8月某日 シンガポールでは日が暮れると、風が気持ちいい。取材の仕事がひと段落ついたところで宿の近くのコインランドリーで洗濯をすることにした。その合間に、団地の中庭のようなところで夕涼み。お年寄りがベンチに腰かけたり、体操したりしている。
8月某日 朝からシンガポールの中心部に繰り出し、Bras Basah Complexを探訪。ここは東京の「中野ブロードウェイ」的な5階の商業スペースをもつビルで、書店や雑貨店が数多く集まっている。ヴィンテージ&アンティーク書店や中国語専門書店をのぞきながらぶらぶら歩いていると、中華系の出版社が運営する本の自動販売機ならぬ「自動貸出機」を見つけた。つまり無人の貸本屋。35シンガポールドルで2冊、1週間借りられるとのこと。Bras Basah ComplexにあるBasheer Graphic Booksは、すごかった。店内は3部屋にわかれ意外と奥行きがあり、世界中の出版社から集められたアート、デザイン、建築、写真、ファッション、料理、アニメなどの新刊が揃っている。日本語の本も少なからずある。
近くにあるシンガポール国立図書館(16階の高層ビル!)を見学してから紀伊國屋書店ブギス・ジャンクション店にも立ち寄り、アルフィアン・サアットとCrispin Rodriguesの英語詩集を購入。小説家、劇作家、詩人であるアルフィアン・サアットは政治問題について積極的に発言する社会批評家としても重要な存在であることを、アート・プロデューサーであるオードレイ・ペレラさんから教えてもらった。Crispin Rodriguesは混血人種(mixed-race)のアイデンティティと身体をテーマに創作する作家、詩人。宿に戻ってこれらの詩集を読んで過ごし、歩き回って火照ったからだをクールダウン。
《わたしの骨に刻み込まれたのは/母たちの名前/すべて語られず/すべて沈黙している/母たちのすべての骨/すべての肉の部位……》(Crispin Rodrigues「婚/混」『dragon.paper.wind』Pagesetters, 2024)
8月某日 朝、シンガポールから飛行機でマレーシアのペナン島へ。さらに空港からタクシーでジョージタウンに移動する。宿の6階にある部屋から町を見下ろすと、高層のビルとビルのはざまを沖縄の家のような赤瓦の民家がびっしり埋め尽くす風景が見えた。その向こうには、緑滴る熱帯雨林の山。
あすからの取材現場の視察を兼ねて外出する。暑い。最寄りの中華系の食堂に寄って酸味のあるカラマンシージュースを頼み、巨大な扇風機の前で涼んでから現場のHin Bus Depotへ歩いていった。ここは古いバスターミナルを改装した、アートとイベントのパブリックスペース。ちょうど日曜市(クラフト系のマルシェ)と美術作品の展示をやっていて、中庭ではミュージシャンのライブも開催。大勢の人で賑わっている。ついで、Hin Bus Depot内のBook Island(島讀書店)へ。中国語専門の独立書店だが、日曜市開催中ということもあり、店内はお客さんでいっぱいだった。英語のZINEコーナーもあり、隣にはアートギャラリーが併設されている。
ところでマレーシアは、マレー系・中華系・インド系を中心とした多民族社会で、公用語はマレー語で準公用語が英語だが、Hin Bus Depotのような公共空間にある唯一の書店が「中国語」専門の書店というのがおもしろい。マイナー言語であるはずの「中国語」(といってもいろいろな中国語があるのだろうが)の社会的影響力の大きさが感じられる。
マレーシアの中華系の人々は、中国語で学校教育を受けることも多いそうだ。華人の若者同士も中国語でおしゃべりしていて、異なる民族の人とはマレー語や英語で話している(昨年、台湾で友人に勧められてマレーシア出身の中国語作家・張貴興の小説を買ったのだが、「馬華文学」というのはこういうルーツをもつ人による文学だったのか……)。宿でテレビをみると、マレー語のチャンネルのみならず、英語・中国語・インド系のタミル語のチャンネルもある。マレーシアには歴史的にマレー人を優遇する「ブミプトラ政策」が存在してきたのだが、言語的にはマレー語単一言語主義への強力な統合・同化はなされなかったようで、多言語がそれぞれに自主独立しつつ並び立っているらしい。これはぼくが知る別の多民族社会であるアメリカ(基本的に英語単一言語主義の国)とも、ブラジル(基本的にポルトガル語単一言語主義の国)ともすこし異なる在り方で新鮮な異文化体験だった。
