水牛的読書日記(4)忘れられたものたち、忘れてはならないものたち

アサノタカオ

 曇り空の京都。久しぶりに訪ねた古本屋さんで、棚からさまざまな本を取り出しては指先でぱらぱらとページをめくり、棚にもどすことをくりかえしながら、書きあぐねている原稿のことを考えていた。あたえられたテーマは「人生で、はじめて出会った本」。親に読み書かせてもらった絵本のようなものではなく、子どもころ、かすかな自覚の芽生えの時期にみずから手に取り、読んだ思い出深い本、記憶をさかのぼってもっとも古い「読書」の体験を紹介する、ということらしい。

 何を書いても「聡明な少年時代」という偽の物語を捏造するようで気が進まない。小学生を卒業するまでは国語の教科書以外には漫画や図鑑を読むだけ、というそれほど珍しくない経験があるだけで、どれだけ記憶のなかを探しても、「海外の児童文学を読むのが趣味でした」といった気の利いた話はみつからない。それ以上に、「そんなものはない」という答え以外思い浮かばないのだ。

 そんなものはない、のではないだろうか。頭で読むよりも早く、手が本に触れていた。自分の幼年期は、読書家の祖父が身近にいたために、比較的恵まれた蔵書環境にあったとは言える。函やカバーを外して転がしたり、匂いを嗅いだり舐めたり、落書きをしたり紙を破ったりした数多の書物との愛着の時間を経て、あるとき、肌身離さず持ち歩くお気に入りのおもちゃやぬいぐるみのように、製本がくたびれて表紙の色あせた一冊の本のページに手ひらをおき、文字や絵や写真を指でなぞりはじめる。やがてお話を読み上げる声が、自分の内へ消える。しずけさのなかで、「ここではないどこかの世界」が魔法のように不意に目の前に現れ、幼い自分は興奮し、おののいたことだろう。

 それはたぶん一回や二回のことではなかった。記憶の深いところには、はっきりした「読書」以前に、本と関係を結んできたそれなりに長い時間が落ち葉のように堆積している。いまも自分の指先には、子ども時代、家にあった「もの」としての本を介して「ここではないどこかの世界」に遭遇したときに刻まれた、疼きのようなかすかな感触が残っている。しかしこの「未知との遭遇」は名前の手前、物語の手前、言語の手前でおこった出来事だから、「人生で、はじめて出会った本」を同定することはおそらくできない。それはまるで蜃気楼のようにゆらめく本以前の「非在の本」で、だからタイトルや著者が判明したところで意味がないとも思う。

 記憶の領土の立ち入ることのできない、鍵のかけられた門の向こう側に隠れてしまった本。それゆえに、永遠にあこがれの感情を呼び起こす本。僕が何十年もあきもせず本を読み続けているのは、自覚と無自覚の境界線上で、決定的なかたちで生き別れた一冊の本との、ありえない再会を願っているからではないだろうか。

 思想家のヴァルター・ベンヤミンは、読書論と関わりのある「字習い積み木箱」というエッセイで、こんなことを書いている。「いったん忘れ去ってしまったものを、再びそっくりそのまま取り戻すことは、決してできない。……私は、かつてどんな風に歩行を覚えたかを夢想することはできる。だがそれは何の役にも立たないのだ。私はいま歩くことができるが、それを覚えることはもはや叶わないのである」

 僕はいま本を読むことができる。いくらでもできる。でも、いったん忘れ去ってしまったあの「はじめての本」との出会いを、言葉によって取り戻すことはたぶんできない。ふるえる指先で「読む」ことを覚えたあのはじまりの日のように、はじめての本をはじめて読むことは、もう二度と叶わないのだから。

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「いったん忘れ去ってしまったものを、再びそっくりそのまま取り戻すことは、決してできない」というベンヤミンのことばから、韓国の作家、ファン・ジョンウンの『ディディの傘』(斎藤真理子訳、亜紀書房)のことを連想した。所収の「d」を何度も読み返し、この小説についてずっと考え続けている。ここ数年のあいだに読んだ韓国文学のなかで、もっとも心揺さぶられた作品のひとつ。人間にとっての「喪失」の意味を深く問いかける小説だ。

