切な友達。彼女は看護師になったと聞いたけど、彼のことは何も知らない。きっと子供がたくさんいる、明るい父親になっているだろう。いつも笑わせた彼。あの時、気づかなくて、ごめん。あなたの恋に気づかず、ごめん。顔は覚えている。笑うときの真っ白な歯も。優しくしてくれてありがとう。忘れたい人がたくさんいる中、この二人だけは忘れないと決めて電車に乗った。
電車では眠れなかった。来たときと同じ、この世界に入ると出るために、儀式のように電車の席を決まったタイミングで二回回転させる。森を、川を完全に抜けて、二回目を回したとき、不思議なことが起きた。ある駅から隣に座った部活帰りの高校生カップルが、静かにスマホを見ながら恋の儀式を始めた。彼の手がスッと女の子のズボン、太ももの間に、何度も。目眩がした。最初は彼らはお祭りのような気分で仕方ないと思ったけど、だんだん気分が悪くなった。否定しないように窓を見ていたけれど、自分が透明なのかと思うほど、隣で事が進んでいた。電車には他にも人がたくさんいたのに、誰も気づかない。二人が可愛いとは思えなくなった。どこかで読んだことがある。起きることはすべて自分の内面の表れだと。本当だろうか。本当なら、高校生の自分に謝りたい。絶対に男の子に電車でこんなことをされたくないはず。自分のこの女の身体はもっと神秘的なものだと尊敬したい。花でも触れたくない。あの女の子はいつか、あの手の感触を忘れることがあるだろうか。あの時は嫌じゃなくても、いつか嫌になるだろう。「自分の身体をもっと大切にして」と伝えればよかった。彼の機嫌を取るために大事なところに触れるのを許さなくていい。この世では許せないことがたくさんある。彼女のスマホをいじる無表情の顔と彼の手が知らない間に私の思い出になった。
青森に着くと、シングルマザーの親友からメッセージが入っていた。「昨日、私の職場の隣の敷地で練炭自殺した人がいた。上手く死ねて羨ましいと思った」。息を吸って、芍薬を見る。いつもの世界に戻った気がしたけど、芍薬は水がなくても枯れず、元気だった。花がきれい。メールを返した。「そういうときもあるけど、死なないほうがマシ」。彼女が作る桃とサイダーの味を今年も味わいたい。彼女も私にとって200人中の一人。新青森と弘前の間の電車にはトンネルがない。岩木山だけが遠くに見える。芍薬は、漢方薬や薬酒として、筋肉痛、腹痛、冷え症、月経不順、生理痛、不妊症などの治療や症状緩和に用いられる生薬でもある。美しい女性の容姿を「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」という。
先日見た夢では背が高い男性と東京を歩いていた。突然、彼は私の髪に触れ「何かついている」と言って取ろうとした。その瞬間、私の背中から黒い布の塊が落ちた。起きた瞬間に、何十年前から背負っていた重い何かから解放された。200人中の一人だけが呪いを解けることができる。