夜はジョージタウンの旧市街へ行き、インド系イスラム教徒のディアスポラ一族の歴史をもつレストランで食事をすることに。店内には本のコーナーがあり、政治や食やイスラム教の教えに関する歴史書や写真集などを販売していた。ここで提供されるのはマレー料理と中華料理が融合した「プラナカン料理」にインド風味が加わった独特の混血料理。スパイスたっぷりの滋味深い煮込み料理とバタフライピーの花びらを使ったブルーのお茶をおいしくいただいてからすこし散歩。夜の街はあちこちでネオンがぎらぎら輝き、遅くまで明るい。
8月某日 午前中、宿から少し離れた高級ショッピングセンターにタクシーで行き、Book Xcessを訪問。マレーシアの大型書店チェーンだ。棚に並ぶのはほぼすべて英語の書籍で、ローカルの本はほとんどない。「4冊買うと、もう1冊無料のキャンペーン中」という案内が目立つ。インターネットで調べると、Book Xcessはおもに売れ残りの輸入本を扱うアウトレット書店とのこと。天井まで届く棚に本がびっしりディスプレイされている。店内を奥まで進むとガラス窓から海が見えて眺めがいい。
午後は宿にこもり、ショッピングセンターで買ったポメロという柑橘をつまみながら、持参した韓国の詩人アン・ドヒョンの詩選集『あさみどりの引っ越し日』(五十嵐真希編・訳、クオン)を読んだ。
8月某日 朝、ジョージタウンの市場を見学。魚介類、肉類、干物、スパイスなどなど。衣料品を販売する路地の屋台では、中華系の翁が軒先で画用紙を広げて悠然と絵筆を走らせ、風景画を描いている。いつまでも眺めていたい、よいお姿。「おれはおれだ」という独立独歩の精神を背中で語っている。市場近くの食堂でいただいたカヤトーストとホワイトコーヒー(ミルクコーヒー)の朝食がおいしい。「カヤ」はココナッツミルクをベースにした甘いジャム。
昼、旧市街を散策していると、黒板に書かれたガルシア=マルケス『百年の孤独』の言葉を発見! “There is always something left to love.” 路地に黒板を出しているARECA BOOKSは、すばらしい独立書店だった。マレーシアやペナンに関する書籍が揃っていて、歴史・文化・エコロジーの分野に強い印象。英語中心だけど、マレー語書籍のコーナーもある。マレー民謡を日本語で紹介する冊子もあって驚いた。同行者のお子さんのために本を選ぶ。マレーシアの野生動物を紹介する英語の絵本と、昔のバスや切符をデザインしたカードを購入。それほど広くないけど居心地がよく、気になる本をソファで座り読み。買い物をすると、レジで素敵なバッグをもらえた。
ARECA BOOKSの隣のカフェにローカルのZine作家の作品コーナーを見つけた。ジョージタウンでWorking Desk Publishingを主宰するWilson Khor W.H.の著作や、Red Beanieの詩集などを買う。
ついでリトル・インディア地区の有名な書店、Gerakbudaya Bookshopへ。入り口手前がノンフィクションのコーナー。店内のギャラリースペースを抜けて奥に入るとフィクションと詩のコーナー。「The Annual Hikayat Lecture on Literary Translation」というマレーシアの文芸翻訳家の講演シリーズの小冊子があり、シンプルなデザインの美しさにもひかれて購入。こちらは英語専門の独立書店で中国語の本も少々。欧米の出版物が多めで、英語で書くマレーシアの詩人の詩集は数冊あった。多言語状況は、ペナン島の独立書店の個性にもあらわれている。
いったん宿に戻って休憩し、ふたたびHin Bus Depotへ。アートスペースで開催中の展示「negaraku II」は非常に興味深い内容だった。「『マレーシア人性』とは何か?」がテーマになっている。多文化社会をめぐる国家主義的な語り(つまりマレー系を中心にした階層構造を温存し、中華系・インド系を従属させつつ表面的な多民族共生を謳う口当たりのいい言説)の中で見えないものにされるマイノリティの声をアートで表現する批評的な試み。「negaraku II」展の企画は、ジャマイカ生まれのイギリスの文化研究者であるスチュアート・ホールの思想が一つの霊感源になっていて、ポスト植民地主義状況をめぐる社会調査と連動しているらしい。会場で、キュレーターとマネージャーと少し話すことができてよかった。アートスペースで英語の展示図録を購入した。