「d」の舞台は、2014年のセウォル号沈没事件から一年後、新自由主義的な政治経済に支配された社会の矛盾が噴き出し、地揺れするソウルの街の一角。主人公のdは病弱そうな青年で、あごに大きな傷があり、半地下のアパートに暮らしている。「もの」に触れることを避け、人と交わることを避けている。

 それは、幼馴染であり愛する人であるddを無残なバス事故で失ったから。同居するddが部屋に残したタオルやカレンダーや食卓の「ぬくみ」は、かえってddの非在を際立たせることでdを苦しめ、かれは外出もせず、電話で誰かと話すこともなく、「もの」たちとともに引きこもっている。

 この小説は、(おそらく)小学生時代のdとddとの出会いめぐる印象深いエピソードからはじまる。終業後の教室で、dは稲妻が窓を越えて走るのを見た。教室の床の焼け焦げた跡をのぞき込んでいると、ドアに前にddが立っていた。

「見てみ。/dは床を指差してみせた。/雷が落ちたんだ。ちょっと前に。/dが先に指でその跡を触ってみて、ddも触ってみた。/ここだけ熱い。/すごい。/dとddは頭が触れるほどくっついてしゃがんでいたが、焼け焦げの跡にもう一回ずつ触ってから立ち上がった」

 翻訳者の斎藤真理子さんは「この小説は熱で始まって熱で終わる」と鋭く指摘しているが、付け加えれば「熱に触れる手で始まって、熱に触れる手で終わる」とも言えるだろう。あるいは、触れる手と拒絶する手、手と手のあいだの痛ましい相克の物語というふうにも言えるだろうか。

 ddはdにとって「言葉」であり、「身体」だった。差し伸べる指の先にあるべき存在が永遠に失われてしまったとき、愛する人との触れ合いの記憶すら耐え難い何かに変わる。だからdはふたりの思い出の品である「もの」を捨てはじめる。ddの非在とともにあるために、dはみずから「空白」になることを選んだ、ということだろうか。何も記憶に残さない生、死と変わりない生、未来の訪れない「停止した今」を生きている、とかれは言う。

 そんなdを外の世界へ連れ出したのは「声」だった(これも斎藤さんの指摘)。

 半地下のアパートの庭で、朝鮮戦争時代の記憶などを問わず語りに語る大家の老婆、そして世運商街という衰退しつつある電気街でオーディオ修理店を営むヨ・ソニョ。商街で宅配業者の集荷の仕事をはじめたd(かれは常に両手に軍手をはめている)に、60代後半と思われる初老の技術者であるヨ・ソニョが偶然呼びかけるところから、物語の時間が再び動き出す。

 そして「音楽」。
 ヨ・ソニョが用意した真空管アンプのオーディオにdは執着し、ddの実家から取り戻したddのレコードをターンテーブルにのせ、耳をすませる。かつて同じ空間で音の海にひたり、ふたりで同じ音楽に耳を震わせ、からだを震わせた体験をくりかえし想起することで、何かを取り戻したいと必死に祈り続けるように。dは幼い頃から音に敏感だった。

 何かを取り戻したい——。
 dのまわりにいる人たち、たとえば父、「父の妻」と独特な距離感をもって語られる母、ddの家族、大家の老婆、世運商街の住民たちは一様に、華々しく喧騒にみちた社会の日の当たる場所からはじき出され、それぞれに生きづらさを抱え、取り戻すべき何かをあらかじめ奪われているような人たちだった。「僕もddもそして、あなたも。僕らがあまりに取るに足らなくて、一度の衝撃によって、投げ出されてしまう」

 セウォル号沈没事件の犠牲者を追悼し、時の政権の退陣を要求するデモの群衆と警察が対峙する夜のソウルで、dが友人のパク・チョベとさまようシーンも印象深い。声を上げる群衆が立ち去り、警察車両の壁にはさまれて空っぽになった世宗大路の交差点という「空間」に、dはおそらく自分の抱える空白と同じような空白を発見する。目撃されることなく、公的に追悼されることのない死のための空白。「取るに足らない」存在、「滓(かす)のような」存在、そして口をつぐむかれらの沈黙だけが立ち入り、通過することのできる空白。

 物語の最後、「突然流れが消えたあの空間」について考えながら、dはオーディオの電源を入れ、光の灯る真空管にふいに素手を差し伸べ、ガラスを握りしめる。

「疼きが走った。dは驚いて真空管を眺めた。もう手を引っ込めたのに、その薄くて熱いガラスの膜が手に貼りついているようだった。疼痛が皮膚を貫いて食い込んだ棘のように執拗に残っていた」

