話の話 第20話:只者ではない

戸田昌子

只者ではないが、どこかツッコミどころのある人、というのがいる。大学の事務補佐をやっていたニーモト君という人がそういう人で、あまりに賢くて有能なので、仕事を個人的に手伝ってもらったことが何度かある。このニーモト君の有能さはたとえばこんな感じだ。出校時、わたしは授業の配布資料を人数分コピーしてもらうため、朝、家を出るまでに事務室へ送るようにしていた。事務補佐の仕事は、そのデータをプリントアウトして200~300部の配布用コピーを作ることなのだが、このニーモト君は頼んでもいないのに、資料の内容の校正をしてくれるのである。個人名の正誤や図版のナンバリングに至るまで、丁寧にチェックしてくれる。そして「この箇所、間違っているので直しておきますね」と通勤中のわたしにメールをよこす。わたしがOKを出すと、大学に到着したときには、修正原稿とコピーが定位置のテーブルの上にきれいに並んでいる。

しかし、ニーモト君の凄さはそれだけではない。頼んでいないのも関わらず、授業で使えそうな書籍や雑誌などの資料まで用意してくれるのである。ニーモト君がわたしの配布資料のデータを目にするのはたいてい当日の朝、授業開始前3時間ごろだから、資料を探し出す時間などほとんどないはずなのに、研究室の本棚や大学図書館などのアクセス可能な場所から資料をぽいぽいと抜き出して揃えてくれるのである(念の為だが、頼んではいない)。そしてときに、ニーモト君の所蔵資料が含まれていることもある。どうやら通勤前にわたしのメールをチェックできた時には、関連資料を自宅から持参してくれているようなのだ。

もちろんこんな仕事は事務補佐の仕事には含まれない。言ってみれば個人秘書の仕事である。ニーモト君は写真をやっている人だから、どうやら個人的な興味があってわたしの資料を揃えてくれていたようだった。そんなこともあって、ニーモト君にはときどき日給を払って我が家までアシスタントに来てもらっていた。わたしの監修本の作品リストのチェックとか、フィルムや資料のスキャニングとか、だいたいわたしが苦手な算数が含まれる仕事のときにはニーモト君に仕事をお願いする。図版の数を読み合わせながら確認していく作業のとき、「1個どうしても足りないねぇ、数が合わないわ」とわたしが言ったら「さっき戸田さん16のあと18って言ってましたよ」「……あら」なんてことは、よくある。

わが娘が「おそ松さん」にハマっていた頃。ある日、我が家にやってきたニーモト君は缶バッチの入った大きなビニールの包みを抱えていた。「これ、娘さんにどうぞ」。袋を開けると、軽く100個以上の「おそ松さん」の缶バッチが入っている。「え、これ」「差し上げます」「ええ!」と驚いたのだが、聞くと、大学でたまに行われる不要物の交換会で、無料で手に入れたものだという。「娘さんが好きだって言われていたから、もらってきたんです」「うわあ、ありがとう!」と受け取ったけれど、わたしは娘が「おそ松さん」が好きだ、という話しをニーモト君にしたのかどうかすら、覚えていない。きっとしたのだろう。この、只者ではない気の回りようには、時々、怖くなる。

このニーモト君は出身が広島なので、当然のように「広島カープ」の熱烈な支持者である。週に一度の出校時、いつもさまざまなデザインのカープTシャツを着てくるのだが、どれもとてもいいデザインで素敵である。カープファンでなくとも着てみたいと思うようなものばかりだ。そのうえニーモト君はわたしの前で、一度たりとて同じシャツを着ない。わたしの出校日は水曜日なので、どうやら同じ曜日に同じシャツを着ることがないように配慮しているようだった。すごい神経の回しようである。そんなニーモト君がある日、我が家に来たとき、カープではないうさぎのキャラクターのシャツを着ていた。意外さにちょっと興奮したわたしが、「わ!今日はかわいいね!ミッフィー?」と自信満々に言ったらば「マイメロです!」と、なんとなく怒った感じの低い声で返されてしまった。あ、すみません。

先日、イサキを買って帰ったら、娘が「誰よその女」とボケてくれました。わたしの方はと言えば、「あー、スズキ君の彼女?」と答えておきました。毎回逃さずいいボケをしてくれる娘。決して只者ではない。