8月某日 《島々は、本質的に、謙虚なもの、傷つきやすいものたちの住処である。少なくともそこは、つつましやかな場所である。しかし同時に、希望にあふれるもの、固い意志をもつもののための原郷でもある。》(Ooi Kee Beng「Amused at Fort Cornwallis」『Signals in the Noise』Faction Press, 2023)
広島、原爆の日。戦争の歴史と記憶に連累するために、ジョージタウン旧市街の北端、マラッカ海峡を望むコーンウォリス要塞で黙祷を捧げた。ここは18世紀に東インド会社がはじめて上陸して建造した要塞で、イギリスによるペナン島支配の出発点となり、のちに日本軍も使用した。太平洋戦争開戦後、日本軍はペナン島を空爆して占領し、多くの島民を虐殺。従軍慰安所も設置した。旅をするまで、マレーシアの植民地主義以降の歴史について何も知らなかったことに唖然としている。いったい自分はここで何をしているのか。
阿部寛主演で映画化もされた長編小説『夕霧花園』は、日本軍のマレー半島侵攻以降の歴史を扱う。その作者でマレーシア人の英語作家、タン・トゥアンエンはペナン島の出身らしい。宮崎一郎訳で彩流社から刊行されている。帰国したら読んでみよう。
小雨が降る中、海岸沿いの道をゆっくり歩いてペナン島の水上集落、クラン・ジェッティーへ。19世紀から中華系の人々が暮らしていて、陳一族と李一族の桟橋を訪ねた。最大規模の周一族の桟橋は観光地化されていて賑やかなようだが、こちらは静かな生活の場。木造の高床式の民家の様子をうかがいながら、板張りの桟橋を突端まで歩き、海上を行き交うフェリーを眺めた。
ペナン島は熱帯モンスーン気候の地にもかかわらず、朝晩は室内で冷房がいらない。日差しが強い昼でもお店に入れば扇風機で十分涼しく、スコールが通り過ぎるとひんやりとした海風が吹く。宿近くの喫茶店で本を読みながら熱い紅茶を飲む。おいしい。雨上がりの夕空が、美しいピンク色に染め上げられていた。
8月某日 約1週間、ジョージタウンの旧市街をひたすらさまよい歩いた。チャイナタウンを訪ね、リトル・インディアを訪ね、その周辺のマレー系の人々の暮らしを垣間見た。エスニック・コミュニティの境界はあいまいで、人々の混住化が進めば民族の混血化が起こらないはずがない。見た目からある人の属性を勝手に判断し、「〇〇人」だと決めつけるのは偏見だろう。しかし、旧市街の各民族のコミュニティ内に足を踏み入れれば、その中心には道教や仏教の寺院があり、ヒンドゥー教の寺院があり、モスクがある。そのまわりに同型的な住民の暮らしが広がる。こうした共同体の歴史に根ざした風景は「民族」としか言えない強烈な何かを、こちらに肉体にずしんと突きつけてくるのも事実だ。
髪の色、目の色、肌の色、からだつき、服装。話していることば。食べているものの匂い。これらを共有しない「民族」同士が、自分とは異なる他者への共感ではなく無関心(無視ではなく、関心を持ちすぎないということ)によって共存している。そんな、植民地主義以降の苦難の歴史を生き抜いてきた島の人々が備える、したたかな流儀のようなものをしばしば感じた。「異文化理解」以前に、異なる身体がただともにいることを受け入れる民衆の知恵というか。
勘違いかもしれないが、ひさしぶりに多民族社会の濃密な空気にどっぷりつかる体験をして、いろいろなことを考えた。
8月某日 ペナン島ジョージタウン滞在の最終日。宿の近くの中古レコードショップで、おしゃれな店主のお兄さんとおしゃべり。レジをみると、『我所看見的未來 完全版』(たつき諒『私が見た未来 完全版』の中国語版)が……。同行者が本を指さして「あ!」と声を上げると、「いやいや、ただの好奇心だよ、好奇心」と彼があわてて本を隠したのが——僕らが日本の人とわかっていたのですこし恥ずかしそうな顔で——おもしろかった。
夜は、宿の前のお店でおいしいココナッツミルクの豆花を食べてお腹いっぱい。