 読むものの感情のもっとも奥深いところに訴える、ファン・ジョンウン文学の真骨頂とも言える繊細で切実な描写だと思う。

 疼いてもいい、痛くてもいい。共に触れた記憶、共に触れ合った記憶、共に音に震えた記憶を確かめたい、何度でも。ある日突然、不条理のかたちでかけがえのない命を奪われ、にもかかわらず社会の中からあまりにもたやすく忘れ去られてしまう存在。ddを、ddの生の意味を、ddと共にあったみずからの生の意味を取り戻したいと希求しながら、それが叶えられることのない願いであることに絶望するdの悲しみは終わらない。

 しかしその悲しみの内には、個体発生が系統発生をくりかえすように、歴史のなかで語られることのなかった「取るに足らない」存在たちの、集団的な声なき声がしずかに合流し増幅しはじめている、と言えないだろうか。真空管のなかの電気のように。音楽にうながされるようにして再び「もの」に触れ、熱い痛みを感じるdの手、その「たしかさ」から開かれる世界がある。

 個人の感情を超える何か。小説の物語と緻密で複雑な文体を通じて、ほかならぬdの人生の悲しみ、痛みを辿りながら、前進して止まることを知らない時間を生きるために人間が別れなければならず、捨てなければならず、忘れなければならなかったものたちが、瓦礫の山となって積み上げられている荒地の風景を目撃したような気がした。刹那の想像に過ぎないが、こうしたことは、文学でしか味わうことができない体験だ。

 dの友人のパク・チョベが書いた本のタイトルは『Revolution』で、「革命」がこの小説のキーワードでもあった。警察車両の壁にはさまれて空っぽになった世宗大路の交差点を眺めながら、「革命はもう到来していた、これがそれじゃないか」「革命をほぼ不可能にさせる革命」と直感する主人公のdにとって、それは政治体制の打倒といったような一般的な意味での革命ではない。Re(再び)+volution(回る)、忘れられたものたちの回帰、忘れてはならないものたちのいまここへの回帰を暗示するものだろう。

「名前知ってます?……わかるんですか、僕の名前が……」。dとdd、忘れられたものたちは固有の名前を記憶されないものたちでもあるのだろう。しかしその名を知らずとも呼びかけることで、そして「ぬくみ」ある手を差し伸べることでdを支えたのが、大家の老婆やヨ・ソニョら、長い人生の時間を生きぬいてきた老い人たちであったことも思い起こしたい。そこに、読者に託されたこの小説の痛切な祈りがあると僕は思う。

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 京都の古本屋さんというのは、KARAIMO BOOKSのこと。お店を営む旧知のJさんは棚を眺める僕に、「開店以来、これまでにないぐらい女性史やフェミニズムの本が売れているんです。とくに若い人たちに」とうれしそうに語り、チリのフォルクローレ歌手、ビオレータ・パラのアルバムCDをプレイヤーに滑り込ませた。「人生よありがとう/こんなにたくさん私にくれて/……私の歌は同時にあなた方の歌/私個人の歌であるとともにみんなの歌/人生よありがとう」(濱田滋郎訳)

 書きあぐねている原稿のことはいったん忘れよう、と心に決めて棚から抜き出した森崎和江さんの『闘いとエロス』と詩集を数冊抱え、新刊コーナーの平台に目を落とすと、『ディディの傘』があった。赤と紫のカバーにそっと手を触れると、「ほんとうにすばらしい小説ですよね」とこんどはレジの向こうのNさんが声をかけてくる。「dは自分だ」と言い切ってしまいたいぐらいの強い思い入れと共に読んだ『ディディの傘』について、Nさんとじっくり話し合いたいと思ったが、雨が降りはじめ、トタン屋根を打つ音が少しずつ店内をみたし、おのずと会話は中断された。

 やがて雨脚はさらに強くなり、ビオレータの美しく芯の通った歌声もかきけされ、僕らは本をあいだに挟んでただ押し黙っている。火照った自分の額もゆっくりと冷やされていく。ひとりひとりの内に決して思い出せない本があるように、人と人とのあいだには、語ることができない本があるのだろうか。そういうのも悪くない、と思って、再び書棚にむきあうしずかな午後のひととき。