むかし、大学新聞の友人や後輩たちと、「益子へ行こうぜ!」となって、5、6人で車に分乗して益子まで行ったことがある。益子と言えばもちろん陶芸の益子焼である。陶芸センターで手びねりの陶芸体験ができるというので、皆で手びねりをしながら、わいわいおしゃべりをしていた。いつも何かとネタにされやすいタイプのわたしは、「戸田さんならこうするでしょう」「なにを言っているんですか、戸田さんともあろう人が」などと、会話のなかでしょっちゅう槍玉に上がる。すると、それをしばらく黙って聞いていた、陶芸体験コーナーの担当の女性が、重々しく一言「……その戸田さんというのは、曲者なんですか?」とわれわれに尋ねた。いやそれはわたしです。いや、違う、それはわたしではない。などとうろたえたわたしの前で、友人たちは「曲者っていうか、まあ只者ではないよなー!」などとウケて、笑い転げていた。

あるとき、鳩尾と京都の蚤の市をうろうろしていたら、根来椀を売っているおばさんがいた。朱色のこれにしようか、それともこの黒っぽいのにしようか、などとわたしが悩んでいたら、わたしの後ろにいたそのおばさんが外国人のお客さん相手に「ウェアアーユーカムフロム(あんたどっからきてはるの)」と尋ねているのが耳に入った。女性のお客さんは「アイムフロムイタリー(イタリアから来ました)!」などと答えている。おばさんは「ああ、そうなの、イタリアからカムフロム。サンキュウ!」と威勢よく返答している。この「サンキュウ」は明らかに「おおきに」のイントネーションである。それを聞いていたわたしと鳩尾は笑いを噛み殺すのに必死である。言語学的な誤謬など、ものともしない商人のこのコミュニケーション能力。決して、只者ではない。

「どんなお金も大きく見えちゃう、ハズキルーペ。それで、つい借金しちゃう」と、背中の後ろで娘がひとりごとを言っている。いや、つい借金なんて、してませんよ?

そういえば、ラブレターなどというものはついぞもらったことがないのだが、これがラブレターだったら素敵だなぁ、と思うようなEメールをもらったことがある。決して告白ではないのだけれど、もしそうだったとしたら、只者ではないセンスである。それは下記のようであった。

Tonight, I took a walk on the street. Suddenly it started raining.

In the beginning,
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Next,
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And then,
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In the end,
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どうやら彼は、最後はひたすら、スラッシュのざあざあ降りの雨に打たれて帰ったようであった。

このメールをくれた少年は当時19歳だったのだけれど、ニューヨークで何度か会って、ダイアン・アーバスの写真展をホイットニー美術館に見に行った記憶がある。わたしはそのときひたすら、生まれたばかりの可愛い姪っ子に夢中で、写真を見せてはその話をしていたらしい。その子はそもそも、ユースホステルの中庭で話しかけてきた子で、今思えばナンパみたいなものだったような気もする。カリフォルニアに住んでいた韓国人の子で、親元を離れてニューヨークの大学を見学しに来ていたのだった。その後、わたしがニューヨークに落ち着き、彼もニューヨークに住むようになり、たまに会っていたのだけれど、ある日、髪を短く切ったわたしの顔をみて、ひどく残念がったことがあった。なんだか落胆させたんだな、と思い、その後は一度も会わなかった。

その10年後、彼がいきなりメールを寄越したのである。ぼくブライアン、覚えてる?と言うので、覚えてるよ、あなたこんなメールくれたよね。そう言って上記のメールを添付すると、「うわ、こんなメール書いたんだね。なんだかぼくってナイスガイみたいだ!」とびっくりして喜んでいた。わたし子どもが生まれたよ、とわたしが話すと、「きみの子どもはきっとすごく美しいんだろうな。あのね、知ってる?ぼくは君の髪型が、とにかくとっても好きだったんだよ。切ってしまってほんとうに残念だった」。うん、知ってます。でも結局、そこは「髪型が」なんだなぁ、あくまでも、と思いつつ、突っ込まずじまいで終わった。その後、彼のメールアドレスもこのメール自体も、パソコンの切り替えですっかりなくなってしまった。

娘がわたしにつけつけと文句を言っている。

娘「わたしのほうがパパよりもママのことを愛している!」
わたし「でも、パパはママと結婚してくれたよ!」
娘「それって、新手のものすごい長いタイプの結婚詐欺なんじゃないの?」

ああ、なるほど、そういう考え方もある。わたしは騙されているのだろうか。確かにそう考えると、家父長制度における結婚などというのは、女にとっては詐欺みたいなものだ。「婚姻」をして家に縛り付けることで、家政婦、乳母、そして介護要員として無償労働させられるわけだから、などと、考え始めてしまう。すると隣の部屋でパソコンに向かって黙って仕事をしていたはずの夫が口を挟む。

「やつはとんでもないものを盗んでいきました、あなたの人生です!」

ああ、それはあなたの大好きな「ルパン三世 カリオストロの城」ですね。この引き出しの多さ、見事な自虐。実に、只者ではない。